エンタメ型クイズの覇権・衰退・現状
エンタメ型クイズ番組について、先ほど僕はまずコアとなる「3つの喜び」(「正解する喜び」「教養を蓄える喜び」「会話する喜び」)を挙げた。これらのさまざまな「喜び」については、後の議論のために詳しく触れておく必要があるだろう。
ここでは僕自身の論ではなく、いくつかの先行研究をまとめる形で、エンタメ型クイズの要素と変遷を見ていく。
太田省一は『クイズ番組とテレビにとって『正解』とは何か―1960年代から80年代の番組を事例に』の中で、70年代から80年代のクイズ番組では、「問いさえあれば何かしらの正解が成立し、それに解答することへの面白みが存在した」ということを「『正解』という制度の遊戯性」と表現している。ここにおいて、重視されるのはもはや問いの内容や出来ではなく、「正解」の快楽である。
太田は同時に、『ウルトラクイズ』などを例に挙げて「『正解』という制度の遊戯性は、クイズを手段とした純粋なコミュニケーションとしての楽しみともつながっている」と話す。
この点については徳久倫康『国民クイズ2.0』に詳しい。徳久は戦後日本のクイズ番組が、アメリカによる家父長制弱体化という意図のもと、家族のコミュニケーションを増加させるツールとして導入されたことから、クイズ番組の「家族会話のツール」としての側面を指摘する(この点については、それ以前にも石田佐恵子が言及している)。ここ、超大事。
このような「会話ツール」的本質は、戦後日本に通底していた「教養」の範囲内で出題されるクイズによってもたらされた。ラジオ番組の『話の泉』(1946~1964)にはじまり、『アップダウンクイズ』(1963~1985)『クイズグランプリ』(1970~1980)『クイズダービー』(1976~1992)などの番組が、一般教養レベルの出題を行うことで、ゲームを楽しむとともに家庭内で学び、会話を通して共有するというテレビ越しの風景を作り上げた。
クイズ番組が持つ「教養を蓄える喜び」については、徳久以外では黄菊英も『クイズ化するテレビ』において「クイズの啓蒙性」として指摘しているほか、石田佐恵子もカルチュラル・リテラシー(ある文化の中における教養、親が子に教えるべきこと)を身につけるツールとしてのクイズの役割に言及している通りである。
その後、徳久はこのクイズ番組の「会話ツール」的本質が、クイズ研の登場と超人的クイズ王への「魔術的」演出などによって1990年代に崩れたことを指摘する(「魔術的」については筆者補足)。クイズ王たちの超人的な能力にフォーカスする(せざるを得ない)ならば、できたできないで盛り上がったり、父から子に教えたりといった家族の会話はなくならざるを得ないからだ。この点については次項で詳しく言及する。
クイズ業界でも一般的に1990年代半ばからの時代を、視聴者参加型クイズ番組が軒並み終了した「冬の時代」と呼ぶ。
ただ、これは何もクイズ研が出現して全てを一変させてしまったからだ、と断言することはできない。
「教養を蓄える喜び」の面でも、エンタメ性のあるクイズ番組には潮時が来ていた。
徳久は、宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を引用した上で、社会的な価値観を規定していた「大きな物語」が90年代半ばに失われたことで、みなが共有していた「教養」の概念が薄れたため、共通の価値観や幅広い視聴層を想定した番組作りが困難になったことがクイズ王時代の到来を迎え入れたとしている。
そして、視聴者が「正解する」「会話する」「教養を得る」喜びを失ってしまったクイズ王時代のクイズは長続きしなかった。
「冬の時代」にはそもそもクイズ番組が減ったばかりか、視聴者参加型の番組はめっきり減ってしまった。
その後、2000年代に復活した「エンタメ性」クイズ番組は、いずれもが「大きな物語」が失われた後の「教養」を、何かしらの媒介でもって補う形で成功した。
例えば『クイズ!ヘキサゴンII』ならおバカタレント、『Qさま!!』『平成教育予備校』なら学校風の設定などである。これらはお茶の間に「教養」という規範を感じさせ、再び会話を取り戻すことに成功した。
その後の『Qさま!!』は難易度の上昇などを経ているが、それにあわせ出演者の服装も学生服から正装へと変化している。この変化をもってしてなお番組の「教養」装置が機能しているのは、古くから出演しているメンバーや番組の作りが「教養」の規範をつなぎとめているから、といえるだろう。
スポーツ型「クイズ王番組」の短命なる歴史
前項でエンタメ型クイズが戦後史と綿密な関係を持ちつつ誕生したことを述べたが、対してこちらの「スポーツ型(ショー型)」クイズは遅れて登場する。
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