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日本のゲーム開発の不透明性とは何か?くねくねハニィの「最近どうよ?」(その38)(2/2 ページ)

半年以上の沈黙を破ってくねくねハニィが帰ってきたっ! サボってる間に(やっぱりサボってたんかいっ!)欧米関係者から見た日本開発のハテナ? な部分を聞き出してきたらしい。知ってる人もなーんだそれって人も読んでみてくださーい。

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イベントもろもろありましたね!

 さてさて、6月には報告もしていないE3、7月にサンディエゴでコミコン・インターナショナル(コミコン)、8月はドイツでGamescom(GC)、そして9月にTGSと毎月イベントな感じだったけど、皆さんはどれかに行ったかなぁ。

 E3は最盛時に戻ったとまでは行かなかったけど、日本のTGSのビジネスデーと比べる(E3はビジネスショーだからね!)と、北米のゲーム産業の大きさに圧倒されるね〜。ではTGSをコンシューマ(ユーザー)ショーと考えればどうかと言うと、同じコンシューマショーであったヨーロッパのGCは今年、25万人超の来客があったと報じられているから、こちらでも規模の違いを見せつけられた感じ。

 TGSが不幸だったのは、任天堂のニンテンドー3DSの詳細発表がTGS後であったことから、会場ではニンテンドー3DSを拝むことができなかったってことかな。3カ月前のE3ではお披露目されたのに、本家のある日本で行われるTGSで見られないっていうのはどういうことなんだ〜っと海外の客も怒るわけですわ(笑)。

 TGSのビジネスデーは1日で良いと思うのはハニィだけかなぁ。ユーザーが土日に溢れていたんだから4日間中1日がビジネスデー、あとの3日はユーザーデーにすればよいと思うよと、無責任な発言をしてみる(笑)。

 ちなみに、ハニィはコミコンに初めて行ったんだけど、あれは完ぺきなユーザーショーでした。ものすごい人数の世界最大のオタクショー。ただし、ゲームのフィーチャー度はまだまだと言った感じね。ゲームがオタク域に食い込んで来ていることの証明でもあるけど、いやぁ北米のオタクは明るいっすねぇ。

 そんなイベントなどを通じていろいろと温めているトピックがありまするが、今回は良く聞かれる「日本のゲーム開発の不透明性」について。そ〜なのかなぁ? あ、これはあくまでも欧米のパブリッシャーやデベロッパーから見た日本の開発に対する疑問点ってこと。ハニィなりにまとめてみたので読んでいただければ幸いです。もう海外と頻繁にやっているので、そんなこと知っとりますがなぁって人は流し読みしてくださーい!

開発費の高騰度合いがハンパじゃなかった!

 ゲーム開発がそれほどハイリスクでなかった頃、つまり開発費がそれほど高くなかった頃、ゲーム開発には「失敗もあり得る」という発想だったわけで、ある程度のおカネをクリエイターに預けて「好きに作ってみぃ」という風潮があったんですね。実際にそういう太っ腹な流れの中で新しい発想が生まれて、新機軸と言われるゲーム性やキャラなどが世に出てきたのも事実。

 ハイスペック機になってからというもの、開発費は下手したら10倍以上になっているのに、ソフト一本当たりの価格は10倍にはできないわけで、パブリッシャーからすると「売れないかもしれないけど、もしかしたら大ヒットするもの」から「確実に売れるもの」への移行が激しく進んだと言えるのね。そもそも「エンターテインメントとはバクチだ!」って考え方もあるから、理論的には破たんしているかもしれないんだけど、ビジネスとしてゲームソフトを作って売っている以上否定はできない考え方なのかもしれません。

 考えてみれば、1億円のタイトルがコケるのと、10億円以上かかるタイトルがコケるのではスケールが違うのは明白でしょ? 一本の失敗が企業の存続を脅かすってこともあるのですよ。10億円のタイトルが数本コケても他のタイトルで回収するから大丈夫って会社は相当な体力を持っている大きなところのみ。ゲーム業界のハイコスト化はハイスペック機の出現によって一気にもたらされたものなので、企業体質強化を許すだけの緩やかなスピードではなかったんですよね〜。

 そんなことから、海外のパブリッシャーは「ファンド制」を取ってリスク回避していることも多い。この「ファンド制」、パブリッシャーが全額開発費を負担するのではなくて、タイトルごとに投資を受け付ける形を取っています。該当のタイトルがヒットしたら売上による利益を投資家たちに分配する、と言う制度ですよ。

 パブリッシャーは投資家に約束したクオリティ、スケジュール、プロモーションを達成しなければならない半面、失敗しても全開発リスクをかぶる必要はないという、これまたエンターテインメントとしては「正しい」出資のしかたなのかもしれませんね。

なんで「透明性」が必要なの?

