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ろくでもないから、面白い……。ゆるふわJDがFX(外国為替証拠金取引)に挑み、狂喜乱舞する話題作『FX戦士くるみちゃん』。この10月より放送中のTVアニメですが、もともとは原作のでむにゃん氏と作画の炭酸だいすき氏によって、「コミックフラッパー」にて連載された人気漫画です。現在10巻までコミックスが発売されています。
Web投稿サイト「新都社」発のコンテンツであることに加え、原作のでむにゃん氏自身が株やFXの経験者であり、18年間の生涯収支を公表するなど、あらゆる面で異彩を放つ作品となっています。
今回は、そんな賛否両論が飛び交う問題作『FX戦士くるみちゃん』を考察します。私自身は、株を全くやらないのですが、作品としては結構楽しんでいます。なぜエンタメとして面白いのか、脚本家的な視点から語っていければと思います。
『FX戦士くるみちゃん』を考察:なんでハラハラするの? 株のチャートはエンタメの仕組みそのもの
「安定はトレーダーの敵」というのは、女子大生でありながら、総資産1000万円以上を築き上げている、小金萌智子(こがねもちこ)のセリフです。名が体を表し過ぎている気もしますが、それはともかく「安定」を敵と捉える考え方は、エンタメの理論とも重なります。
私も漫画や小説の制作に携わっていますが、安定している物語は基本的にエンタメの文脈では面白くなりにくいです。くるみちゃんが狂喜乱舞する株のチャートのように、物語も乱高下することが求められます。
ジェットコースターのように観客の感情を揺さぶってこそ、エンタメ足りうるというわけです。その意味では、安定を嫌う萌智子の発言は、作品を描いている原作者のエンタメ理論と言えるかもしれません。
こうしたエンタメ理論をわかりやすく紹介しているのが、『君の名は。』を手掛けた新海誠監督。Xの投稿で話題になりましたので、すでに知っている人も多いかもしれませんが、『君の名は。』を制作するにあたって、何度も練り直したという「感情グラフ」には、まさにエンタメ理論が詰まっていたかと思います。
感情グラフとは、縦軸に観客のテンション・感情、横軸に時間経過を取り、観客の感情の流れを視覚化したものです。瀧(たき)と三葉(みつは)が入れ替わるところはグッと上がり、彗星の墜落によって町が消えてしまうところはグッと下がるなど……。退屈させないように、観客の視点から感情の上げ下げを意識し、物語を設計していることが伺えます。
監督ご本人もインタビューで語っていますが、良いことの前にはしっかり落とし、逆に絶望の前はしっかり上げることで落差を作り、感情のベクトルをフラットにならないように注意し、観客の感情をコントロールしていたようです。
こうしたことからも、乱高下する様子が描ける株のチャートは、エンタメ理論と非常に相性が良いことが分かります。株も物語も乱高下すればするほど、ハラハラドキドキするわけですから、この株×エンタメの組み合わせを発見した原作者は天才的と言わざるを得ないでしょう。クライマックスで株のチャートを眺めるシーンなどは、『君の名は。』を凌駕するほどの、激しい感情の乱高下を作り出せているようにも見えます。
ちなみに、クライマックスシーンだけでなく、物語の大枠としても、感情グラフ的な落差のある構成が採用されています。例えば、くるみちゃんが萌智子にそそのかされて、豪ドルを買ってしまうエピソード。最初は調子よく豪ドルが上がり、それに伴ってくるみちゃんのバイトの仕事ぶりも好調になり、とにかく気分上々に描きます。
その後、豪ドルは恐ろしい勢いで急落。くるみちゃんは親の金に手を付けるほど、奈落の底へ突き落されることに……。しかし、翌日豪ドルは奇跡的に回復し、くるみちゃんは九死に一生を得る。できるだけ上げてからドカンと落とし、落としきったらしっかり上げる。展開の上がり下がりを見事なまでにコントロールしていることが伺えるでしょう。
『FX戦士くるみちゃん』を考察:幸不幸の限界値を攻める! 株チャートの乱高下はほぼバトルシーンの緊張感
『君の名は。』の感情グラフもそうですが、幸不幸の感情には限界値があることも重要なポイントです。基本的に楽しいシーンも続けば慣れて、退屈になってしまいます。
幸福なシーンが続くと、非情なことに観客は「そろそろ不幸なこと起これよ」と思うものです。しかし、絶望へ叩き落とし、奈落の底まで落ちると、今度は「そろそろ報われてくれよ」と逆のフラストレーションがたまるので、再び幸せな方向へ物語を戻してきます。
