「ユートピアへようこそ!」→どう見てもディストピアな“フェイク・プロパガンダ風”アニメ映画「オオカミの家」レビュー(1/2 ページ)
作品には社会的なメッセージも。
チリ製のストップモーションアニメ映画「オオカミの家」が8月19日から劇場公開されている。
パッと見のポスタービジュアルでヤバそうだと思ったあなたは大正解。良い意味で頭がおかしくなりそうな映像がぶっ続く、今世紀トップクラスの激ヤバ映画だったのだから。あの「ヘレディタリー/継承」や「ミッドサマー」で知られるアリ・アスター監督が一晩に何度も鑑賞し、「『オオカミの家』のような作品が作られたことは、過去に一度もない!」と絶賛するのも大納得である。
抽象的な表現が多いためかG(全年齢)指定となっているが、後述する同時上映の短編「骨」も含め、見た目からグロテスクで、恐ろしいことが起きていると“想像させる”シーンがたっぷりあるので、精神的に安定しているときに観ることを強くおすすめする。劇場のスクリーンで観てこそ、「悪夢に浸る」感覚を堪能できるはずだ。さらなる魅力と、「こう捉えるとさらに楽しめるポイント」を記していこう。
悪夢的映像がワンカット風にぶっ続く衝撃
本編である「オオカミの家」のあらすじは「ある場所から逃げ出した少女が森の中の家で2匹の子ブタの世話を始める」というシンプルなもの。しかし、ほぼ全編が一軒家の中で展開し、その表現があまりに凄まじかった。
主人公の少女マリアの顔が“壁画”として描かれたと思いきや、次のシーンでは人形になっていたり、その人形の一部がボロボロと崩れて、さらに異形の“何か”へ変わったりする。家の中の家具や小物も、壁画だけでなく実際の“もの”にも変化するし、時には“蠢(うごめ)いている”ようにも見える。
さらに、マリアが育てている子ブタたちにはなぜか手や足が生えて人形(物語上は“人間”)に近づいていくし、中盤からは凄惨な出来事が口や目から“何か”が出るおぞましい描写で提示されるし、その後も言語化が不可能に思えるほどの激変が起こる。
さらには、全編が「ワンカット風」の映像にもなっている。カメラは常に一軒家の中を追い続けており、まるで迷宮の中をさまよっているかのような、終わりのない悪夢を見ているような感覚にもなる。
もちろん、人形や小物をちょっとずつ動かして撮影して、またちょっとずつ動かして撮影して……という工程をひたすら繰り返して制作するストップモーションアニメなので、ワンカットの映像に見えたとしても、実際は気が遠くなるほどのショットをつないでいる。
撮影場所は10カ所以上の美術館やギャラリーで、実寸大の部屋のセットを組んでおり、ミニチュアではない等身大の人形や絵画も混在していたそうだ。企画段階を含めると完成までに費やした期間は5年に及んだという。その狂気ともいえる創作への執念は、出来上がった作品からも感じられるだろう。
フェイク・プロパガンダ映画という体裁
この映画で何より重要なのは、チリに実在した入植地「コロニア・ディグニダ」に着想を得ていることだろう。1960年代から40年以上も存在した(名前を変えて今も存続している)コロニア・ディグニダは表面的には美しい共同体にも見えるが、実際は住人が支配的な環境に置かれただけでなく、拷問、殺人、児童への虐待などおぞましい行為が行われていたのだ。
そして、この映画はそのコロニア・ディグニダと似た場所を、「ユートピアとしてPRしている立場」からのナレーションおよびビデオ映像から始まる。「あなたもきっと味わったことがあるでしょう。コロニーという名のすばらしい蜜の味を。今日は、その由来と秘密をお伝えします」から始まる言葉の数々は、どこかしらじらしく思える。
そして、前述してきた少女マリアの物語を描くストップモーションアニメ映画は、「私たちの数ある思いの1つを伝えるための保管棚から救出された映画」などと宣言した上で映される。
