クラウドファンディングで集めた資金によって作られ2016年公開された片渕須直監督・こうの史代原作・のん主演の映画「この世界の片隅に」が小規模公開からネットを中心とした口コミで異例のヒットを飛ばしています。
第二次世界大戦真っ只中の1940年代を舞台に、嫁入りと同時に広島の呉へと引っ越してきた少女・すずとその家族や周囲の人間のささやかな日常と悲喜劇を描いた本作。週を追うごとに観客動員数、興行収入、劇場数を右肩上がりで伸ばしていき、各所で絶賛の嵐。私も既に劇場で二度見ているのですが、本作を2016年のベストと推す人がいるのも納得の作品でした。
こうの史代による原作が持つ世界観・空気感を損なわず良質なアニメーションへと丁寧に昇華した演出には、いちファンとしては非常にありがたいところ。原作を既読の人でも十分に楽しむことができます。
当方はいわゆる「百合」オタク、それも結構めんどくさいタイプのオタクなので、男女夫婦の愛がしっかりと描かれている「この世界の〜」においても、鑑賞後には「すずとリンさんって百合だったよな」なんてことを思い浮かべていたのですが、さてここで私のように「この世界の〜」の熱に浮かされた百合オタクにうってつけの本があります。
それが、原作者であるこうの史代が2007年に刊行した作品「街角花だより」です。
「街角花だより」の魅力
「この世界の〜」の話題を期待してこの記事を開いた方に対し、百合オタクが唐突に百合漫画を勧めてくるのは極めて申し訳がないのですが、百合どうこうに関係なく「この世界〜」を見たことでこうの史代に興味を持った方が「街角花だより」の魅力を知っておくのは決して損ではありません。
「街角花だより」は90年代半ばに漫画誌に掲載された後、7年近い空白期間を設けて別誌にて連載。こうの史代の記念すべきデビュー作であり原点ともいえる作品です。
街角で小さな花屋を営むぼんやりとした性格の「店長」と、不動産会社をクビになりその花屋で働くことになった気の強い「りん」。2人の女性の関係を「花」に絡んださまざまなエピソードで描いている本作は、デビュー作でありながら既にこうの史代ならではの話作りの巧みさやギミックの生かし方、温和な空気感の中に秘めた鋭い刃のようなとがりぶりを遺憾なく発揮しています。
一部の描写を除けば色恋をにおわせる話がほとんど出てこず、花に対する愛情が強い店長と、異性との出会いや交際に貪欲なりんという対照的な2人のキャラ。昔売った花の状態をいつまでも気にしてしまう店長に比べ、りんはといえば通りすがりの男を誘惑して強引に花を買わせて自分にプレゼントさせたりと、こういったギャップからくる関係性は百合オタクの大好物ではあるのですが、百合漫画としての本作の魅力を語る上で欠かせないエピソードが作中にあります。
それはりんがたまたま店長がメガネを外したところを目撃してしまうシーン。普段はぼけっとした表情の店長が、実はマツゲが長く凛とした美しい瞳を持った美人であることが判明し、りんが思わずドキドキしてしまうという、それまで2人の間で明確に描かれることの少なかった、相手に対する「ときめき」を記しています。
私のような特殊な読者層が「よっしゃ落ちた!」と両手をあげて喜ぶ1ページですが、一方で店長のほうもりんに対し、詳しくは説明されないものの何かしらの感情を抱いていると思わせるシーンがところどころにあったりと、2人の感情の行先から目が離せなくなります。
実は本作には最終回がボツになったバージョンとそうでないバージョンの2パターンあり、いずれも「百合色の人生」という意味深なサブタイトルが付けられているのですが、このボツになったバージョンには百合オタクを困惑の沼に突き落とす「あるシーン」があるのですが。こちらはチェックしてのお楽しみということで。
「街角」から「片隅」まで
百合漫画としての「街角〜」を語ってきましたが、やはり「この世界の〜」を評する人達の言葉を眺めていると、よく使われる表現として「リアル」というフレーズが目立ちます。悲劇的な空気の中でも喜劇的な一面が確かにあった、戦時を生きた人達の生活を膨大な資料と取材を元に繊細かつ緻密に描いた「この世界に〜」は、たくさんの文脈を含んだ「戦争」という派手で大きな物語の中に組み込まれていても、決して「戦争」だけに寄り添ったわけではない独立した小さな物語の強さと息づかいを感じることができます。
「街角」や「片隅」といったタイトルを見ても分かるように、こうの史代は市井でささやかに生きる人間の物語を描くことに確かな才能を発揮する超一流のクリエイターです。派手なドラマではなくても確かに濃密で、ここぞというタイミングで放たれる切れ味のある描写が読者の心に強く響いてきます。
「街角〜」は多くの花が出てくる作品ではあるにもかかわらず、決して華やかな作風でもなければ、目立つ人間が出てくる作品でもありません。舞台は家賃を滞納している小さな花屋ですし、主人公の店長はのんびりとしていて冴えない風貌。作中の誰もがどこかやましい考えを持ち、細やかなところで喜んだり助けたり悪びれたりする。そんな当たり前のことをときにポップに、ときに情緒的に描き、それだけに私達の隣にある物語であるように感じられます。
実験的な試みも散見された「この世界の〜」と比べると、初期の作品ということもあって表現としては実直的な部分が強い「街角〜」ですが、そのぶんダイレクトに、われわれのような普通の人達と花を結び付ける軽快なドラマの魅力を味わえることでしょう。
どこにでもいる人々と花をなぞらえたドラマ。僕らは世界に一つだけの花と歌っていたグループもいよいよ解散してしまう年末年始ですが、「私、百合漫画はちょっと……」という方も、日常ドラマとして広くおすすめできる作品ですので、「この世界の〜」でこうの史代の世界観が気になって仕方なくなった方はぜひチェックしてみてください。
星井七億
85年生まれのブロガー。2012年にブログ「ナナオクプリーズ」を開設。おとぎ話などをパロディー化した芸能系のネタや風刺色の強いネタがさまざまなメディアで紹介されて話題となる。
2015年に初の著書「もしも矢沢永吉が『桃太郎』を朗読したら」を刊行。ライターとしても活動中。
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