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東大ラノベ作家の悲劇――鏡征爾:私は“奇跡”をタイプした――それが本当の地獄の始まりだと誰が気付くだろう?

誰にも愛されず、誰も愛することのできなかった少年が、小説にめぐり逢い、棺桶にいれられるまで。

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東大ラノベ作家の悲劇 鏡征爾


  序



 透明な地獄は美しい。


 そんな冒頭から始まる詩は、
 思春期の自分を端的に現している。
 そしてそれは現在をつくり変えるちからをもつ。
 知ることは変わるちからを獲得することだと彼女は言ったが、
 いまだに私は、過去を忘れることはおろか、
 自分自身さえ変えることができずにいるのだ。


1 東大ラノベ作家の悲劇ができるまで


 或る暮れ方のことである。
 一人の高学歴ワーキングプアが、赤門の前で、雨止みを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。
 何故かというと、この二三年、東京には、出版不況とか就職難とか小説離れという災いが続いて起こった。「恥の多い人生を送ってまいりました」そんな書き置きを残して男は玉川上水に――いや、もう止めよう。パクリは止めよう。

 私は文字のちからを信じている。

 二十一世紀にこんなことを言うと、コンテンツの主流ジャンルはおろか、文学の内部にいる人間からさえ、疑惑と嘲笑のまなざしが向けられそうだが、私は文学のちからを信じている。
 そしてそれはどんな悲劇に陥ろうとも、変わらないある種の性質、性向であるように思われるのだ。
「死になさい」とか「もう書き直さないでください」とか「色々な事情で全部パーになりました」などと散々言われようとも、自分のなかにある、ある種の輝きのようなもの、揺れ動く波が夜の月の光を反射させる一瞬の煌めきのようなものを、白紙上に再現したいという気持ちに変わりはない。

 だから、そんな高尚なご託を並べるくらいの自分であるから、たとえこれが最後の依頼になるかもしれないという絶望的状況にあっても――偉大なる先達の作品で、自らの恥部ともいえる過去の一部を、誤魔化すような真似は、してはならないのである。

 透明な地獄は美しい。

 それは私が十五歳の頃に書いた詩だ。
 祖父が亡くなった後の、酷い不眠に悩まされた頃に書いたもので、先日実家に立ち寄ったさいに、偶然見つけた。

 伸び始めた髪を光に透かしながら、引き裂かれた紙に書きつけた思春期の「作品」は、意味不明でデタラメなしろものだが――現在の自分とあまりに符合する点が多く、我ながら呆れてしまった。

 “花無心招蝶蝶無心尋花花開時蝶来蝶来時花開。私は脳裏に蘇る漢詩を口ずさみながら、また左手のスタンガンを二度三度回転させた。”

 そんな意味不明な書き出しから始まる小説で、幸運にも学生時代に作家デビューを果たした私は、昔から言葉に出来ない感情を、理解不能な言葉で紙に吐き出す習性を有していたらしい。

 自意識が、過剰に過ぎるだろうか? むろん誰も私のことなど知らないし、誰も私の作品など読みもしない。
 誰も私には興味がないし、私の書くものに社会的価値も、文学的価値もない。そのことは、よく自覚している。
 しかし、自分の置かれている状況が、社会全体の問題として、十代二十代三十代の、若い世代に共通する不安を喚起できると考える――ある編集者に出くわしたのも、事実なのだ。その事実は、書面では、こんな形で残されている。

「あなたをモデルにした小説を書いてほしい。社会問題がクローズアップされるように書いてほしいので、実話であれば細部の修正は構わない」

 そうして、私はこの原稿をタイプしている。
 おそらく、最後の依頼になるだろう。最後の原稿になるかもしれない。
 最後に軽い経緯を示す。


 つい先日、東京大学に在学する作家の悲劇なるスレッドを――匿名掲示板に有志の方がお立てになられ、心の折れた私は、複雑骨折した精神のロボトミー手術を行うべく、暗闇に向かって呟いた。

