「甲子園の土は、スパイク袋で持って帰って、実家にそのまま置いてきました。ほかの人へ配ってもいません。今、あるのかどうかすら分からない」
熊本工業は当時毎年のように甲子園へ出る常連校だったため、土への思いも部員たちはおおむね薄かったとか。そして「土への特別な気持ちはない」と繰り返しながらも、星子さんはこうも言います。
「(土に関して冷めているのは)決勝でああいう負け方をした、という悔しさも少しはあったのかもしれないな……」
桑田からヒットを打った5番バッター、土は倉庫で行方不明……
津久見高校でPL学園と対戦した中田さん(仮名)。チームは完封負けを喫するも、5番ライトとしてエース桑田真澄相手に、見事センター返しのヒットを放ちました。
彼によると、当時は試合後だけでなく、甲子園の練習時にも少し、土を取れる時間があったそうです。そのため、練習のときに取って、試合後にも取って……と、二段階で土を集めたとか。
「試合の後は土を入れる時間がなく、追い立てられてしまうのと、練習のときはベンチ入りメンバー以外もグラウンドへ入れるから……でしょうか」
その土は友達や担任の先生などほうぼうにあげて、今ではイチゴジャムぐらいの小さなビンに残る程度。しかも結婚時に行方不明になってしまったとか。「母屋の倉庫のどこかにはあるんじゃないか」とのこと。
「何もないところでヘッドスライディングして、こっそり土を持ち帰る者がいた」
森田裕貴さんは2005年の夏、前橋商業で4番ファーストとして出場。初戦の2回戦で熊本工業に勝ち、次の3回戦で日大三高に敗退するも、そこでタイムリーツーベースを放った強打者でした。
なお試合の前の日に、「戦う前に、負ける話をするのもなんだけど……」という形で、監督から話があったとのこと。そこでは「負けたときは、みんなのために、ちょっと多く土を取っておいてくれ」という、監督ならではの思いやりある言葉があったとか。
ベンチ入りメンバーは18人だけ。全体で100人ぐらい部員がいたので、森田さんたちレギュラーは、ベンチへ入れなかったみんなに土を分けました。その他友達や親戚らにも配り、現在はビン数本に土が残っていて、家に飾っています。
ちなみに甲子園の土は、試合に負けたとき以外に取ろうとすると、グラウンドの管理員さんに注意されてしまったとか。そこで公開練習のとき、何でもないところで「ヘッドスライディング」して、こっそり土を持って帰る者たちがいたそうです。
公開練習では、ベンチ入りメンバー以外でも甲子園の土を踏めます。そんなスキを突いての、涙ぐましい努力で土を持ち帰ろうとしていたのかも知れません。
地元中学校の職員室の前に飾ってくれた
yusukeさん(@lang_s15)は高知高校出身。3年生の夏、広島の名門・広陵高校と対戦し、健闘するも5-8で敗退。yusukeさんは代打出場するも、レフトフライに倒れました。
たくさん持って帰った土は、地元の知り合いたちにあげたとか。さらに出身の中学校には、仲の良さゆえに「もっとちょうだいよ」とねだられて、いちばん多くの土を置いていったそうです。それを中学校側は職員室の前に名前入りで飾って、地元の英雄をたたえました。残りは甲子園で買ったビンに詰められ、家に飾られています。
「甲子園の土を眺めることもあります。3年間の努力の結晶ですので、仲間とのキツくつらい練習の日々を思い出させてくれます」
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