ボカロ小説で「普段はできないことを全部やりました」 ネット育ちの文芸作家・木爾チレンさんが「蝶々世界」で描いたもの(2/3 ページ)
「中高生時代に『神』と呼ばれてました(笑)」――インターネットで小説を書き始め、やがて文芸の世界に飛び出した一人の若手作家はボカロ小説「蝶々世界」で再びインターネットに出会った。
塩貝 私はそこで初めて木爾先生の小説を読んだのですが、正直なところ、これまで一緒に仕事をした作家とは全く違うタイプの書き手だと思いました。
若い女の子の気持ちを描くのが本当に上手だったんです。思春期に独特の、ふわふわしたような気持ちってあるじゃないですか。彼女はそこを上手く小説として形にできるんです。蝶々先生の世界観もそういうふわっとした魅力があるので、あまり設定をキッチリと固めたくなかったんですね。木爾先生に連絡をとってみて、楽曲をとても大事にしているのが伝わってきたし、「この人なら大丈夫だろう」と判断しました。
木爾 とにかく「うれしい」のひと言でした。当時、長編小説を書いていたのですが、その編集者に「こちらを先にやらせていただきます」と伝えたくらいです(笑)。
ただ、ボカロ曲は大好きだったのですが、ボカロ小説の存在は全く知りませんでした。それから本をたくさん送っていただいて勉強を始めて……そうそう、ねとらぼのあの記事もホンマに何回も読み返したんですよ。
――なんと、作者の方に参考にしていただけるとうれしいですね。読者層はどのように意識しましたか?
木爾 まずは、普段ボカロ小説を読んでいるような、10代の女の子ですよね。
一方で、私の名前で出すからには、文芸の読者も楽しませたいと思いました。参考にしたのは、少女漫画です。昔からある「目と目が合うだけでドキッとする」みたいなものです。ああいう少女漫画って、もちろん中高生の女の子は読むし、大人になっても好きな人は読み続けています。その辺を軸にしながら、男性読者にも楽しめる要素を混ぜていこうと思いました。
――ボカロ小説を扱う編集者は、よく「楽曲の世界観の“答え合わせ”の部分で読まれているんじゃないか」と話します。でもこの作品は蝶々Pの歌詞から木爾さんが大きくイマジネーションを広げていますね。
木爾 蝶々先生からキーワードはいただいたのですが、あとは本当に自由に書かせていただけました。先生からは何を書いても「面白い!」と返ってくるので、実は少し不安だったくらいです。曲も好きなものばかり選びましたし。ただ、彼の楽曲の大事なものは壊さないように気をつけています。あの、現実から5センチ浮いているような美しさですね。
塩貝 木爾先生から上がってくる原稿がどれも面白くて、あまり手を入れるところはありませんでした。私自身も編集部でゲラを読みながら何度も泣いてしまったり……(笑)。
「神」と呼ばれた中学生メルマガ作家時代
――木爾さんは、R-18文学賞からデビューされてます。あまり描かれずにきた女性の感覚を言語化した作家たちをデビューさせてきた賞ですよね。
木爾 受賞作の選評では、セックスシーンで「あー、はやく終わらないかな」と女の子が思う様子を赤裸々に書いたことが褒められたんです(笑)。私の場合は、たぶん他の賞だったら受賞していなかったと思いますね。
受賞作は大学4年生のときに、就職活動をやりたくなくて書いたんです。無職のまま迎えた卒業式の翌日に受賞の電話がかかってきて、「ああ、これでニートではなくなる」と喜びました(笑)。ただ、初めて純文学を書いたのは大学3年生のときで、それまでは同人みたいな作品を書いていたんですよ。
――同人ですか。木爾さんのTwitterを拝見していると、アニメや乙女ゲームなんかの、それもわりと「擬似恋愛」系のコンテンツがお好きですよね。
木爾 小学生の頃からですね。最初は「カードキャプターさくら」のリー君(※李小狼)に恋してました。お小遣いを全部リー君のカードに突っ込んでいましたからね。男の子とアニメイトに行ったときにやってしまって引かれたこともあります(笑)。
本当にあの頃は、世界が「CCさくら」を中心に回っていました。最近、小学校の卒業アルバムを見たら、尊敬する人物に「李小狼」と書いてありましたから……まあ、これはちょっと黒歴史ですが。
あと、小学生の頃に父が買った「ときめきメモリアル」にハマっていたのですが、高校生になった頃「Girl's Side」が出たんです。もう、何回も何回もプレイしました。今回、蝶々世界に収録された「藤森鳥子(仮)の投稿」はときメモを意識しているんです。あの物語に出てくる「玲司先輩」は、「ときメモGS1」の氷室零一の“れい”と「ときメモGS3」の設楽聖司の“じ”を足して、あの名前にしているんです。
――名前にそんな秘密が(笑)。そういえば、木爾さんたちは乙女ゲーム市場の成長とともに育った世代なんですよね。それに1987年生まれだと……まだホームページが盛り上がってましたか?
木爾 私の周囲は、ホームページよりもメルマガだったんですよ。ただ、そこでは中学1年生の頃から書きまくってましたね。ボーイズラブも書いたし、夢小説も……本当にいくつも、いくつも。
実は私、中学3年生から高校2年生までの3年間、あるジャンルのメルマガで読者数が1位だったんですよ。1000人読者がいれば大手と言われるジャンルで購読者が1500人くらいいて、当時はネットで「神」と呼ばれてました(笑)。
――“超”のつく大手だったんですね。そうなると、ファンが多いぶん、アンチも多かったんじゃないですか(笑)。
木爾 もちろん、2ちゃんねるに何度も書き込まれたりしてましたね。懐かしい(笑)。
この“木爾チレン”というのは、その頃のハンドルネームをそのまま使ってます。当時は女の子から感想メールがめちゃくちゃ沢山来るので、返事をするのが大変でした。でも「泣いた」とか「感動した」みたいな感想が本当にうれしくて、「私は小説家で生きていこう」とそのときに決めました。
――中高生の頃に、そういう体験ができたんですね。文芸の世界に入ったきっかけはなんですか。
木爾 大学1年生のときに読んだ村上春樹さんでした。それまでは、貴志祐介さんの「青の炎」みたいなホラー小説やサスペンス小説ばかりで、あとはネット上の同人小説を読んでいただけだったんです。それが「ノルウェイの森」を読んだときに「こんな文章が世界にはあるんだ」と驚きました。
その後に読んだのは女流作家の方が多いですね。川上弘美さん、よしもとばななさん……平仮名が多い文章だけど、彼女たちはとても美しいんです。
――少女漫画と比較されてきたような女流作家たちですね。あの頃の同人小説で活躍していた人がそこに行くのは、なんか納得です。
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