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郵便ポストはなぜ赤いのか?(1/2 ページ)

赤じゃなくても良くない?

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 街中でよく郵便ポストを見かけますね。最近ではメールやSNSの発達により手紙を送る機会が失われつつあるものの、ポストはまだまだ身近なものでしょう。

 そんな身近なポスト、当たり前のように赤いですが「ポストはなぜ赤いのか」ということを意識したことはあるでしょうか。



さくっと結論

 ポストが赤色になったのは、逓信省(ていしんしょう:かつて郵便を管轄していた省)が「人々がポストと分かりやすいように赤色」にすることを定めたという、とてもシンプルなものです。

 しかし、「分かりやすいように」する必要が生じたのにも理由がありました。そもそも、<誕生したばかりのポストは赤色ではなかった>のです。

 ポストの変化とともに、歴史をたどっていきましょう。


初期のポストとトンデモ事件

 日本で郵便制度が始まったのは明治時代。1871年、最初に設置されたものは木がむき出しの簡素なのもので「書状集箱」などと呼ばれていました。



 翌年以降、郵便制度が全国に広まるにあたり、黒のペンキで塗ったものに切り替わっていきました。



 しかしこの黒塗りのポストは、夜や雨の日などには目立たず分かりにくいものでした。また、「『郵便』を『垂便』と読み違えて中に排せつしていった人がいた」「爆竹が突っ込まれる放火事件が起こった」など、当時の治安を疑ってしまうようなトンデモ事件も発生していました。


新しいデザインを募集しよう

 そこで逓信省は、ポストの新デザイン案を募ります。1901年には、有力なデザイン案のものを大都市に試験設置しました。東京では、日本橋に2種類のデザインのポストが設置され、これらが「日本初の赤いポスト」とされています。



そのうちの1つ、回すと入れ口が現れて投函できる仕様の「回転式ポスト」

 試験設置などによる調査を経て、1908年に「赤色・円柱型・回転式差出口」のポストが正式に定められました。


なぜ赤と定めたのか

 上に述べた1908年の通達では、「朱色ペイント」と定められたのみで、その理由については分かりません。

 後の1910年に出される「逓信省年報」に、以下のような記述がみられます。


従来ノ郵便函ハ構造不完全ニシテ盗難予防、郵便物収容、使用耐久、道路障害等ノ関係上幾多ノ不便アリ
多年研究ノ結果内外ノ構造ヲ改メ円形柱函ト掛函ノ二種ト為シ孰モ鉄製トシ且公衆ヲシテ認識シ易カラシムルタメ特ニ朱塗トセリ
而シテ円形柱函ハ枢要ナル都市ニ設置シ他ハ掛函ニ改ムルコトトシ四十一年十一月七日ヨリ施行セリ
出典:『逓信省第廿三年報』(1910)


 つまり、「人々がポストと分かりやすいように赤色にした」とのことです。このポストにはほかにも、「通行の邪魔にならないように角をなくし丸型にした」「火事の心配がないように鋳鉄製にした」といった工夫が施されました。

 ところで、この「逓信省年報」が出たのは1910年。赤色ポストが試験的に設置された数年後のことです。1901年より前に、デザインを依頼する段階で既に「赤色」という指定があったとする説もあります。

 このため、「目立って分かりやすいから」というのはひょっとすると後付けなのかもしれません。


赤と定めた理由を考える

 では、逓信省の人々がポストの色に赤色を選んだ真の理由は何でしょうか。郵便の歴史から推測した結果として、次の2説を提唱します。

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