冬になり、湖が氷で覆われる時期になると現れる「フロストフラワー」。この不思議な白い花は、ある一定の条件をいくつもクリアしなければ生まれません。厳冬期にしか見ることができないこの光景、いったいどのように誕生するのでしょうか。
その正体は水蒸気の結晶。自然が作りだした「霜の花」
白い花の正体はズバリ、水蒸気の結晶です。どのようにして生まれるかというと、まず、湖面から蒸発した水蒸気が凍って、氷のカケラなどの小さく突起した部分にくっつきます。その突起を中心に水蒸気が次々に凍りつき、結晶となって大きく成長し、美しい花のような形になるというわけです。
「フロスト」の意味は「霜」。つまり、「フロストフラワー」とは、「霜の花」という意味です。
霜の花が育つ条件は、気温‐15℃、無風、厚くない氷、積雪ゼロ。出会うのはむずかしい
「フロストフラワー」が育つには、いくつもの自然条件が必要です。まずは、湖の表面が凍っていて、氷の上に雪が積もっていないこと。そして、その氷があまり厚くないこと。ワカサギ釣りができるくらい十分に氷が厚くなってしまうと、水蒸気が立ちにくいので、霜ができづらくなってしまいます。
次に、気温がマイナス15度以下であること。氷の表面から立ち上る水蒸気が一瞬にして霜になるには、空気がキーンと冷えていなければなりません。放射冷却で冷え込みが厳しい朝などは、出会えるチャンスです。
そして、風が吹いていないこと。せっかく夜中に霜の花が育っても、朝方に風が吹いてしまうと一瞬にして消えてしまいます。なんという儚さ(はかなさ)なのでしょう。
このように、「フロストフラワー」は、多くの条件をクリアしなければ見ることができません。そして、これらの条件こそが、厳冬期にしか出会えない「奇跡の花」と言われるゆえんなのかもしれません。
奇跡的に条件がそろっている阿寒湖では、3月まで見ることができる
「フロストフラワー」は条件さえそろえば、放射冷却で冷えきった12月の朝などに、湖はもちろん、川や沼、家の周りの水たまりや水の張ったバケツなどで、よく見かけられます。でもそれは、花畑といえるような数ではありません。上の写真のように、湖全体が花畑のようになるところは、あまり多くありません。
ところが、この厳しい条件をクリアする湖が日本にあるのです。それは、北海道の道東に位置する阿寒湖です。
北海道をはじめ北国の湖は、冬になるとどんどん氷結し、その上でワカサギを釣ったり、スノーモービルに乗ったりできるほどに氷が厚くなってしまいます。ところが、阿寒湖は湖底から温泉が湧き出しているので、マイナス15度の厳冬期になっても厚い氷に覆われることがありません。3月中旬までは、朝になると薄い氷が張るという12月と同じ状態が保たれます。
また、周囲を山に囲まれているカルデラ湖なので、平野から吹いてくる風が山々にさえぎられて、強い風が吹きこむこともありません。
一般的に「フロストフラワー」の“旬”は12月ですが、このように、阿寒湖では奇跡的に条件がそろっているので、3月中旬までは見ることができるのです。
阿寒湖で「フロストフラワー」に出会える確率は30%と言われています。うまくいけば、あと1カ月以上は出会えることができそうです。ただし、阿寒湖は氷が薄いところがあるので、見に行くときは要注意。個人で行って穴にはまってしまう危険があります。
阿寒観光協会では、「フロストフラワー」が現れそうな時間や場所をガイドが案内するツアーを行っています。「阿寒湖観光ナビ」のホームページはこちら。また、北海道では阿寒湖以外にも、屈斜路湖(くっしゃろこ)や朱鞠内湖(しゅまりないこ)、糠平湖(ぬかびらこ)などでも見ることができます。
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