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「VR温泉に入ったらバーチャル湯冷めで風邪ひいた」 メタバースで現実の感覚を覚える 「ファントムセンス」はなぜ生じるのか【バーチャル美少女ねむの寄稿】(1/4 ページ)

この感覚は、あなたにも“生える”かもしれない。

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 VRの世界で温泉に入ったら、“バーチャル湯冷め”して風邪をひいた――そんなVR未経験の人には信じられないような話が、現実世界で起こっているそうです。

メタバース進化論転載 VR世界の体験が現実の感覚に影響を及ぼす「ファントムセンス」とは?

 現実には起きていない感覚を覚えるこの現象、通称「ファントムセンス」はどうして起きるのか。自分もVRの世界に入ったら、同じようなことがあるのか。実に興味深い事象ですね。

 そんな事象について解説しているのが、2017年からVTuberとして活動する「バーチャル美少女ねむ」さんの著書『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』(技術評論社)。同書が「ITエンジニア本大賞2023」で大賞を獲得したことを記念して、内容の一部を転載させていただけることになりました。そこで、同書の中でも特に人気のある、「ファントムセンス」に関するパートをここに掲載いたします。

 VRによって、人間は新たな感覚を“生やす”のかもしれません。

著者:バーチャル美少女ねむ(VTuber)

バーチャル美少女ねむ VR バーチャル 風俗店

「バーチャルでなりたい自分になる」をテーマに2017年から活動している自称・世界最古の個人系VTuber。個人がVTuberを始める方法を公開し、その後のVTuberブームに貢献。2020年にはNHK人気番組「ねほりんぱほりん」に出演しお茶の間に「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」の衝撃を届けた。ボイスチェンジャーの利用を公言しているにもかかわらず楽曲『ココロコスプレ』で歌手デビュー。自筆小説『仮想美少女シンギュラリティ』はAmazon売れ筋ランキング「小説・文芸」部門1位を達成。フランス日刊紙「リベラシオン」・朝日新聞・日本経済新聞などで、VR文化に関する掲載歴多数。

YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/nemchan_nel
Twitter:https://twitter.com/nemchan_nel


ファントムセンス概論

「ファントムセンス」とは何か

 「ファントムセンス(VR感覚)」とは、「視覚」「聴覚」しか再現されない現在一般的なVR体験中に、本来感じるはずのないそれ以外のさまざまな感覚を擬似的に感じる現象のことです。

 感じる感覚の種類や強さには個人差が大きいものの、現在メタバースの数多くの住人から、さまざまなファントムセンスを感じたという例が報告されています。人間の感じる感覚機能のうち代表的なものを「五感」と言いますが、その残り三つである「触覚」「嗅覚」「味覚」はもちろんのこと、「落下感覚」「風の感覚」「温度感覚」などもよく挙げられます。

 メタバース内で生活する住人を対象とした体系的な研究が行われるのはこれからの分野ですが、後述するとおり、原理的には脳がアバターの身体を実際の身体と「誤認識」することなどによって起こると考えられます。

 なお、「ファントムセンス」と「VR感覚」という言葉はほぼ同じ意味で使われる事が多いですし、本書でも特に区別せずに扱いますが、しいて言えば以下のような由来の違いがあります。

 「ファントムセンス(Phantom Sense)」:こちらは「幻肢(Phantom Limb)」に着目した表現です。交通事故などで失った身体の欠損部位の痛みを感じる現象を「幻肢痛(Phantom Pain)」などと言うように、物理的には存在しないはずの「幻の」身体部位のことを「幻肢(Phantom Limb)」と言い、それによって感覚を感じる現象のことを指します。VRの登場により、物理的には存在しない「幻の身体」であるアバターの感覚にもこの言葉が使われるようになりました。欧米のソーシャルVRユーザーの間ではこの言葉が使われることが多いです。

 「VR感覚」:こちらは「VR(バーチャルリアリティ、仮想現実) 」に着目した表現です。物理的には視聴覚しか再現しないはずの現在のVRにおいて、ユーザーがそれ以外のさまざまな感覚を「仮想的に」に感じる現象のことを指します。日本のソーシャルVRの住人、特にVRChatのユーザーが使い始めて広まった言葉です。

メタバース原住民たちは何を感じているか

 ソーシャルVRの原住民は実際にどのような「ファントムセンス」を感じているのでしょうか。よく話題に挙がるものから順に紹介します。

  • 落下感覚

 感じる人が最も多いと言われており、ほとんどの人が感じます。ソーシャルVRのワールドには高さがあるものもあり、例えば移動の際に建物から飛び降りるなど、高いところから落ちるときに感じます。VRに限った現象ではなく、テレビゲームなどでも、操作しているキャラクターが落ちるときにぞわっとした感覚を感じる人は多いと思います。VRだと一人称視点の没入体験になるため、それよりも遥かに強烈な体験になります。慣れないうちは高所から下を見下ろしたりするとかなり恐怖を感じます。