 開発費が高いから失敗は許されない、じゃあ失敗しないためには「管理」しないとねって発想なんだけど、前述したようなファンドなどが絡んでくると更に利害関係者が多くなるので、「説明責任」なるものが発生するんですよね。政治家みたいね(笑)。

 該当タイトルの開発にGo!を出した理由はもちろん、開発が合意された仕様通り、スケジュール通りに進んでいて、予定通りに発売されましたってところまで説明を求められるわけですね。規模が大きくなると、それだけ責任の規模も大きくなって、納期の遅れやクオリティの錯誤はパブリッシャー側にとっても大きな責任になるからですね〜。

 ゆる〜い感じで「遅れました」とか「仕様変更しちゃいました」なんてことは到底許されないのですね。遅れるにも仕様変更するのにも許可がいるわけで、この許可を取る人たちが増えてくると更にやっかいなものになるのです。それなりの理由とその合理性がないと、「責任問題」になりかねないから、みんな責任回避のために必死ってことも言えるわけですけどね……。

「透明性」って何? そんでもって、日本の開発の「不透明性」って何?

 英語ではトランスペアレント(transparent)と言うのですが、要はすべてが見通せるってこと。ゲーム作りのプロフェッショナルから言わせると「いいから任せておけや」って話なんでしょうけど、金額が金額なだけに、昨今のゲーム市場の冷えっぷりからしてもそういう訳にはいかないのでありまする……。

企画書

 まずはゲームの企画書。GDD(ゲームデザインドキュメント:Game Design Document)、TDD(テクニカルデザインドキュメント:Technical Design Document)がその例。ハニィもこの間GDD&TDDの講習に行ってきました(笑)。要は細か〜いゲームの仕様書と技術要件書。海外のパブリッシャーと契約するデベロッパーは、必ずこの2種類のドキュメントの提出を契約書で約束させられます。

 ゲームの中身を知らずして大金を出せないというのがパブリッシャーの意向で、至極フツーの話なのだけど、実は日本のデベロッパーはコレに慣れていないのが実情。書類を作っているよりも、いいゲームを作るのに時間を費やした方がいいじゃん? なんて思ってしまうのも理由のひとつかも。

 ゲームの中身をデベロッパー、パブリッシャーが共有するのは当たり前だし、面倒くさいって話じゃ投資した方には通らない。後々、プロモーションやデバッグ(QA)にも役に立つのだから、知っておいてもらって損はないでしょう。昔からこういう書類に慣れている欧米のデベロッパーと比べると、ハイスペック化に伴うドキュメント化の複雑性も相まって、二重苦かもしれないんだけどね……。

開発マネジメント

 急に専門的になりまするが、PerforceやSVN、VSSなどの開発管理ソフトや、Alienbrainなどのアセット管理ツールを使用して社内での開発プロセスをマネジメントしている会社は日本でも多いはずだよね。ハイスペック機になって作業が大人数で行われているのでバージョン管理の効率性や、大量で複雑な作業を集約して進捗管理していかないといけないのだから、ますますニーズは高まっているはず。

 ところが……、さらにさらに欧米では、これらをパブリッシャーと共有して開発プロセスを透明化するような流れが一般的になっているみたい。

 あくまでも社内の開発状況の管理と思っていたら間違いで、順調に進んでいるのか、どこが問題で滞っているのか、それをどうやってキャッチアップするのか、などなどイタいところもパブリッシャーに握られるのだからツラいことのようだけど、逆を言えば遅れやトラブルを明確化することによって、仕様変更、納期延長や開発費追加(これはあんまりないけどねぇ)などもその都度話しあえるという利点もあるのです。