つまりは、「これからお届けする映画は私たちの“正しさ”を伝えているよ! ぜんぜん私たちはヤバくないし怖くもないよ!」という体裁というわけなのだが、実際に映されている映像からは「いや超絶ヤバいし怖すぎるんですけど! ぜんぜん正しくないし、これで思いを伝えるっておかしいよ!」と、むしろ主張する立場のおぞましさがものすごく伝わる構造になっているのだ。
つまり、本作は「フェイク(ニセの)・プロパガンダ映画」だ。現実に存在する本物のプロパガンダ映画も、往々にして「私たちはめっちゃ正しいよ!」と主張をゴリ押ししてくるため、むしろ欺瞞や気味の悪さが浮き彫りになる。この「オオカミの家」は、その「プロパガンダ映画のような超絶イヤな感じ」を体験させるために、あえてこの構図を用いている、というわけなのだ。
実際のコロニア・ディグニダで起こったことと、フェイク・プロパガンダ映画であるという前提を踏まえて見ると、さらに「入植地から逃げ出した少女マリア」の物語が悲劇的に思える。劇中で「マリア、マリア……私の可愛い小鳥。私の存在を感じるか?」などと男性の声で語りかけてくるのも、支配者がどこまでも追いかけて監視しているような恐ろしさを示しているのだろう。
つまり、「オオカミの家」は単にフィクションとしての悪夢の世界を構築することが目的ではなく、コロニア・ディグニダという負の歴史のおぞましさと悲劇を追体験させる、確かな意義があるのだ。また、閉鎖されたコミュニティーの恐ろしさを描くという点は、本作を絶賛したアリ・アスター監督の「ミッドサマー」にまさに通じている点である。
同時上映の短編「骨」もヤバい
この「オオカミの家」の上映前に、14分間の短編「骨」も上映されるのだが、こちらもヤバかった。冒頭のテロップで分かるように、「1901年に制作された、作者不明のストップモーションアニメ」という“設定”となっている。
内容は少女が人間の死体を使って謎の儀式を行うというものだが……その先はここで書くのがはばかられるほどの悪夢的な光景の連続。「鋼の錬金術師」の人体錬成シーンを思い出したばかりか、それ以上の“何か”も起こっていたことだけは言っておこう。
そして、こちらもフィクションでありつつも、実際の出来事をモチーフにしている。劇中で「ディエゴ・ポルタレスとハイメ・グスマンの魂を呼び出す儀式をしている」と説明されるのだが、そのどちらも実在したチリの政治家の名前なのだ。ディエゴはチリの最初の憲法を制定に携わっており、ハイメは現在の憲法の起草者に当たる。この「骨」は2019年に起こったデモの結果として新憲法案が発表された時期に制作され、そうしたチリの歴史や憲法をめぐる世相を反映しているようだ。
主人公の少女のモデルも、コンスタンサ・ノルデンフリーツという実在の女性だ。彼女は15歳のときに30歳のディエゴと恋人関係になり、その翌年に長女を出産したが、ディエゴは結婚もせず子どもの面倒もみなかった。その後にコンスタンサはさらに2人の子を出産し、 ディエゴが暗殺された直後の1837年に29歳で亡くなったという。
つまり、この短編「骨」は、少女コンスタンサが現実ではできなかった政治家ディエゴとの結婚式を、フィクションで「させてあげる」内容とも言えるのだが……出来上がった映像からは、その願いが叶えられた少女の喜びよりも、「こわいよ!」という気持ちが先立ってしまった。
「骨」と「オオカミの家」は、どちらも「少女の願い」を発端とする物語であるという共通点があると同時に、内容は“対”になっているともいえる。続けて見てこそ、作り手の強烈な作家性を感じつつ、またとない映画体験ができるだろう。
(ヒナタカ)
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