東大ラノベ作家の悲劇――ティッシュ配りの面接に行ったら全身入れ墨の人がきて、「前科ついても大丈夫だから」→結果:<前編>
ひと夏のアルバイトから始まる非日常。
1 なぜかズボンをおろされました
目を閉じてみてください。
そして、どうか想像してみてください。
あなたはいま、のどが渇いています。
猛烈に渇いて、のどがカラカラに干上がっています。
ズボンのポケットには、百円しか入っていません。
自動販売機で、水を買うこともできません。
かといって、物乞いをする勇気もないのです。
二十代最後の夏でした。
ささやかでもいい。何かおもしろいことをしてやろう。
そう思っていたあなたは、例年のように何もできずに、
その日その日を生きていました。
「日払い可 ティッシュ配り募集」
黄金に輝く文字を目にしたのは、
そんな時でした。
ボコボコにくぼんだ看板には、
時給1500円、と書かれています。
文字の下には、なぜか野球バットを手にした、
白クマの絵が描かれています。
しかし、そこであなたは、戸惑います。
勤務先が渋谷なのに、
なぜか遠く離れたK駅にこいと言う。
事務所の住所も記載されておらず、
たずねても「それはちょっと……」と言葉を濁され、
「大丈夫。大丈夫なんで、駅についたら電話してください」などと言われる。
しかし疑問には思ったものの、背に腹はかえられません。
あなたは、さっそく隣室の中国人にお金を借り、
指定された場所(K駅の五差路)に向かいました。
体感温度が40度を超える、灼熱のコンクリート地獄を歩くと、
その先に五差路がみえてきます。
左に曲がるとお寺。
右に曲がると墓地。
斜めにおりると風俗街。
逆方向にわたると住宅街。
前方には雲一つない青空がのびています。
東京が魔界のようにみえました。
指定された場所にさしかかると、とつぜん電話が鳴りました。
「黒い服を着たコ?」
「Yes」
どこかから監視されているのでしょう。
遠巻きに、自分が見られているのが分かります。
「建物の裏口を二回ノックして」
その事務所、というかお店は、中二階にありました。
入り口をノックすると、暗闇にオーロラのような光と、
爆音が流れていました。
これは、一体何のお店なんだろう……。
そう思っていると、背後で扉がひらきました。
「裏口ノックしろっていっただろ」
振り返ると、全身に入れ墨をした男が立っていました。
その入れ墨は、ファッションの領域を、大きく超越したものでした。
格闘技を長年やっていたが、度重なる怪我のせいで、
からだのバランスを絶妙に損壊させた、
グラップラー刃牙の、登場人物のようでした。
あなたは、その地を這う蛇のような模様をまじまじと眺め、
この人にも家族がいるのだろうか、と考えました。
2 ティッシュ配り、開始
仕事は、最初戸惑いましたが、すぐなれました。
「オネガイシマス」
「オネガイシマス」
「オネガイシマス」
通行の多い場所で、
宮沢賢治のように声をかけながら、
通行人の邪魔にならないように、
ティッシュをさしだす。
ただそれだけです。
笑顔も、コミュニケーション力も、必要ありません。
ただ無表情に、内通者を殺す殺し屋のように「スッ」と近づき、
対象の視界に斜め四十五度から入って腕を硬直させ、
からだに触れるギリギリで、リリースする。
「ボールはゴールに置いてくる」感覚です。
ギャルにも受け取ってもらえます。
安西先生の教え通りです。
私は最初から相手の嫌がることを知り尽くしていました。
ほかには、立ちふさがる、
無言でバッグに放り込む、
パチンコ屋のトイレに流す、
といった戦法がありますが、
どこに敵がいるか分かりません。
賢明なあなたは、リスクのある行動はしませんでした。
万難を排して、二宮金次郎の銅像のように、
ティッシュを配り続けました。
一日目に七五〇枚を配り、
二日目に八○○枚を配り、
三日目に一○○○枚を配りきるまでに、
上達しました。
一日一○時間。
炎天下のなか、ひたすらティッシュを配り続ける――。
それは、並みの集中力を要する作業ではありません。
しかしあなたは、お金のため、
何より腐った自分の性根をたたき直すため、
ティッシュを配って、配って、配り続けました。
幾度もくたばりそうになりながらも、配り続けました。
そうするうちに、ティッシュと手足が、連動し始めました。
人混みを高速で移動しながら、効率的に配れるようになりました。
渋谷のギャルの群れを、ビリヤードの球のように、
瞬時に移動し続けました。
しだいにティッシュが、
たんなるティッシュという物質ではなく、
なんだか自分の分身のように感じられ始めて、
たまに軒下で踏みつぶされているのをみると切なくなりました。
誰にも知られず、誰からも干渉されず、
ただ孤独に、もくもくとティッシュを配り続ける。
それは、割に楽しい仕事でした。
無心でパソコンを叩いているときと、
あまり変わらないように思えました。
3 性悪説にもとづいたブラックバイト
「おつかれさん」