 例を挙げると、デベロッパー側でひたすらアセット制作しているけどいっこうに進捗が見えない! しかも、納期が遅れているらしい! という疑念を抱かせるよりは、作っている途中で話し合えちゃうという利点もあります。例えばキャラや背景が出来上がっちゃってからイチャモンを付けられるよりはとっても合理的という考え方が欧米では「透明」ってことなのかもしれません。

 ただでさえ文化や習慣が違うのだから、この際すべてをあからさまにして議論しながら進めましょうってことなんですけど、日本のデベロッパーの「ちゃんと作るから待っていてね」って姿勢だけでは通用しないということは考えておかないといけないのかもしれないね。

「不透明性」の正体

 日本人は、きちんとした説明書や会話がなくてもお互いのモラルで言葉を埋められるという「暗黙の了解」のレベルが高いのですわ。特にゲーム業界では「こんな感じ」っていうので話が通じちゃうから、詳細を詰める必要がなかったんですよね。

 日本のゲーム開発がゲーム黎明期を支えていたわけだし、「ゲームの作り方は知っている!」ということなんですよ、確かに。その時代とその市場とその環境下では間違いなく日本はナンバーワンだったんですから。ゲームを仕様書に落とすのは面倒だし、細かい説明が必要になる海外アウトソーシングはかえって足かせかもって思っちゃうよね。

 ただ、市場が変わり環境が変わり、海外向けというテーマになってくると、これが当てはまらなくなります。個人のモラルも人生背景も大きく違う海外の人たちに向けて「暗黙の了解」を求めるのはムリなことだから……。そういう人たちにゲームを売ってもらい、買ってもらい、遊んでもらうのだから、ただでさえ言葉の足らない日本人にはとても高いハードルなんですね。

 ローカライズの回でも書いたけど、日本人はいい意味で「言葉が足りない」民族なんですよ。このいい意味が昨今のゲーム産業においては、「いい意味」じゃなくなってきているってことも自覚しないといけないのかもしれませんね。

 コミュニケーション力が高すぎて、あえて詰めることに慣れていないという皮肉な結果が、この「不透明性」の正体ではないかなとハニィは思うんだよね。

ハニィのあとがき

 久しぶりなのに、何か難しいことを書いてしまった……。でも、実際に聞いた話をハニィなりにまとめてみました。

 ハイスペック化に伴い、1つのタイトルに多くの人が携わっている現状を考えると、協業をしながらいかに効率的に金額に見合うものを作るかということが問われているんだと思います。小さなチームで属人的にゲーム開発ができた時代から情報共有の下、分業する時代になったってことですね。

 ゲーム産業は、年月を重ねて成熟産業になってしまったのだけど、日本の職人芸からスタートして成功したことが影響しているのかもしれません。こう言っているハニィも、父がある伝統芸の職人だったのですけど、その産業は機械化され、安い中国製品に脅かされ、一部の高級品を残して破綻してしまいました。伝統芸だからかなりの技能が問われていたこともあって、未来永劫に続くと錯覚してしまったんでしょう。でも、環境が変わった、市場が変わった、そしてそれに対応できないと置いて行かれると言うことに尽きるんですよね。

 正しかったことが環境の変化によって、正しいことではなくなってしまう。「学ぶ」ことも大事だけど環境に応じて「捨てて学び直す」ことも大事かなと。地盤が変わっているんだったら地盤に合わせて環境も整備し直さないといけないってことか……。

 ハニィは「サボり」を捨てて、「期日を守る」ってことが大事かもね……。すんませーん。欧米は9月から年末商戦に入っているんだし、原稿も定期的に書くことにしないとね〜(なーんか他人事)。

くねくねハニィのプロフィール

1967年アメリカサウスダコタ生まれの日本人。

小学生からはゲームセンターに通いまくってやたら大きく育つ。

1990年に都内K大学を卒業後、大手ゲーム会社にて海外ソフト担当となり、2001年に退職。それ以降は自称フリーのゲームアナリストとして暗躍。暗躍しすぎたので名前を変えて表舞台に。くねくねと唐突に現れて「親父ギャグ」をかまして周りの人々のレベルを下げまくる。独特の語り口調ですが、もう慣れてくださいとしか言えません。言ってる中身は至極マジメなので。ちなみに「風来のシレン」が好物で、名前もそこから借用。なんだか公認してもらったそうです。

それにしてもずいぶんサボったものですね。とはいえ、こちらも自由にさせていたのが悪いんですけどね……。


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