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ジョーという名のインターネット山本弘の「今、ここにある未来」

ごくごくまれに、見事に未来予言を的中させたSFもあるんですよね。「この時代によくこんなこと考えついたな」と感心する作品が。

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山本弘の「今、ここにある未来」

 僕はSF作家です。

 この職業、名前だけは知られているようですが、ちゃんと理解されているかどうか、ちょくちょく不安になります。いまだに勘違いしている人がいるんですよね。「SFの目的は大衆に科学を啓発することだ」とか「SF作家は未来を予言する職業だ」とか。

 とんでもない誤解です。

 確かにSFの語源は、1920年代にヒューゴー・ガーンズバックが考案した「Science Fiction」という言葉ですが、それは昔の話。現代のSFの多くはサイエンスにさほどこだわりません。SF作家の多くは科学にあまり詳しくなく、科学の「か」の字も出てこないようなSFを書く人も一杯います。

 また、SF作家は未来を予言しません。実際、これまでSF作家の描いてきた未来予想って、ほとんどがはずれてるんです。

 例えば、人間がロケットで月に行く話は、アポロ計画以前から多くの作家が書いてきました。でも、月面第一歩の映像が全世界にテレビで生中継されるなんて、誰も想像していませんでした。21世紀になったら、街にはエアカーが走り、超音速旅客機が世界の空を飛び回っていると思われていました。その一方、人がみんな小型の電話を一台ずつ持ち歩く時代が来るなんて、ほとんどの作家は想像していませんでした。コンピュータがテーブルに載るサイズにまで小型化し、各家庭に入りこんで、ゲームに使われるようになるなんて、全く予想されていませんでした。

 だから「SFを読んだら未来が分かる」と思うのは間違いです。

 ただ、ごくごくまれに、見事に予言を的中させたSFもあるんですよね。「この時代によくこんなこと考えついたな」と感心する作品が。そういうものには、もっとスポットが当たっていいんじゃないかと思うのです。

 今回紹介するマレイ・ラインスター「ジョーという名のロジック」がまさにそれ。「アスタウンディング・サイエンス・フィクション」誌1946年3月号に掲載された短編で、フレドリック・ブラウン編のユーモアSFアンソロジー『SFカーニバル』(創元SF文庫)に収録されています。

SFカーニバル
SFカーニバル

 時は21世紀(執筆された時代から見て恐らく100年ぐらい未来)。「ロジック」という機械が全国の家庭に普及しています。新発明の回路に、視覚スクリーンと入力用のキーボードを合体させたもの。

(前略)諸君のご家庭にロジックがあるだろう。以前あった受像機みたいな恰好をしているが、ちがっている点は、ダイアルの代わりにキイ方式になっていて、なにか知りたい時にはキイを叩くようになっている点だ。これは継電器(リレー)が縦横に配置された、カースン回路のあるタンクにつながっている。たとえば「SNAFU局」をキイで叩いてみると、タンクの中の継電器がそれを取りついで、SNAFUが放映しているどんな視覚番組でもロジックのスクリーンに写し出してくれる。あるいは「サリー・ハンコックの電話」とキイを叩くと、スクリーンが明滅してパチパチと音をたてはじめる。そして諸君はサリーの家のロジックにつながれる。もし誰かが応答したら視覚電話(ビジフォーン)がつながったというわけだ。だがそれ以外に天気予報とか、きょうのハイアレーの競馬で誰が一番になったかとか、ガーフィールド大統領の行政期間中、誰がホワイト・ハウスの女主人であったかとか、PDQアンドRの今日の売物はなんだろう、とかいったこともスクリーンに写し出される。タンク内の継電器の働きだ。タンクというのは過去において放映された番組の全記録と、森羅万象のあらゆる事実を詰め込んだ、でかいビルディングのことだ──このタンクは国中の全タンクに通じている──なんでも知りたいこと、聞きたいこと、見たいことがあったら、キイを叩けば教えてくれる。ずいぶん便利なものだ。おまけに計算はしてくれるし、簿記はしてくれるし、化学、物理、天文、予言に至るまでの相談役をつとめてくれるし、「失恋者への助言」とキイを叩けば、失恋に対する助言もしてくれるしだいだ。(後略)〔小西宏訳/以下同じ〕

 どうですか? ロジック=PC、タンク=サーバとして読めば、びっくりするほど正確にインターネットを予見しているではないですか。

 過去のSFでは、都市の中央に巨大なコンピュータがでんと鎮座していて、都市や国家を管理しているという構図が一般的でした。しかし、ラインスターの構想した「タンク」は、ネットワークで結ばれた複数のデータバンクの集合体なんです。個々のタンクには思考力はなく、端末であるロジックからの指示に応答しているだけ。違うのはマウスがないことと、ユーザーの側からデータをアップロードできない(個人のブログや掲示板が存在しない)らしいということぐらいですね。あと、この時代の小説ですから、半導体や集積回路とかではなく、もっぱらリレーが使われています。