つまり、幸不幸いずれも観客が耐えられる限界値があって、ある段階までいくと、反対側へ感情を移動させてバランスを取りたいという恒常性が働くわけです。
この限界値を把握し、適切に感情を方向付けられるかどうかが、作家の腕の見せ所。先ほど見た、くるみちゃんが豪ドルを買って、急落し、回復するプロセスは、この幸不幸の限界値を適切に見極めて、コントロールしているものと考えられます。
また、投資において、損切りするかしないかの決断を迫られるのも、非常にエンタメ的です。1つの判断ミスが、大損につながる、デッドオアアライブの緊張感を作れます。そして一度損切りのタイミングを逃すと、ずるずる含み損が増えていき、くるみちゃんはどんどん背水の陣に追い込まれ「この後どうなっちゃうんだろう」という、ハラハラ感を演出できます。
特に一定の基準を下回ると自動的に強制決済される「強制ロスカット」のラインなどは、背水の陣そのものです。崖が迫っていることで、場面の緊張感がグッと上がるわけです。1つの判断で儲かるか大損するかが決まる、まるでデスゲームのように、主人公を崖に追い込みやすい点も、FXのシステムとエンタメ理論の相性抜群のポイントと言えそうです。
さらに株のチャートをにらむ場面では、毎秒のように上がり下がりが起き、加速度的に感情が揺さぶられます。これはバトル漫画にもあるプロレス方式で、こちらが攻撃して「やったか?」と思わせたら、「なんちゃって」と敵が報復してくる……。
攻めて受けてを繰り返しながら、そのテンポを上げることで、物語の熱量を高めていく手法と似ています。本作で言えば、株の乱高下をたたみかけることで、物語が過熱していき、目が離せなくなっていたかと思います。
まとめると、物語全体として、大きな乱高下をセットしつつ、クライマックスシーンでは超ハイテンポな乱高下を見せ、観客を物語にくぎ付けにする。観客の感情あるいはドパミンのコントロールを巧みに行っているのです。
株の乱高下を見ると、以前オードリーの若林さんがラジオにて、「漫才も最後はたたみかけることが大事」と語っていたことを思い出します。漫才にも共通する、人を惹きつける効果的な手法を取り入れている作品であり、何より株のチャートがエンタメ理論を加速させる装置として機能しているのは、この作品ならではの強みだなと邪推した次第です。
『FX戦士くるみちゃん』を考察:なぜ親の金を盗んだのか? くるみちゃんが抱える根本的な問題
くるみちゃんはなぜ親のタンス預金を盗んでしまったのでしょうか? ネットでも話題になりましたが、冷静に考えると不思議ですよね。結果的にあの判断は功を奏したわけですが、常識的には親の金に手を出す前に、誰かに相談するか諦めるかが自然です。
ただ、くるみちゃんのバックグラウンドを考えると、あの時点で撤退することはやはり難しかったのだろうと推測します。なぜ撤退できず、親の金に手を出したのか? 端的に言えば「母親と似ているから」そして「主人公だから」という2つの理由が関係しているように、私は思います。
まず「母親と似ているから」という点ですが、くるみちゃんは間違いなく母親似です。見た目もそうですが、人間的に似ているという意味です。くるみちゃんの母は以前FXに失敗し、2000万円の大きな借金を抱えました。
その後、借金のことを夫に隠し、毎日仕事を掛け持ちして回ることになります。娘のくるみちゃんが「私も手伝う」と言っても、それを断り、1人で抱え込んだ末、不幸な結末を迎えることに……。
こうして時系列で並べるとよく分かりますが、くるみちゃんの母は他人に頼ることが極端に苦手な人です。借金自体は大変なことですが、夫にも娘にも誰にも頼らず、抱え込んでしまうのは、やや破滅的な選択であるように見えます。
あの様子から推測するに、民間や行政問わず、何かのサービスに頼った形跡もありません。投資は「自己責任」と本作で繰り返し言われますが、それにしても母の行動は自己責任を過剰に内面化しています。
その意味で、くるみちゃんの挙動は母親に似ているのです。借金を抱えても相談しない母、含み損が大きくなっても相談しないで親の金に手を付けるくるみちゃん。似た思考回路を見出さずにはいられません。精神崩壊してもなお誰にも頼れないところまで、とても似ています。
もちろん、後ろめたさや恥の文化も背後にはあると思いますが、過度に自己責任化して抱え込む母親のパーソナリティを引き継いでいる、くるみちゃんがあの場面で撤退、あるいは父や周りに助けを求める選択は、やはりなかったのだなと考えられます。
