意味がわかると怖い話:「Zoomしようよ」(1/2 ページ)
Zoomの仮想背景の後ろにあるのは……。
ひとたび気づくと、なにやら違う光景が見えてくる……「意味がわかると怖い」ショートストーリーを紹介する連載です。
「Zoomしようよ」
コンビニで買った缶ビールとつまみの袋を提げて、ビジネスホテルの部屋に戻る。
泊まりがけの出張は8カ月ぶりだった。出勤しての業務が再開されたのだってほんの2カ月前で、それまではこうした地方のクライアントとの打ち合わせや視察も、自宅でオンライン上でおこなっていた。それでも仕事は回るのだから、日本のサラリーマンがいかに無駄な出張をしていたかというものだ。……とはいえ。春からずっと、婚約者の妙(たえ)と二人のマンションで息詰まる日々を送っていた身としては、ありがたい機会だった。
妙はこの感染症禍で、ずいぶん不安定になっていた。「30歳までに」と口癖のように言っていた結婚式を延期にしたのが大きかったのだろう。ちょっとしたことでイライラして、俺に当たり散らした。
同棲を始めた頃から、彼女に少々、身勝手なところがあるのは分かってはいたが。妙の趣味の、ミッドセンチュリーだか北欧家具だか知らないが、オレンジ色のソファにグリーンのラグと目にうるさい調度が並べられた、子供部屋みたいなリビングはどうにも気に食わなかった。在宅で仕事するようになると、余計に目に付く。俺の意見など聞きもしない。……もし文句をつけようものなら、妙は「あなたは私のやることを何も認めてくれない」とギャンギャン泣きわめくだろう。
そんな調子だから、妙の居る家での在宅勤務は耐え難かった。おまけに出張の予定もすべてキャンセルになったために、志穂(しほ)に会いに行く口実も作れず、妙の目があって電話もできないのは寂しかった。
志穂は前職の後輩で、2年前からずるずると関係が続いていた。妙との婚約を機に別れようと思ったこともあったが、従順で大人しい志穂は、俺が会いたいと望めばいつでも予定を空けてくれたし、話していて俺を否定するようなことは一度も言ったことがなかった。この頃は「そんな気分じゃない」の一辺倒の妙と違って、行為を拒まれたこともない。手放す気になれなかったのだ。
……とはいえ、乗り換えようと思ったこともなかった。同じ大学のゼミの同窓だった妙と違って、志穂はあまりに物を知らず教養がなかったし、前に社内の噂で父親がろくでもない男だと聞いたこともあった。自分が「釣り合わない」と分かっているのか、志穂が今以上の関係を求めてくることはなかった。
かわいい志穂。この半年ほどはLINEのやり取りばかりで、声すら聞けていなかった。出張のことは伝えてあった。久しぶりに、妙の目の届かないところで夜を過ごせると。
本当だったらホテルまで呼びつけたいくらいだったが、上司に帯同しての出張だったので諦めた。俺は少しうきうきして、ビールを開けて志穂に電話をかける。
『――大輔(だいすけ)君。久しぶりですね』
もっとうれしそうな声を聞けるかと思ったのに、ずいぶん長いコール音の後で出た志穂はなんだか疲れているようだった。スーツケースからノートパソコンを引っ張り出し、ベッドの上で電源を入れて俺は志穂に言った。
「せっかく今夜は一人だからさ、志穂の顔見て喋りたいな。Zoomつなぐから一緒に飲もうよ」
沈黙が続いた。ややあって志穂は応える。
『少しだけ、待ってもらえますか? 今、片づけ物をしていたので部屋が散らかってて』
「分かった。じゃあ部屋だけ準備しとくわ」
電話を切って、パソコン上でアプリを起動させてミーティングルームを開き、IDをLINEで送った。3分ほどして志穂が入ってきた。
半年ぶりに見る志穂は、少し痩せて見えた。確か妙も同じものを持っていた、オーバーサイズのバンドTシャツを着ているので一層、そう見えるのかもしれない。
スマホを手で持って喋っているらしく、画面のブレが気になった。デフォルトの、砂浜の仮想背景が設定されている。散らかっている部屋を見られたくないのだろう。
『うれしいです。彼女さんじゃなくて、私を選んでくれて』
志穂の声は妙に暗かった。
「……珍しいな、志穂がそんなこと言うの」
『ずっと会えなかったから。大輔君は私のことなんて忘れちゃったんじゃないかと思って。……一緒に住んでる彼女さんが羨ましかったです』
参ったな。俺は内心で舌打ちする。こんな重たい女と付き合っていた覚えはない。
「忘れる訳ないだろ。ずっとあいつと二人でうんざりだったよ。俺の弱いとこ見せられる相手は志穂だけだからさ」
どうしてこんなに画面がブレる? 志穂の手が震えているのか?
『うれしい……これから、ずっと一緒ですからね』
画像が大きく乱れた。スマホを取り落としたようだった。仮想背景が解除されて一瞬だけ、部屋が映った。オレンジ色のソファ。大きな染みが広がったグリーンのラグ。散らかってはいなかったが、彼女が確かに「片づけ物」をしていたことは理解できた。
俺はスマホを手に取り、電話をかけた。画面の中の志穂の背後で、着信音が響く。
『――どうして、こっちに電話したんですか?』
志穂の穏やかな声が聞こえた。
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