「自分はぜんぜん悲劇的でもなければライトノベル作家でもない。確かに赤門を前にすると謎の敗北感でいっぱいになるけれど、そこにあるのはカタストロフ的な何かではなく、カタルシスなのだ」
 すると暗闇の向こうに座っていた編集者が立ち上がり、「カタルシス?」と小さく叫んだ。それからため息混じりに、
「つまり破滅ではなく救いということですか。だけどね、あなたね、そもそも『デビューした後に待っていたのは地獄だった』なんて書いてしまう人間がそんなものを感じているとは到底思えませんよ」
 と言われ、みじんも反論できなかったので、というかその場ではうまく自分の抱いている直観的な不安を言語化できなかったので、この物語を書きおろす許可をいただいた次第である。

 東大ラノベ作家の悲劇

 そんな風に題されたタイトルは、些か扇情的で悲観的、自虐的なペシミストの謗りを免れないかもしれないけれども、潜在的作家志望者の数が数百万を超えるというシンクタンクの調査結果もあるなかで――私の体験した出来事は、それなりに意味をもつのではないかと思う。


 これは夢と希望と絶望と学歴と精神崩壊。
 それらのすべてを手にいれた私の物語であり、
 同時に、あなたの物語でもある。


2 回想――自分の瞳に映る世界をどう表現すべきだろう?


 十五歳。退屈な子どもだった。よく光に向かって手をのばした。

 郊外の地方都市に生まれた私は、未成熟なからだとは裏腹に、急速に成熟し始める意識のはざまに生じた断絶を埋めるように、詩を書いた。絵を描いた。
 それらの構築物は――いまでは失われてしまった情景を五感に呼び覚ます、媒介となっている。

 草と土と花の匂い。
 天蓋のように頭上をおおう夕暮れの空。
 そんな何もない空に、つながっていく電線と電灯。
 それが放射状に軒下を折れていくのを見るのが好きだった。

 冒頭の詩は、そんな景色を眺めながら書いたもので、つい先日、実家で遺品を整理しているときに、ぐうぜん見つけた。
 そこには大理石のように刻まれた少女の絵の隣に、「透明な地獄は美しい」と、書いてあった。透明? 地獄?
 どうして私はその詩を書いたのだろう?


東大ラノベ作家の悲劇 鏡征爾
高校のときにかいた絵

 もう十年以上も前の出来事なので、正確な記憶は曖昧だが、それでもなんとなく――当時抱いていた不安の手触りのようなもの、思春期の焦燥は理解できる。
 私は破滅ではなくカタルシスを当時も<葛藤>のなかに求めていたのだ。

 だが、と再び暗闇のなかで考える。いま振り返ってみると、そのこと自体、不思議に思えるのだ。
 当時の私に、葛藤するようなものなどあったのだろうか? と。

 事実を公平に記すと、そのときの私は――この物語を事故的に目にされた方の、反感を買ってしまうかもしれないけれど――<数値的には>、何不自由ない少年だった。というか、人並み外れて、優れていた。そして統計的外れ値のように外れていった。クラスから。部活から。学校から。そして自分自身の理想から。

 誰もが自分の中に理想の自己をもっている。そして現実とのあいだにはギャップがある。
 客観的には何も不自由なものなどなかったが、主観的には何もかもが不自由だった。そしてそれは数値では計れないものなのだ。
 だが、きっとあなたにだけはわかってもらえるのではないだろうか?

 何かになりたいのに、何にもなれない。自由になりたいのに、どこにもいけない。どこにもいけないのに、どこにも居場所がない。

 郊外の閉鎖都市に生まれた私は――地獄のような学校生活に、うんざりしていた。集団登校。集団下校。集団授業。軍隊のように、クラスで、授業で、部活で、常に他人と同じ行動が求められる。常に同一平面上に展開された立体のような疎外感にさいなまれる。要するに個性の必要とされない平板な存在として――扱われる。

 未来には何か予期せぬものが待ち受けているのだという高揚と、自分は何かになれるのだという幻想と、どこにも居場所がないという漠然とした不安。

 私は絵を描き、詩を書き、プログラミングをプログラムし、サッカー部では左利きの2トップの一角として躍動していた。
 可能性に満ちた子どもだった。
 未来は輝いたものになる、はずだった。

 がりがりと睡眠薬をかじりながら、下腹の出始めたからだで、暗闇の部屋で考える。
 いったいどうしてこうなってしまったのだろう?


