4歳の頃、筆者は真剣に洗濯機の説明書を読んでいました。別に洗濯機マニアだったわけではないし、説明書の意味もあまり意味も分かってなかったと思う。では、何故4歳児は洗濯機の説明書を読んでいたのでしょうか。
筆者とマンガの出合いは確か3歳頃。従姉の家を探検していた私は従姉の部屋で高橋留美子先生のマンガ作品『らんま1/2』と出合います。その頃はそんなに文字も読めませんでしたが、マンガは適当に絵を追っていたらなんとなく楽しい。
『らんま1/2』に魅せられた筆者は、昼間働いている母親の代わりに私の面倒を見ていた祖母の手を引き、本屋に出かけてはマンガ本をねだっていたそうです。祖母には「教育に悪い」と説教されたと母親は後に語っていました。
一度はマンガ本を与えられたものの、取り上げられた4歳児は「何か読めるもの」を求めて家をさまよいます。「読書ゾンビ」の完成です。そして選ばれたのが「洗濯機の説明書」だったのです……。
当時は子どもらしく絵本も読んでいました。でも絵本とは違う娯楽体験としてマンガ本を愛していたようです。
マンガ本との出合いは早かったものの、活字との出合いは遅かった筆者。「文学作品にあまり触れてこなかった」というのは自分にとってコンプレックスでもあり、しかも「どこから手を付けていいかわからない」状態でした。
文学作品は多すぎて、例えるならば「マンガで気になった作品が100巻超えていて手を付けるのにハードルの高さを感じる」のに似た状態だったんです。性質がオタクなので、どうせなら古典作品から手を付けなきゃいけないような気持ちに駆られていたんですよね。
そんな自分の気持ちを救った、本読みの知人の言葉がありました。
それは「これから読める作品がいろいろあるのはうらやましい」という言葉。これは、「たくさん読んで人並みにならなければ」と焦っていた自分にとってはかなり救われた言葉でした。焦りから「本を楽しむ」という本質を見失っていたんだと思います。
小説などの本を、もっと学生時代にも読んでおきたかったなとも思いつつ、たくさん娯楽がありすぎる現代だからこそ本というものの良さや、「何かをはじめるのに遅いということはない」ということに気づくことができました。
気になっていたことに対してエイヤッて挑戦してみる人生は、悪くない。でもなんで洗濯機の説明書だったんだろうね。
(ちぷたそ)
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