II
「娘は、純白のドレス姿で血まみれの状態で見つかりました。廃棄物の中腹に、機械のように仰向けになっていたのです。その手には紙切れがありました」
「紙切れ、ですか?」
「ええ。未来転生保険の案内状です」
未来転生保険とは、通称<インビジブル・クオンタム>。来たるべきシンギュラリティ社会の到来のために、肉体を捧げる存在である。
単純に言うと、あらゆる事が夢を見ているように可能になる――そんな薔薇色の未来に「転生」することができるほど技術が進歩するまで、自分の肉体を眠らせておく存在だ。
だが未だ実験段階であり、リスクは大きい。
脳を取り出して、超量子コンピュータのAIネットワークと一体化させる。
メルクリウス社主導の「安全・安心」を謳った機構であるとはいえ、大量に死亡者が出ているという黒い噂もある。
「まさか、娘さんはそんな危険なものに身を?」
「騙されたのです」
「騙された?」
「ええ」
「誰にデスか?」
タイプRが言った。機械的に冗談を言うのはやめてほしい。僕はゲーム機の前に彼女を置いた。
「正直、私にも……真相は、分からないのです。誰にそそのかされたのか。誰かにそそのかされたに違いないのです。ですが、私は確信をもっています。あの男にそそのかされた……畜生!」
ドン、と金網が叩きつけられた。感情の高ぶりが激しくなっている。無理もない。
「当時、婚約していた男にそそのかされたのです。私の所にも挨拶にきました。聡明そうな、一見立派な青年でした。でも……アイツがやったんだ、絶対に許さない!」
メルクリウス社に務めている男が、自分の婚約者を陥れた。でも、何のために? 動機が分からない。
「なぜ、そう思うのですか?」
「娘は当時、酷く精神的に参っていました」
背後で音が聞こえた。タイプRが音ゲーを連打し始めた。
「理由は分かりません。部屋は散乱し、壁にはナイフで切り裂かれたアトがありました。なぜ娘のメリッサがそこまで思い詰めていたのか。私には未だにわかりません。娘が使用していたコンピュータに事件の真相を知る手がかりがあるかと思いましたが、ロックされていて、解除することができません」
「なるほど。しかし、コンピュータの解析は、専門業者に、任せればいいのではないですか?」
「大切な娘の個人情報です。日記をつけていたようですし、誰かに見られるのも躊躇われるのです」
そこで、言葉が途切れた。
大粒の滴が、男の瞳からこぼれ落ちた。
必死で生きる人間の心は美しい。
場違いにもそんなことを思った。自分の心は壊れているだろうか?
「たとえ警察であっても見せたくないのです……ですから、こうして此処にきているのです」
「彼女の使用していたコンピュータは、まだあるのですか?」
「いえ。今朝、捨ててしまいました」
今朝?
「一刻も早く処理したかったのです」
「心中、お察しします」
まだ依頼人の男も混乱しているのだろう。
このコンクリート打ちっ放しの廃墟のような雑居ビルの一角にある告解部屋のある古びた事務所に、男が戸惑うのも無理はなかった。
「私は、絶対にその男を許せません。あの男がいなければ、あんな事故は起こらなかった。娘が死ぬこともなかった」
「婚約者の方を疑ってらっしゃるんですね」
「ええ。どうも、事件には不可解な点が多々あるのです」
「不可解な点?」
「とても死ぬようには思えなかったのです。だから、きっと、自殺ではない。娘の最後の言葉が、今でも心に残っています。『あした、雪。降るかな』ただそれだけを告げて、私を見送りました」
見送った?
「ええ。見て下さい」
そう言って、男は自分のシャツの腕をまくった。電子化された腕だった。うすく人工皮膚の下から、マニピュレータが作動する光の点滅が透けている。
最上級の義手ではないが、かなりの上物だ。
「お高かったでしょう」
「はい。この手術のために私は、メルクリウス社管轄の病院に収納されたのです」
そして無事にテクノ人間化:サイボーグ化の手術が終了した時には、吉報ではなく訃報が待っていた。
まさか娘が自殺しているとは思わなかっただろう。皮肉な話だ。
「いくら精神的に参っていたとはいえ、死ぬという選択はありえない。ありえないはずでした。明るい子でしたから」
「そんなに精神的に追いつめられていたのですか?」
「ええ」
強烈な勢いで電子音が背後で連打された。僕は告解者に気づかれないよう、早めに話を切り上げようとした。
「またいらしてください。われわれはいつでも話を聞きます」
すると、男は鉄の格子状の隙間から腕を伸ばした。
「待って下さい!」
凄い力だ。振り解くことができない。
「今日は、どうしても頼みがあってきたのです」
「頼み事?」
すると男は、差し物入れの隙間から分厚い封筒を突っ込み、言った。
「ここに100万あります」
そして、続けた。
「娘の死の真相を解き明かして下さいませんか?」
III
告解者の男が帰った後、タイプRが言った。
「あの男は何かを隠しています」
音ゲーは全クリしたようだ。
GAME THE END. のテロップが液晶画面に流れている。
「観察者さん」
タイプRが無表情に振り向いて、私に言った。
「私、あの男を殺すわ」
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