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シンフォニック=レイン シンフォニック=レイン
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シンフォニック=レイン
 
プレリュード02 『Tortinita』

 トルタにとって,クリスは大切な人だといっても良かった。隠すつもりもないのか,本人を目の前にしても,わかりやすい態度をとることがよくある。クリスはいつも困ったように笑ってごまかしているから,気づいていないこともないんだろう。
 ……アリエッタのことがあるから,私には,当人達にとってなにが最善なのかを判断することはできない。子供達の問題は,いずれ子供達自身の手で,解決しなければならないのだ。
 だから私は,そっと後押しをする。それも,自分でも良いことなのか,わからないままに。ただ,三人の子供達の幸せを願っていた。

「えっと……じゃあ作ってみるね」

 おずおずと,でも照れくさそうにトルタは言った。

「……ええ,そうしなさい。いつも練習しているんだから,その成果をクリスに見せてあげなさい」
「……あ,ううん。できれば,おばあちゃんが作ったってことにしてくれない?」
「どうして?」
「クリスは,私が作ったって言えば,きっと食べたがらないから」
「食べた後に教えたら?」
「それも駄目。後でやっぱり美味しくなかったっていうに決まってるから」

 いつしかトルタの顔には,あきらめたような笑いが張りついていた。クリスの認識では,たしかにそうなんだろう。アルは料理ができて,トルタは料理ができない。逆にトルタは歌が上手で,アルは下手。
 物事はそんなに単純ではない。でも,そう決めつけてしまう理由も,わからなくはなかった。むしろアルとトルタこそが,そのように自分たちで決めつけ,その規範の中で成長しようとしていたんだから。
 でも今,トルタは変わろうとしている。足りなかった部分を補おうと,必死に努力をしているのだ。それを素直に嬉しいと思う。

「いつかもっと上手くなってから,クリスを驚かせてあげるんだから。今はまだ,駄目なの」
「わかったよ。でも,手を抜いて作るんじゃないよ。仮にも私が作ったことになっているんだから」
「大丈夫。焦げてても,おばあちゃんのリゾットだったらクリスは文句言わないよ。それに,どうせ風邪なんだから味もわからないって」
「風邪だからこそ,細かい味に敏感なのよ。薄すぎても駄目だし,濃すぎても駄目。元気な時の料理よりも難しいっていうのに」
「……う,がんばります」
「よろしい。最後に味はみてあげるから,急いで作ってあげなさい」
「うん」

 椅子に腰掛けていると,すぐに,鍋に火をかける音がした。目の前をせわしなく動いているトルタの影を目で追い,椅子に身体を委ねた。料理はいつも私の役目だったけど,そろそろ交代の時期にさしかかっているのかもしれない。
 ただしトルタが学院を卒業して,この家を出ていくまでの間だけなのが,少し寂しいところだったが。

 煮込んだスープが少なくなり,やがて,鍋からはくつくつと美味しそうな音がたち始めていた。トルタは一生懸命それをかき混ぜながら,何度となく味見をしている。

「おばあちゃん……ちょっとみてくれる?」
「はいはい」

 小皿とスプーンを持ってきて,トルタは中身を冷ましながら私に手渡す。

「……うん。味付けは大丈夫」
「ほ,ほんと?」
「本当よ。嘘はつかないわ。後でクリスにも聞いてみたら?」
「……それは,ちょっと。美味しくなかったって言われたら嫌だから」
「……好きになさい。とにかく,早くクリスになにか食べさせないとね」
「は〜い」

 できあがったリゾットを,トルタが慎重に二階まで運んでいく。私の足ももうだいぶがたが来ているから,こうしてトルタがいてくれて助かっていた。すぐにその後を追い,二階へと上がる。
 頑丈な木の手摺りにつかまり,一段一段をゆっくりと上っていく。息を切らせたところを見せると二人とも気を遣うだろうから,登り切ったところで一端息を整える。自分ももう年なんだと気づかされるのは,こんな時だ。
 呼吸を整えていると,クリスのいるはずの部屋から言い争うような声がする。いつものことだろうと思ってはみたが,結局予定よりも早く部屋に向かわざるを得なかった。

「こら,なにをやっているの」

 ドアを開けて優しく言うと,二人ともぴたりと言葉を止めてこちらを見た。ぼんやりとだが,それくらいはわかる。

「あ……だって,クリスが一人で食べられないのに文句言うから」
「……だから,食べられるって」
「そう言ってこぼしたじゃない!」
「熱かったから手が滑っただけだって!」
「それが食べられないって言ってるの!」
「……はいはい。二人とも黙りなさい」

 上半身だけ起きあがって反論したクリスも,大きく息を吐きながら再びベッドに倒れ込んだ。こんな状態で大きな声を出したせいだろう。

「じゃあ,私が食べさせるから,トルタはタオルでも持ってきて。クリスにはこれから汗をたくさんかかせないと」
「……は〜い」
「クリスも,それなら良いね?」
「……はい」