『FX戦士くるみちゃん』を考察:自己満足だから頼れない。くるみちゃんの主人公的な妄想と孤独
2つ目のくるみちゃんが「主人公だから」については「そりゃそうだろ」という話なのですが、くるみちゃんの思考を捉えるうえで、意外と重要なポイントかと思います。特に少年漫画の主人公に見られる傾向ですが、主人公は自分の目標や熱中している事柄と、自分の人格や人生を極端にくっつけてしまうところがあります。
スポーツにしても、バトルにしても、今回のFXにしても、主人公はそれ以外に何もやることがないかのような振る舞いをしがちです。ほかの選択肢が視界に入らず、やや視野狭窄的で、このためだけに生きているかのような振る舞いですね。
選択と集中が極端と言ってもいいでしょう。くるみちゃんで言えば、母が溶かした2000万円を取り戻すためだけに行動しているように見えます。自身でも「これは自己満足だ」と語っているように、客観的に意味があるかは関係がなく、自分の主観的な物語を優先していることが分かります。
主観的に強い使命感や復讐心を燃やすことができる、やや妄想的で自分の物語に集中できる人物でないと、主人公は務まらないことが多いです。客観的に考えて「株じゃなくて、資格やスキルを身に付けてしっかり稼げばいいじゃん」となっては、話が終わってしまうので、主観的な物語を貫き通す意志の強さが必要なのです。
こうした主観の強い人物が、夢を叶える才能を持つわけですが、一方で主観の沼に溺れてしまうことも少なくありません。親の金を盗むかどうかのシーンで、くるみちゃんは誰にも助けを求めずに判断しており、客観的視点が欠けていたように見えます。損失云々というよりむしろ、自分の物語を守るために、親の金を使ってしまった向きがあるわけです。
主人公ゆえの視野狭窄と言いますか、自分で解決できなければ終わりという強い思い込みが、彼女を盗みに駆り立てたところはあるのかもしれません。
『FX戦士くるみちゃん』を考察:自己責任という美意識。くるみちゃんを通して見える我々の思考の癖
「主人公だから」というのには、別の意味もあります。少年漫画を読んでいると、面白い反面、不思議に思うこともあります。基本的に、主人公は限界まで他人に頼りません。
自分でボロボロになるまで戦った挙句、仲間が助けに来るという熱い展開が用意されていることが多いかと思います。相談したり頼ったりする主人公より、自分のことは自分でやるとやや虚勢を張って、ギリギリまで自助努力を貫き通すキャラのほうが傾向として好かれやすいのは事実でしょう。
私なんかは、ひねくれた読者ですから、最初から頼っておけよ、もっと早く仲間に相談しておけよとか、水を差したくなるのですが、この限界まで「自分の面倒は自分で見る」という美意識は、我々の感覚にしみこんでいるように思います。
例えば、体調不良でもギリギリまで仕事を頑張り、本当に病気などで動けなくなってから、休んだり助けを求めたりするなんていう人も少なくないのではないでしょうか。くるみちゃんも、その例にもれず、ギリギリまで誰にも頼らず相談しない、自助努力モンスターに見えます。
観客としては、自助努力的な人物をやはり好きになりやすいので、これは仕方がないですが、我々がそんな趣向ないし美意識を持っているがゆえに、くるみちゃんは自助努力モンスターとして、自分で抱え込んで潰れているわけで、複雑な気持ちになります。
母親の性格ともかかわりますが、どちらにも共通しているのは過度な「自己責任マインド」だと思います。母も自己責任に押しつぶされてしまったところがありますし、くるみちゃんにも同様の傾向が見て取れます。
自己責任マインドに立つと、最後まで他人に頼らず自分で何とかしようになってしまうし、親に黙って金を盗んでしまうのも、ダメですがある意味、納得してしまうところがあります。
本作を見てはっと気づかされるのは、FXが怖いということもそうですが、自分で抱え込んでしまう(そして、それを美しいと共感する)我々の思考の癖も、ひるがえって突きつけられるということです。
株というもの自体「自己責任」とセットで語られるものですが、いかに我々が株以外においても自己責任的なマインド、美意識に支配されているのか、考え直す意味でも本作は示唆的です。くるみちゃんは、あらゆることを自己責任化して抱え込む、我々の似姿なのかもしれません、
くるみちゃんが狂気に染まってくれるので、それを見て我々は正気を保っているわけですが、果たして本当に我々は正気なのでしょうか? FXにはまっておらずとも、くるみちゃんと同じ沼に足を取られている可能性は大いにありそうです。