 義務教育を終えた私は、県内でも指折りの進学校に進んだ。
 案の条、なじめなかった。私は他人から何かを教わるのが非常に苦手で、独学でなければがんばれない。
 同級生の誰もがやっている勉強の仕方がよくわからなかったし、気性も激しく、気持ちよく走らせるとよく走る馬なのだが、以下略して保健室送りになった。
 だが、しだいに保健室にも行かなくなった。図書室に通い始めた。

 私は高校の図書室が好きだった。

 そこで本棚から抱えられるだけの本を見繕って、ぱらぱらと文字の群れを追いながら、意味もわからない物理法則を独自の方程式で検討した。使途不明な哲学書を、図形のように眺めた。それにも飽きるとベランダに出て、ガラスに映る自分の姿を眺めながら、ボクシングで自分が世界チャンピオンとなって対戦相手にデンプシー・ロールを繰り出している様を想像した。
 私は何と戦っていたのだろう?


3 小説とは焦燥を殺すことのできる芸術である


 そんな私が小説を書き始めるまで、さしたる時間はかからなかった。

 小説とは焦燥を殺すことのできる芸術である。
 孤独を飼いならすことのできる自意識の首輪である。

 大学に行ってからも居場所がなかった私は、誰にも言わず、誰にも見せず、誰にも打ち明けずに、小説を書いた。
 今はもうなくなってしまった駅前のドトールのカウンター席で、理不尽な煙草の煙に目をしばたかせながら――私は愛煙家ではなかった――一心不乱にタイプした。

 初めて小説を書いたときのことは、いまでもおぼえている。

 寝不足の目をこすりながら窓際の狭苦しい椅子に座り、まずいコーヒーを飲み、ラップトップに指をのせると、言葉が消えて、文字があふれた。ピアノの鍵盤を鳴らしているみたいだった。指先から連続的な打鍵音が脳の出力結果となって白紙を流れ、安物のホットドッグがこれ以上ない食べ物に変わってしまう。
 ぱさついたパンが舌を刺激し、枯渇したイメージが唾液とともにひっきりなしにあふれてきて、気付けば膨大な文字の群れが、量子コンピューターの演算結果のように並んでいる。

 才能はなかった。

 最初に出した新人賞は落選した。
 二回目に出した新人賞も余裕で落ちた。
 三回目に出した詩人賞は箸にも棒にもかからなかった。
 だが、それでもかまわなかった。私は来る日も来る日も書き続けた。
 窓際のカウンター席で、モクモクとたちのぼる煙草の煙の弾幕に苦しめられながら、狂ったようにタイプした。

 そして疲れると、道を歩く人々を見た。
 パチンコ帰りの学生。白い足の女生徒。飼いならされた豚のように駅に飲みこまれていく中年。
 そんな人々の群れを眺めていると、不思議と心が落ちついた。自分がひとりではない気がした。
 そのとき私はもう十九歳になっていた。


4 初の大賞、地獄の始まり


 結果は比較的すぐに――地獄のような執筆と執筆と執筆と度重なる最終候補の落選のすえにではあるが、年齢的に言えば相当早いほうだと思う――あらわれた。

 夏の終わりだった。
 文学賞の正式な発表予定の、五日ほど前だったと思う。
 池袋のロッテリアで渇いたポテトを口に運んでいると、電話が鳴った。

「講談社のJ田です」

 編集長を名乗る男は言った。
 三島由紀夫賞作家の舞城王太郎や最年少受賞者の佐藤友哉、また当代一の人気作家となった西尾維新など、文学とキャラクター小説のハイブリッドを標榜する――実際、その母体となる『ファウスト』という文芸誌が文学の最先端を行っていたという見方で大勢の見解は一致している――当時最も若手に人気のあった、編集部からの連絡だった。
 冒頭の漢詩をダイイング・メッセージに見立てた意味不明な作品に、大賞をくれるという。
 酔狂な名物編集者は、「もしよかったらですけど」と前置きしてから、カン高い声で言った。
「いまから編集部にきていただけますか?」
 私は家に帰って熱いシャワーを浴びた。
 そして顔にはりついた涙を落とした。私は泣いていた。

