“敵”が“先生”になる日――コンピュータ将棋ソフト開発者 一丸貴則さん・山本一成さん(後編)(4/4 ページ)
人間のプロ棋士とコンピュータソフトが戦った「将棋電王戦」。2人のソフト開発者はどんなことを考えて対局当日に臨み、そしてその結果に何を感じたのか。今後の人間とコンピュータとの関わり方についても考える。
次代の「純粋なるもの」
しかし、先輩棋士たちにとって、そんな外的状況の変化よりももっと信じられないのは、羽生たちの世代が将棋に対して、きわめて合理性を尊重し、真理・真実を追求するという姿勢でのみ臨んでいる姿を見ることであった。(中略)大事なのは最高の舞台で、最高の相手と、最高のコンディションをもって、最高の将棋をつくり上げることでしかないのだ。そのプロセスを経て勝つこと。それでこそ棋士の、自分たちの生きている意味がある。
(『純粋なるもの』 島朗 pp.51-53 より)
一丸さんは、対戦相手へのソフト事前提出が必須ではなかった第2回電王戦において、人間側の棋士5人全員にツツカナを自発的に提出した。人間とは違うコンピュータソフトの特徴や傾向を棋士が事前に把握し、対局本番で全力を出し切ってもらえるようにするためだ。
ただ、無策でプロ棋士に数カ月間のソフト研究を許せば、ツツカナの致命的な弱点を見つけ出され、本番で何一つできないままに敗れ去る可能性もある。そこで本番では、序盤で定跡を外す一手をあえてツツカナに指させるようにインプットした。人間に研究され尽くした定跡を外れることで、プロ棋士とツツカナの双方が、持てる本来の実力を出し切った上で真剣勝負ができると考えたからだ。
「棋士に勝ちたい」でも「棋士に勝ってほしい」でもない。「棋士とソフトがお互いに全力を出し切り、最高の将棋をつくり上げた上で、棋士に勝ちたい」と考えたのだ。
私にはむしろ別の目的で将棋に打ち込んでいる棋士の方がはるかに多いという気がしてならなかった。それはあたり前かもしれないが、「将棋をどこまで知ることが可能なのか」という問いに取り組んでいるということだ。そうでなければ、対局が終わったあとの感想戦(反省会)で互いに読み筋を交換し合い、いろいろな考え方を学ぶ作業がむなしいものに変質してしまうだろう。対局中は勝ちを求めて争っているが、対局終了後の感想戦では、みんな自然に真理を追究する顔に変わっていく。
(『純粋なるもの』 島朗 pp.19-20 より)
通常の人間同士の対局では、終局後に双方の指し手のどこが良かったのか、悪かったのか、途中どんなことを考えていたのか、さらに良い手はないかなどを、駒を動かしながら検討する「感想戦」を行う。長時間の対局を終え、お互いに憔悴しきった状況ですら、感想戦は数時間に及ぶこともある。激戦の余韻が残る中で言葉を交わしながら、棋士たちは徐々にその熱を放散させていく。
何度も電王戦の対局を観戦する中で、どこか物足りなく感じている部分があった。感想戦が、ないことだ。
第3回電王戦の対局終了から数日後、一丸さんと山本さんは、ツツカナとPonanzaの対局時の思考ログをWeb上で公開した。そこには、コンピュータソフトがその局面でどんな手を読み、どんな形勢判断をし、どんな迷い方をしていたかが克明に記されていた。棋士や将棋ファンはそのログを深く読み込み、それを受けてさらにまた活発な議論がなされた。それは本来より遥かに多くの人を巻き込んで行われた、形を変えた感想戦だった。
かつて、羽生善治三冠や森内俊之竜王名人、佐藤康光九段といった現在の棋界トップに君臨する棋士たちがまだ十代後半の若手だったころ、共同で将棋の勉強をする「研究会」を実施していた時期があった。今では伝説として知られているその研究会、通称「島研」を主宰していた島朗九段は、彼ら若手に共通する将棋の真理を追究する姿勢を、その著書の中で「純粋なるもの」と呼んだ。
彼らは当時未開拓だった序盤戦術を整備し、持ち前の高い終盤力を生かして、棋界の多くの常識を塗り替えていった。盤外戦術によって勝ちを拾うのではなく、技術を高め将棋の真理に近づくことで、自分が将棋を指す理由を見つけようとした。
それから20年以上の歳月が流れた今、コンピュータ将棋ソフトによって、棋界の趨勢は再び大きく動こうとしている。コンピュータ将棋ソフト開発者には、棋士たちと変わらない「純粋なるもの」が流れている。
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