メタバース進化論転載 MVのロケハンで島の上空を飛行するねむの視界 - Neos VR
  • 風の感覚

 こちらも非常に多くの人が感じやすいもので、代表的なものが他人の「吐息」です。ソーシャルVRに限らず、VRの恋愛シミュレーションゲームなどで顔を近づけて来た女の子の吐息を感じてのけぞってしまう事例は有名です。聴覚によって引き起こされる側面が大きいと言われており、音声による擬似感覚を楽しむいわゆる「ASMR動画」などでも、吐息の音声を聞いて耳元にざわっとした感覚を得たことのある人は多いと思います。

 ソーシャルVRだとこれに加えて、物理現実で言うところの自然界の風にあたる「ワールドの風」を感じることがあります。例えば、ワールドの木々の揺れかた、空気の中の塵の動き、自分の髪の揺れ具合などによって、その世界の風を感じることがあります。本書ではこれは吐息とは分けて扱います。

メタバース進化論転載 ワールドを吹く風を感じるねむ - Neos VR
  • 触覚

 5章でも詳しく解説したソーシャルVRにおけるアバター同士のスキンシップの際などに、まるで自分のアバターの身体が実際に触られたかのような感覚を覚えることがあります。多くの場合はふわっとした僅かな感覚であり、仲の良い相手とスキンシップをしてそれを楽しむことが一種の文化になっている場合もあります。ただし、感度が強い人の中にはかなり不快感を覚える方や、叩かれたりすると「痛覚」と言えるレベルの感覚があるという人もいるので注意が必要です。

 私はあまり強くないですが、フルトラで常に脚を動かしていることもあってか、太ももなどを触られたときにざわっとした触感を感じることがあります。

  • 温度感覚

 ソーシャルVRのワールドには、水中や温泉など温度を感じさせるものが数多くあり、熱さや寒さを感じることがあります。

 私は特に温度を感じやすく、そのときの物理現実の季節と極端にかけ離れたワールドに行くのは苦手です。例えば、温泉のワールドでなんとなく身体の熱さを感じて服を脱いでしまったら、そのあと「バーチャル湯冷め」して風邪を引いてしまった、なんて話も聞きます。

メタバース進化論転載 温泉を楽しむメタバース住民たち - VRChat
メタバース進化論転載 ダイビングを楽しむねむ - VRChat
  • 味覚・嗅覚

 ソーシャルVR内で食べ物や飲み物の3Dモデルを顔に近づけられたときや、食べる仕草をしたときなどに、味や匂いを感じるという人も一定数います。

 私自身は一度も感じたことはないですが、食べ物を顔に近づけられると空腹感が刺激されて夜中に食べてしまって後悔することが多いので、それとは関係なく止めてほしいです。

 このように「ファントムセンス(VR感覚)」によって、さまざまな感覚を感じることがあるようです。当然ソーシャルVRの住民でも全く感じない人も多く、「ソーシャルVR国勢調査」のレポートを見るまでは他の人が言っているのを冗談だと思っていたという声も聞かれました。

ファントムセンスの原理:クロスモーダル現象と共感覚

 いったいどのような原理でファントムセンスが生じるのでしょうか。よく説明として挙げられるのが、認知心理学などの用語である「クロスモーダル現象」と「共感覚」です。

 クロスモーダル現象とは、本来別々である感覚が互いに影響を及ぼし合う現象です。例えば、赤い色(視覚)のシロップからイチゴ味(味覚)を連想してしまうことなどが有名です。経験的にセットで起こることが多い感覚同士の結びつきを脳が一度覚えてしまうと、その後は片方の感覚からもう片方の感覚を脳が補完しようとすることなどによって生じると言われています。経験によって後天的に生じるものなので誰にでも起こりうる現象ですが、人によって経験する体験や感じ方が違うため個人差は大きいです。

 先ほど挙げたVRの恋愛シミュレーションゲームで映像(視覚)と音(聴覚)から「吐息」を感じる事例はクロスモーダル現象の一種だと考えられますが、異性と付き合った経験がないと感じづらいなど、感じる感覚に極端に差が出るそうです。また、ソーシャルVRで感じるスキンシップも映像(視覚)から「触覚」を感じるクロスモーダル現象の事例だと考えれますが、こちらはスキンシップを繰り返すことにより感じやすくなることが経験的に知られており、現実の感覚と紐付けるためのコツのようなものがあるのかもしれません。

 一方、共感覚(シナスタジア)とは、ある刺激に対して、本来起こるはずの通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚も自動的に生じる現象です。例えば音楽の世界などには、音を聞いた際に、音階の高さによって「はっきりと音に色が付いて見える」人がいるそうです。こちらは多くの場合は先天性のもので、一種の特殊能力のようなものです。

 このうちの一種で「ミラータッチ共感覚」というものがあります。映画の中の俳優などが身体を触られているのを見ると、自分自身の身体も触られているような感覚をはっきりと得るといった現象です。これは「幻の身体」であるアバターの感覚を感じる現象に近いと言えそうです。特に訓練をしていなくても初めから強い触覚をファントムセンスで感じる人などもおり、そういう人の感覚は一種の共感覚である可能性があるかもしれません。

 「クロスモーダル現象」にせよ「共感覚」にせよ、現象が起こっている際の脳活動を調べると、実際に感じている時と同じ脳の部位が反応していることを示す研究があります。つまり、脳にとっては実際にその感覚を肉体で感じているのとなにも変わらないということです。

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