 有楽町線の護国寺で降り、講談社の入り口で入館証を受け取って、その入館バッジを身につけるべきかどうか悩みながら曖昧に編集部のドアをあけると、予想外の歓迎を受けた。拍手された。「おめでとう」とみんなが言った。「一生ついていきます」と担当編集の一人は言った。
 私はこのときほど嬉しかったことはない。このときほど生きていてよかったと思ったことはない。この文章を書いているときに国民的アスリートの浅田真央が現役引退を発表したが、私にとってはそれが私のオリンピックだった。数年に一度の舞台だった。誰にもみられない場所で何年も何年も孤独に積み重ねた、数百万分の一の奇跡の、集大成だった。

 だがそれが本当の地獄の始まりだと誰が気付くだろう?


5 幼児的全能感


 幼児的全能感という言葉がある。
 それは幼少期の子どもが、自分には何でもできると考えることからくる精神分析学の用語で、さまざまな葛藤や障壁にぶつかることによって、失われていくものである――いわば現実と自分との折り合いをつけられるようになるのだ。
 私は当初からその折り合いが悪かった。自分には何でもできると――何にでもなれると――思っていた。それが結果的に災いした。

 私たちは誰もが幼児的全能感をひきずっている。
 理想と現実のはざまに引き裂かれている。自分にはもっとできると思い、もっと良い転職先があると思い、もっと自分は評価されるべきだと感じている。
 私は受賞によって自分のなかに眠る欲望の泉を目覚めさせてしまったのだ。その泉の水は水というよりガソリンであり、幼児的全能感のエンジンをフル稼働させる燃料で、私を漆黒のエネルギーで突き動かす。映画の暴走トラックのように、そのまま全速力で人生のカーブを曲がり……きれずに、ガードレールを突き破って自意識のバイクをコナゴナに大破させ、旋回しながらプロペラのように飛んでいき、空中分解して爆発する。


東大ラノベ作家の悲劇 鏡征爾
希望に満ちていたころの筆者


6 すべてを手に入れたはずだった


 長いトンネルを抜けると雪国だった、とはかの有名な川端康成の小説の一節だが、「長いトンネルを抜けると地獄だった。無間地獄が待っていた」そんな表現が私の場合しっくりくる。
 毎年数百人の新人がデビューするという。だが五年後に生き残っている兵士の数は五パーセントに満たないという。
 出版社の自転車操業は続いている。できるだけ多くの新人をベルトコンベアに乗せて出荷し、取次からその場しのぎの資金を得る。
 大学院生の就職難は続いている。人文社会系学問の予算は年々縮小されており、博士号を取得してもポストがない。自分がその犠牲者だというつもりはない。どうでもいい私なんかの話をここまで読んでくれた方には感謝しかない。

 そしてここからがこの物語の真に悲劇的なところ、憐れみと嘲笑を狙うところなのだが――何千枚も書いて、何百回も改稿して、ようやく受賞して、しかしまだ苦しみは続いた。というか幾何級数的に増えていった。私を苦しませる苦しませるマンなる怪物が、化け物のようなシルエットで迫ってみえた。苦しませるマンは武器をもたない。攻撃してくることはない。ただ立ちふさがるのみである。ベルリンの壁のようにコンクリートブロックで頭上高くそびえたち、私が私の東西冷戦を終結させようとするのをはばむのである。東が理想。西が現実。もし私にツバサがあったら――、この壁を飛んでいけるのに! とは思うのだが、それはおそらく死を意味する。
 などということを、SNSにうっかり投下すると、

