ITmedia ガジェット 過去記事一覧
検索
ニュース

50代からは「ネット足長おじさん」になったほうがいいかも

口を出さずに金を出す! 星井七億の連載「ネットは1日25時間」。

advertisement

 先日、東洋経済オンラインが「50代からはSNSのカリスマ論客になれ」といった旨の記事をアップして話題になりました。といっても私の見渡す限り批判的な意見が多かったのですが、観測範囲でのみ批判が目立っただけの可能性があり、もしかするとベンチャー企業社員のFacebookあたりでは絶賛されていたのかもしれません。簡単に概要を説明すると「50代からのネット利用はインプットしたものは反論など恐れずどんどんアウトプットしろ。そうすればSNSで一目置かれる存在になれるぞ」というものです。

 確かにインプットとアウトプットは重要であり、衰えを物ともせず勉強と表現に尽力する50代とは理想的な姿ではあるのですが、そこに「一目置かれる存在になりたい」という意識が介入した時点で、悪魔の毒々ネットモンスターが誕生します。能動的な「目立ちたい」という意思はどうしても無謀かつ押し付けがましい行動につながりやすいからです。

 蓄えた知識をしっかりと提供してくれるだけならまだいいのですが、「教えてやる」という姿勢のほうが先攻している口うるさい中年は、いつだって煩わしいものです。ただでさえノイズが多いSNSなら尚更で、なにより「SNSのカリスマ論客になってやる!」と息巻いている50代の姿はただそれだけでなかなか厳しいものがありますし、往々にしてなれません。「なれる能力のある人」は望んでなくてもなってしまっているものです。

 では若者がユーザー数の大勢を占め、今後もその割合が顕著になるネットにおいて、50代からはどのような振る舞いを取ればいいのでしょうか。他人に迷惑かけない限りはなんだっていいだろう、というのが百点満点の大正解ではあるのですが、今の時代だからこそ50代という若者にないコンテンツを携えた年代の人間にできることがあるはずです。

 そこで私は、「ネット足長おじさん」になる可能性を提示したいと思います。

星井七億コラム

クラウドファンディング隆盛の時代

 50代という年齢は仕事において働き盛り。最も経験や知識が現場の第一線で求められる世代であり、一方で既に後進の育成に力を注がなくてはならない年頃です。また多くの若者に比べてある程度の経済力を持ち合わせているものであり(今の時代だとそれは一概に言えない部分もありますが)、魅力的なコンテンツや人をお金で支援する側に回ることも多くなるでしょう。

 日本のネットではクラウドファンディングがずいぶん定着してきました。クラウドファンディングによる出資で完成した片渕須直監督の映画「この世界の片隅に」は高い評価を得て現在もロングヒットを記録しています。

 出資者の名前がスタッフロールに載るというのも非常に魅力的なリターンでした。クラウドファンディングサイトの乱立は出資する側からすると登録などの面で面倒くさいところもあり考えものなのですが、それでも「生み出せる人を経済的に支える」という行動が浸透し、出資された側がしっかりと結果を残すようになっているのは素晴らしいことです。

 経済力に余裕があり、知識が抱負な50代に求められているのは、一銭も生み出さず他者のストレスを生み出すカリスマ論客を目指すことよりも、クラウドファンディングなどで魅力的な企画に出資してサポートに回ることなのではないでしょうか。つまりは「足長おじさん」になるのです。

 私自身はあまり経済的に豊かな方ではないのですが、それでもこれまでにクラウドファンディングで多くの企画に出資してきました。単純にこの企画の完成形が見たい、という気持ちのときもありましたし、この企画の成功には“私にとって”大きな意義がある、という考えのもとに出資することもあります。リターンのおいしさに目がくらんだことも少なくありません。

 自分に能力がなくてできそうもないことを、能力とやる気のある誰かに「お金」という一番分かりやすく割り切りのいい形で託すというのは単純に楽であり一番有効なのです。

 かなり厳しいことを言うようですが、「カリスマ論客になってやる!」という中年が無鉄砲に一銭にもならぬ情報を吐き出すよりも、黙ってお金だけを差し出していたほうがはるかに建設的があり、誰かや自分のためになるものです。

 どんな業界でも「口は出すけど金は出さない」という人間には一番価値がありません。生み出す人間と支える人間という関係は尊いものです。下衆な話をすれば、この企画は私が支えたのだという自負と企画者からの感謝はある程度の承認欲求を満たし自尊心を保つ効果もあります。

星井七億コラム

「お客さま」になってはならない

 クラウドファンディングの魅力の一つは出資者に対するリターンありきという部分です。当然、出資を求めていた企画者が、お金を回収していながら企画を十分に履行できていなかったり、リターンの中身があまりにも出資額に伴っていなさすぎると責任を求められても仕方がないでしょう。

 とはいえ、出資する際に気を付けないといけないのは、お金を出してリターンを得るという点をもって「お客さま」の意識を抱いてはならないということです。

 個人差は当然あるものの、人間は歳を重ねると自尊心が肥大化しがちで、態度が横柄になりやすく、自分の思い通りにならないことにいら立ちを覚えることが多くなってしまうもの。その中で「お客さま」としての意識が強くなってしまうと、企画者に際限なく要求をするようになってしまいます。

 それでは単にお金の力でものを言っているのと一緒であり、下手をすれば企画の私物化をもくろんでいるのだと思われても仕方ありません。それで企画にガタが生じたら元も子もなく、それこそ先の「カリスマ論客目指しマン」の醜態そのものであり、お金が絡んでいる分だけさらに厄介です。

 リターンを求めることはもちろん大事ですが、あくまで企画の理念や展望、企画者への信頼性に投資をしたのだと思うことが重要です。ドラゴンボールで例えるならば、悟空に元気を分け与えるかわりに敵を倒してもらうのと一緒です。悟空に対し「元気を分けたのだから地球を俺好みにしろ」と言ってはなりませんし、悟空が戦いを放棄したならともかく死に物狂いで戦っても負けることもあるのは前提にしていないといけません。

 もっとも世の中にはクラウドファンディングで多くの人の期待とお金を回収しないと作ることができなかったコンテンツを「マグレ当たり」と表現したり「お金の奴隷から解放!」と言ってバラまくような人もいるので、信頼にお金を出すというのはいささかハードルの高い部分もあるかもしれません。ですが、そういった信頼や価値を見抜く目にこそ、50年も生きてきた蓄積がまさに試されているのではないでしょうか……という、長々と押し付けがましい意見でした。

星井七億

 85年生まれのブロガー。2012年にブログ「ナナオクプリーズ」を開設。おとぎ話などをパロディー化した芸能系のネタや風刺色の強いネタがさまざまなメディアで紹介されて話題となる。

 2015年に初の著書「もしも矢沢永吉が『桃太郎』を朗読したら」を刊行。ライターとしても活動中。


Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る