 思わず笑ってしまいそうになる。クリスもトルタも,まだまだ子供なのだ。もどかしいが,老人は口をはざまず,黙って成長するのを見届けなければならない。あまりに逸脱するようなら,助言くらいは必要になるだろうが,この二人なら大丈夫だろう。私は,信じている。

「……ありがとうございます。すごく美味しいです」
「そう? ちょっと出来が不安だったんだけどね」
「いつも通り,美味しいですよ」
「それは良かったわ」

 クリスは綺麗に一皿のリゾットを平らげ,満足そうに息をついた。それを機に私も立ち上がる。

「さ,あとはトルタがタオルを持って来るから,とにかく寝なさい。起きて,汗をたくさんかいていたら,枕元に置いてあるタオルで身体を拭くのよ。トルタに自分の部屋にいるように言っておくから,呼べばくるでしょう。着替えも用意しておくから,遠慮はしないこと。いい?」
「……はい」

 ドアを開けて廊下に出ると,トルタがタオルを持ったまま中の様子を窺っているようだった。

「あ……おばあちゃん」

 中には聞こえないような声で,トルタは呟いた。私もそれにならい,声を潜めた。

「全部聞いてたかい?」
「……うん」
「美味しいって言ってたよ」
「おばあちゃんの前だからだよ」

 そう言いながらも,頬が少し赤くなっている。

「そういうことにしておきましょうか。それで,最後まで聞いていたね?」
「うん。タオルを置いて,部屋で待ってればいいんでしょ?」
「ああ。お願いしたよ。私は下に降りるから」
「任せておいて」

 自信ありげにトルタは言って,部屋へと入っていった。

 それからしばらく,一階の居間でくつろいでいた。トルタは自分の部屋で時間を潰しているそうだが,ひょっとしたらクリスの様子を見ているかもしれない。時刻はすでに,夜に近づいている。そろそろ私達の夕食について考えなければならない時間になっていた。
 メインディッシュはお昼に人数分以上は作ったから,クリスの分を切り分けておけば大丈夫だろう。問題は,いつ食べるかだったが。
 そのまま,椅子に背をもたらかけさせ,トルタが戻ってこないかと待っていたが,一向に降りくる様子もない。もう一度上るのはきつそうだったが,そろそろそうも言ってられなくなった。
 二階に上がり,やはりもう一度息を整える。辺りには物音すらしなかったから,トルタも部屋で大人しくしているのだろうか。クリスが寝ていたときのために,ドアに耳をつける。すると,小さな声で子守歌を歌っているのが聞こえた。昔から私が歌って聞かせた歌だ。おそらくトルタが歌っているのだろう。そのままにしておきたかったが,話しかけないわけにもいかない。
 なるべく音を立てないようにドアを開けると,その歌声はぴたりと止んだ。

「……あら?」

 クリスはベッドに寝たまま,困ったような顔でこちらを見ていた。その脇には椅子が置いてあり,トルタが座っていた。いや,座っていたのだろう。今は上半身をベッドに投げだし,クリスの足下の辺りで静かに寝息を立てている。歌が聞こえたように思えたのは,気のせいだったんだろうか。

「起きたらこんな状態でした」

 来たときよりも,幾分かは元気そうな声でクリスが答える。

「……ええ,だいぶ寝られた?」
「はい。ありがとうございます」

 いつもの礼儀正しい口調に戻っている。それが少し寂しくはあったが,同時に安心でもあった。

「熱は? まだ身体は熱い?」
「もう大丈夫だと思います。もう外も暗くなっていますから,もう少ししたら帰ります」
「泊まっていく? 朝に帰れば,学校にも間に合うでしょう」
「ごめんなさい。今日は日曜日なので」

 それ以上語ろうとせず,クリスは窓の外を向いた。部屋は充分暖かかったので,新しい空気を入れるために窓を開ける。夕方のさわやかな風が入ってきて,部屋の中の空気を一掃する。

「……気持ちいいですね」
「ええ」

 それだけ答えてしばらく外を眺めていると,クリスが私と同じ方向を見つめながら懐かしそうな声をあげた。

「これは……なんの匂いですか? なんだか,すごく懐かしい気がするんですけど」
「ん? 匂い?」

 窓辺にはハーブを植えた鉢植えが並んでいて,その香りがクリスに届いたみたいだった。懐かしいと言うくらいだから,昔から家にあったものだろう。その中でも香りの強いものを選んで,その一つを手折った。

「これかい? これはローズマリー。お料理にも使えるし,お茶にもいいんだよ」

 クリスの鼻もとにその葉を近づけると,クリスはこれだと言って頷き,目を細めた。 次のページへ

 

 

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