『東大ラノベ作家の悲劇』
 そんなスレッドが匿名掲示板に記念碑のように打ち立てられ、戦没者の墓のように私を沈黙させた。


 ……そのとき私が思い出したのは、どういうわけか華やかな結婚式の光景だ。
 中目黒で行われた、とびきり上等なやつだ。美しい花嫁だった。不動産会社の上場企業に就職した、高校時代の友人の式だった。
 そこで、小学校時代の幼なじみに会った。全員同じ高校の仲間だった。
 早稲田の政治経済学部から、国内最大手のシンクタンクに就職した彼は――その数年前に挙式をすませており、すでに子どもが二人いるという。
「結婚生活は幸せ?」私はズタボロの靴のつま先が見られないように自分の足を踏みつけながら訊いた。
「一人になりたいときもある」仕立ての良いスーツを着ながら彼は言った。
「綺麗な奥さんじゃないか」
 彼には学歴・一流企業・役職・都心のタワーマンション・綺麗な妻・愛らしい子ども……全てがそろっていた。だが沈黙が流れた。彼は首を振った。
「確かに家内はよくしてくれてる。おれにはもったいないくらいの美人だ。でもさ、なんていうのかな、おれの人生は詰んでいるんだ。仕事は退屈だし、家庭は退屈だ。子どもの養育費もかかる。家のローンで三十年先まで未来は拘束されてる。とりうるべき選択肢は二つしかない。仕事を辞めるか死ぬかだ」
 かの偉大なる真理の探究者、アルベール・カミュが言ったことは完璧に正しい。
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ」
 その言葉がこのときほど切実に迫ったことはない。彼は『シジフォスの神話』なかで、こう続けた。「人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」
 果たして私たちは生きるに値する人生を生きているだろうか?

 現代とは幼児的全能感の時代である――社会は夢や理想をもつことの必要性を強調し、かわりに金を巻き上げる。
 夢や理想が、職業選択の自由度という観点から、高学歴でなければならないという幻想をいだかせ、夢の実現のためには学歴社会のエリートであることが必要条件であると主張する。
 それは幼稚な議論だろうか? 確かに稚拙な主張だろう。あまりに稚拙だ。十九歳だった自分にも理解できた事柄はあたりまえで、空疎にうつる。
 だがそこにある種の実感がこめられていることも事実なのだ。

 夢と希望と学歴。肩書と職業と憧れ。東京大学と文学賞と数冊の著書。
 それらすべてを手にいれた自分は――しかし決して幸福とはいえない時間をやり過ごしている。


 二十九歳になった私は、どんどん同期の友人たちが出世し、大学でポストを得て、助手になり、准教授になり、ベストセラー作家になり、オリコン1位のアーティストになり、つぎつぎにテレビで脚光を浴びていくなか、日のあたらない踏み切りの近くのアパートで、一文にもならない小説を書いている。
 ボツ原稿の山は日増しに増えていき、一○○枚が二○○枚になり、二○○枚が三○○枚になり、三○○枚が三○○○枚になり、つい先日三万枚を超えた。CDの初回出荷枚数としては悪くない数字だ、と思うが、自虐する気力さえもはやおきない。

 人生をやりなおせたら――踏切の音を聞きながら、そんな風に考えることもある。人生は異世界トラックで、列車に飛び込めばリセットされ、新しい世界で生まれなおせる。そんなライトノベルのような世界だったらどんなにいいだろう。そこまで考え、いや、それは地獄だ、と思い直す。人生は地獄だと釈迦もいっているではないか。私は最後の気力を振り絞ってこの小説を書き上げようとしている。睡眠薬を弾薬のようにのどに詰め、痙攣する指先と格闘しながらタイプしている。この十年で私は何を手に入れたのだろうか? 最後に女を抱いたのはいつだろうか? 平成二十六年度の少子化社会対策関係予算の総額は三兆四九四○億円だったという。夢や希望をうたう社会を否定するつもりはないが、どれほどフォーディズムにネオやポストという頭文字をつけたところで、無数のティッシュペーパーに発射された数千億個の射精の残骸は戻ってこない。
 少なくとも私には特定の異性と呼ぶべき存在はこの十年間存在しなかった。誰も愛することができなかった。そして誰からも愛されなかった。
 知ることは変わるちからを手に入れることだというライトミルズの言葉を教えてくれた十九歳の同級生の少女は、いま何をしているだろう?
 そしてふいに、本当に偶然に――つけっぱなしだったテレビを見る。