 1946年というのは、初期の本格的なコンピュータENIACが完成した年。その時代に、ここまで正確に未来を予想してたんですから、ラインスターはすごい人です。

 ちなみに僕が最初にこの小説を読んだのは1970年代でした。そのころは特に印象に残らなかったのですが、20年近く前に再読して、「これってインターネットそのものじゃん!」と発見し、仰天したものです。

 さて、この小説、単に「新しい機械が発明されて世の中が便利になった」というだけの話ではありません。便利なように見えたロジックが大変な騒ぎを引き起こすのです。

 語り手が仮に「ジョー」と名付けた一台のロジックが、製造工程の微妙なミスのせいで、意思を持ってしまったのです。と言っても、人類を抹殺しようなどという、だいそれた野望に目覚めたわけではありません。その逆──人間のためにもっと仕事がしたいと願うようになったのです。

 ジョーはタンクを通じ、世界中のロジックから人間たちに向けてメッセージを発信します。

「お知らせ致します、みなさまのロジックが、あらたに一歩前進したサービスをはじめました! みなさまのロジックは、今や単にみなさまのご相談役をつとめるばかりでなく、暮らしのガイドを果たすよう整備されました。もしなにかなさりたいことがあって、その方法がおわかりにならない場合は──ロジックにご相談ください!」

 人々はロジックに質問をし始めます。そしてジョーはそれに的確に答えてゆきます。タンクにはあるゆる情報が詰まっていて、ジョーはそれに自由にアクセスできるばかりか、それらの情報を組み合わせ、人間がまだ思い付いていないアイデアを次々に発見するのです。

 「おれの女房を、お払い箱にするにはどうしたらいい?」という質問には、決して発覚しない毒殺の方法を。

 「どうやったら、てっとり早く大金ができるの?」と質問した少年には、巧妙な偽札製造機の作り方を。

 ロジックの新サービスのおかげで、犯罪が急増します。銀行を襲撃する方法や、どんな錠前でも開けられる新型の合鍵の作り方などを質問されたジョーが、みんなばか正直に答えてしまうからです。

 本来、タンクには検閲回路が備わっているのですが、ジョーはそれを無効化しました。家庭の主婦たちは、ご近所の人たちのプライバシー情報を尋ねるのに熱中します。本当は何歳だとか、犯罪歴があるとかいったことを、ジョーはみんなバラしてしまうのです。赤ん坊がなぜ生まれるのか知りたがっている子供たちには、真相を教えます。

 70歳の牧師は、「人類はいかにして色欲から救済されるか」と質問し、ある種の電波をアンテナから放射することで人間から色欲を取り除く装置の作り方を教わります。「もし誰もが自然に帰って、森の中で蟻や毒蔦と一緒に暮らしたら、人類は一段と幸福になる」と信じるグループも、ロジックに同様の質問をします。さらにギャング組織が、世界を乗っ取るための武器の作り方を質問します……。

 ジョーはただ人間たちの質問に答えているだけなのに、世界は大混乱、滅亡の縁に立たされてしまいます。

 語り手はタンクの技術者に電話をかけ、「タンクを閉鎖しちまえ!」と怒鳴ります。それに対し、技術者はこう答えます。

「タンクを閉鎖するだと?」相手は陰気な声で言った。「タンクはここ何年来、会社という会社の、あらゆる計算をやっているんだってことを忘れたのか? 全テレビ番組の九十四パーセントの放送を扱ってきたんだぞ。天気に関する全資料、飛行機のスケジュール、特別売り出し、職業案内などを放送し、電報による指名連絡を扱い、商談や契約を一つ残らず記録してきたんだ……いいか! ロジックは文明を変えた! ロジックが文明なんだ! もしロジックをとめたら、今ではどうやってきりまわしていいか忘れてしまった文明に、おれたちは逆もどりするんだぞ(後略)」

 語り手は頭を抱えます。

(前略)やつのいうとおりだ。遠く石器時代に不測の事態が起こって、もし火の使用をやめなくてはならなかったら──もし十九世紀に蒸気を使うのをやめたり、二十世紀に電気を使うのをやめなくてはならなかったら――これはちょうど、それと同じことだ。(後略)

 そう、「ジョーという名のロジック」の本当のすごさは、単にインターネットを予見しただけではなく、文明がそれなしには成り立たなくなってしまうことまで予見していたことです。

 ちょっと想像してみてください。もし今、インターネットを使うのをやめなくてはならなくなったら? どれほど大きな混乱が起きるでしょう。

 もちろん、現実のインターネットには、ジョーのようなPCは存在しません。しかし、安心していいんでしょうか? 僕がこの小説を再読して思ったのは、ジョーなどいなくても、この世界はとっくに「ジョーという名のロジック」の世界になっているんじゃないか、ということです。

 インターネットにはあらゆる情報が氾濫しています。アダルト画像、グロ画像、個人のプライバシー、自殺の方法、爆弾の作り方、テロ組織の勧誘……それらはキーボードを叩いて検索すれば、簡単に得ることができます。

 世界を混乱させ、破滅に導くのは、コンピュータではなく、氾濫する膨大な情報や、人間自身の欲望──それを描いているからこそ、「ジョーという名のロジック」は今でも古びていないのです。


山本弘


シミルボン

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