そう言って、見回り役のKさんが、
自腹で炭酸ジュースを差し入れてくれました。
「すごいね。これ全部配ったの?」
猛烈な勢いで、死への衝動に突き動かされるアリのように
ティッシュを配り続けるあなたを、気遣ってくれたようです。
あなたは、路地裏のパチンコ屋で10分間の休憩をとり、
壊れた蝉のように炭酸ジュースを飲みました。
ガラス瓶に入ったデカ〇タCが、神の恵みのように思えました。
遠くで、怒鳴り声が聞こえました。
「オラァ! さぼってんじゃねええ! ぶっ殺すぞ!?」
Kさんは、サボっていた別のティッシュ配りに蹴りを食らわせながら、去って行きました。
Kさんのような監督役が必要な理由は、明確です。
労働環境が劣悪になればなるほど、職場では、
性善説にもとづいた価値観ではなく、
性悪説にもとづいた価値判断が、
一般的になるように思えます。
性悪説とは、紀元前3世紀ごろに、
中国の思想家が唱えた概念です。
「人の性は悪なり、その善なるものは偽なり」
という言葉が、有名ですね。人間の本質を悪とする立場です。
要するに、人間を信頼するかどうか、という話です。
(反対に、学校の教育現場は、性善説で知られます)
あなたのやったティッシュ配りでは、
社員の人間は、微塵もバイトを信用していませんでした。
しかし、それも致し方のない話だったのかもしれません。
4 ダイニングバーのホールスタッフで時給5000円の怪
仕事は、シンプルでした。
ティッシュを「女の子だけ」に配ること。
若くて綺麗であればあるほどいい、ということでした。
ダンボールいっぱいにつめられたティッシュには、
きゃりーぱみゅ〇みゅそっくりの、女の子の写真が写っていました。
写真の周囲には、
「ダイニングバーのオープニングスタッフ募集!
時給5000円で稼いじゃお☆」
などと、つっこみどころ満載の文言が踊っています。
仕事仲間は、十代二十代の若い男性でした。
埼玉からティッシュを配りにきている、前歯の折れた青年。
関西から上京してきた、素肌にジャージを着たバンドマン(彼はガールズバーのスカウトも掛け持ちしていました)。
おそろしく美しい容姿とは反対に、ボロボロに剥がれたショルダーバッグを抱えた、二十四歳のフリーター……。
一言でいうと、どう多めにみつくろっても、
「まともなアルバイトにはつけないようにみえる」人々です。
ただ、あなたは、そんな人たちにこそシンパシーを感じるのでした。
どうやら、彼らも、あなたを同類と見なしてくれたようです。
あなたは、彼らと、しだいに打ち解け始めました。
そして、ティッシュ配りにまつわる、
いろいろな裏話を教えてもらうようになったのです。
たとえば、渋谷や新宿や池袋などの主要都市の駅に、
カードローンの看板をもった、おじさんが立っていますよね?
あれが、本当にカードローン会社の人間だと、信じていますか?
あれは、実はダミーなんです。
警察と連携して、都市の人間を、
「環視」している集団なんです。
悪目立ちする行動を、
ティッシャーやスカウトがとれば、
すぐに警察が飛んでくる。
そういう手はずになっているんです。
この都市伝説じみた話を聞いた時、
あなたの脳裏に、次々に疑問が浮かびました。
どうして、ティッシュを「女の子」にしか、
配ってはいけないのか?
どうして、「ダイニングバーのホールスタッフ」に、
5000円もの時給が即金で支払われるのか?
そして電話が鳴りました。
緊急事態なので、すぐに事務所に戻ってこい、
とのことでした。
目を閉じてみてください。
そして、どうか想像してみてください。
あなたの前にはいま、泣いている女の子がいます。
周囲には、入れ墨だらけの人々が立っています。
そして、あなたに、「ある要求」をつきつける。
二十代最後の夏でした。
ささやかでもいい。何かおもしろいことをしてやろう。
そう思っていたあなたは、狭苦しい密室のなかで、
逃げ場もなく、半ば監禁状態で、
「ある要求」をつきつけられました。
それが、泣いている女の子を騙すための――、
最低の要求だとしたら、あなたはどうしますか?
次回、「せめて人間らしく」
作者プロフィール
鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。
『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。
『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。
― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―
最新作―― https://kakuyomu.jp/users/kagamisa/works
Twitter:@kagamisa_yousei
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