ホストデビューが話題、羽賀研二の「忘れられない言葉」とは―― いいとも青年隊、熱愛、逮捕、現在まで激白90分 :私の人生が動いた瞬間(3/4 ページ)
ホストデビューが話題の羽賀研二さんを取材しました。
すべてを失った、突然の逮捕――
――羽賀さんの中で最もつらかった瞬間はいつですか。
羽賀:突然の逮捕ですね。芸能人は「展示会」「お見立て会」といった“営業”に呼ばれることが多く、僕もそういった仕事をよくお受けしていました。その中でジュエリーブランドの展示会に伺った際、「僕にもできるのではないか」と思ってジュエリーデザインの勉強を始めたらとんとん拍子にうまくお話が進み、最初は「羽賀研二プロデュースのジュエリー」を、その後は完全に「羽賀研二がデザインしたジュエリー」を販売し、かなりの売り上げとなっていました。
逮捕された当日もジュエリーの展示会のお仕事で愛媛の松山空港に着いた瞬間、4人の男性に囲まれて。「當眞美喜男(とうまみきお)か?」と僕の本名を言われたんです。
――その瞬間何を思いましたか。
羽賀:久々にドッキリ番組のオファーがあったんだなと思いました。当時はジュエリーの仕事が絶好調で年間280日は全国を飛び回り、年収も数億円あるような状況でしたから、芸能の仕事は極力セーブしていました。とはいえ、刑事役をドラマの仕事でやったことがあったので逮捕の手順みたいなものは何となく分かっていて、「久しぶりにこの感じか〜カメラはどこだ??」と必死にあたりを見渡していました。
――本当の逮捕だと気づいたのはどのタイミングでしたか。
羽賀:空港派出所に場所を移して話を聞かれていく中で、「これが逮捕状。わかるな? ここに『羽賀研二こと當眞美喜男』って書いてあるからな」と逮捕状を見せられたときに、「ドッキリ番組で僕の本名を言うかな?」と違和感を覚え、マネージャーに「どういうことなの?」と聞いたら、マネージャーも困惑しきった表情で。そのうちに刑事が持っていた手錠を掛けられて、その冷たさと重さにゾッとしました。
――逮捕後はどうなりましたか。
羽賀:とにかくパニックでしたね。松山空港から数時間かけて陸路で大阪府警まで移送されたのですが、車が警察署に入っていくタイミングで刑事から「かがめ」と言われて。僕は後ろめたいことをしたつもりがなかったので、「頭を下げて顔を隠したくない。堂々と入りたい」と言ったのですが、「とにかく頭を下げろ」と言われて。のちに分かったことですが、このとき報道陣約200人が大阪府警に集結していたそうです。
――逮捕容疑は未公開株を巡る詐欺ということだったんですよね。
羽賀:はい、「医療関連会社の未公開がこれからすごく値上がりしそうだ」という話を信頼できる人から聞いて、僕は「この株を買うしかない!」と全財産をその株の購入につぎ込むことにしたんです。しかし当時の僕は欲もあって、「もう少し株を買いたい」と、知人の不動産会社社長に借金できないか相談しました。すると「何に使うんだ?」と尋ねられて、「株を買う」と話したら「だったらお金を貸す条件として自分にも株を渡してほしい」と言われたのでその通りにしたのですが、上場前にその医療関連会社が倒産してしまい、トラブルになりました。
――“騙そう”という気持ちは少しでもありましたか。
羽賀:ないです。逮捕されてから今日まで僕はずっと「無罪」を主張しているんです。23歳からコツコツと沖縄に土地・建物を買っていっていて、それで資産形成をしていきましたが、株は正直門外漢だったんです。でも信用している人からいい話を聞いたと思って飛びついてしまった中でのトラブルでした。自分自身もこの会社の倒産で2億5000万円を損しましたし、本当に騙してやろうとは思っていませんでした。
――裁判でも同様の主張をされていたのでしょうか。
羽賀:そうです。検事からは「否認」と言われましたが、僕としては「否認と無罪は全くの別物」という理解がありましたから「無罪」を主張し続け、一審では無罪判決が出たんです。しかし、最終的に一審の無罪判決の決め手となった証人の証言が糖尿病の症状の一つである、「視野狭窄」を患っていたこと理由に証拠が採用されないこととなってしまい、実刑判決が下されました。
――初犯で実刑というのはあまり聞かないですよね。
羽賀:これは僕が「無罪主張」をしたからだと弁護士に言われました。二審の段階で弁護士からは「認めれば執行猶予が付く可能性もあるが、無罪主張の場合実刑の可能性が高い」と言われました。しかし僕としては前述の理由から「無罪主張」を変えることはありませんでした。その後は実刑が確定した段階で複数の弁護士に相談した結果、妻と離婚することとなったのですが、今度はこれが資産隠しだといわれて裁判に。この時は最終的に一審の判決が破棄されて「偽装の意思はなかった」という判断が下ったものの、ショックでした。
――一連の事件を振り返って今、何を思いますか。
羽賀:すべては自分の「軽さ」が招いたことです。「僕はひっかけられたんだ」「被害者なんだ」なんて思っても仕方のないことですし、「やったー! 棚ぼたじゃん!」と思ってしてしまったことが良くなかったです。何よりよく分からないことはきっぱり断るべきでした。僕自身器用なところ、フットワークと心が軽いところがあり、下手に自信を持ってしまっていたんですが、器用さはときに悪い方に左右してしまうこともあります。今後も自分が悪かったとしっかりと反省したいです。
61歳の挑戦、老舗ホストクラブ「愛本店」でのホストデビュー
――2023年7月7日から5夜連続でホストデビューすると話題を呼びました。きっかけは何だったのでしょうか
羽賀:ホストクラブの代名詞「愛本店」さんにて、人生初のホストデビューを果たしました。業界最大手の「groupdandy」さんの新年会に招待されて接点ができ、ホストデビューの打診を受けたのですが、「アイドルのころだったらお受けできなかったオファーでも、今の僕なら挑戦できる」と思い、お受けしました。
――実際にホストとして勤務してみていかがでしょうか。
羽賀:最高ですね! 初日からたくさんのお客様が来店してくださり、中には歌舞伎町に飾られている僕の看板を見て来店してくださったお客様もいらっしゃいました。
特にうれしかったのは、その看板を見てきてくださったお客様が「もう一度会いたい」と1日に2度も来店して下さったことです。また、愛本店の皆さん、groupdandyの皆さんが僕を受け入れてくださっているというのも本当にすごいことだと感謝しています。
――毎日お酒を飲んだり、深夜まで働いたり大変なこともあるかと思いますが、今の率直な気持ちを教えてください。
羽賀:本当にありがたい、感謝の一言です。あんなにオファーをお断りしていた芸能の仕事だったり、嫌だと思っていた週刊誌での取り上げだったりも今ではうれしいことになりました。芸能活動を再開したばかりの僕にとってホストに挑戦することでニュースに取り上げてもらえるというのはすごくありがたいことだし、さらに稼がせてもいただける。こんなにありがたいことはありませんよ。 また芸能界では「悪名は無名に勝る」という格言をよく聞きます。ヒーローが存在するためには、悪役も必要なんです。それが今はよく分かる気がします。
――ニュース記事では「ホストが天職」という取り上げもされていました。
羽賀:今回のホスト体験が僕の人生の節目になったことは間違いありませんね。自分がもう一段ステップアップできたような気がします。
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