 大学時代の友人が、テレビの人気コメンテーターとして、当たり障りのない事柄を喋っている。彼と自分の違いは何だったのだろうか? それほど差がなかったような気もする。それほどまでに差があったような気もする。
 しかし少なくともわれわれのあいだには当時一定のリスペクトがあった。入学後すぐに仲良くなった。大学でも一緒だった。作家デビューは、私の方が早かった。どちらかというと私の方が日の当たる場所にいた。

 だがいまでは誰も私を見ない。結婚式やパーティがあるたびに、視線は別の誰かに注がれる。有名人の集まりであればあるほどその傾向は強くなる。だがそれもいいといまは思う。
 光と影があって、それが現実の舞台にも適用されるとしたら、私は日陰中の日陰、日の当たらない場所で踏みつけられる名もない薬草だ。毒薬かもしれない。良薬かもしれない。だが名も無い草だからただの雑草と大差ない。誰にも気付かれず、誰にも理解されず、水分が足りず、光があたらず、永遠に芽吹くことはない。もうすぐ三十になる人間をいったい誰が芽吹かせることができるだろう? シェークスピアはうまいことをいう。
「人生は舞台である。人はみな役者である」

 日陰の植物を演じている――私は、小説を書くのをやめようか、いっそ首をくくろうか、腹をくくって年収三○○万以下の会社に就職しようか、迷っている。おそらくそうするだろう。タイムリミットはもうすぐだ。おそらく私は――同期の友人の百分の一の年収の会社に赴き、痙攣する手で面接する。そしてとんちんかんなことを言う。だが学歴と入念に練られた経歴書でその場をなんとかやり過ごし、まあとりあえず雇ってやるかと担当者に思わせる。そして豚のように駅へと運ばれていったかつての中年のように社会のレールに自意識という名の面倒なトロッコをのせ、そのまま高学歴ワーキングプア列車の軌道に、私自身を乗せるのだ。
 どうしてこうなってしまったのだろう?

 十九歳の私には怖いものはなかった。

 教師でさえ、警察でさえ、編集でさえ、教授でさえ、そして自分自身の人生さえ、こわくなかった。私はすべてを手にしていた。私はあらゆる可能性に満ちていた。私はお世辞にも整った顔をしていたとは言い難いけれども、それでも若さがあった。生命の動的なダイナミズムがあった。
 しかしいまは私は私がおそろしい。明日の生活さえ不透明だ。時給八○○円たらずのバイト先の面接に行くとき、前人未到の地に足を踏み入れるような感覚に襲われる。手足が震え、PTSDを発症したベトナム帰還兵のような気持ちになる。
 日増しに編集からの連絡はこなくなり、周囲の目は羨望から嘲笑に変わり、出版社からの年賀状は途絶え、だんだん顔も崩れてきて、みずみずしかった肌はボロ雑巾のようにクシャクシャになる。

 いまではどんな思い出さえ美しく思える――透明な地獄は美しい。脳の中枢神経に作用する種々雑多な処方薬を飴玉のように舐めながら、雷撃に貫かれるまま本能的に紡いだ十五歳の直観は正しかった。この世界は地獄だ。だがガラスの瞳に映る世界は無色透明で、思春期の記憶がそうであるように、過去はいつでも美しい。
 歌舞伎町のバーで店の女に手をだして棺桶のなかに一晩いれられた思い出さえ懐かしく思える。足の小指を切りとられた厨房のキッチンの男は元気だろうか? 格闘技をやっていた彼は僕にボクシングを教えてくれた。酔って暴れた客の対処法と真のジャック・デンプシーの物真似と、裏馬券の当て方を――それはまったくの出鱈目だったが――教えてくれた。店の裏のバスケットコートのフェンス前で立ちんぼをしていた彼女は元気だろうか? 十五歳で偽造保険証をつくってキャバクラで働いてた彼女は、少し前に自分の首をジグザグに切って、グチャグチャの画像を送ってきたが、いまは出所した組の構成員と暮らしているらしい。だがそれでいい。幸せにしているならそれでいい。透明な地獄は美しい。
 私は陶然と引きこまれていく眠りのなか、まだ若い頃にみた、小説を書き始めた十九歳の頃に読んだ物語の一節を思い出し目を閉じた。


「十九歳のおまえは他人に純粋にまじりっけなしに自分はこういうものだと言うことができるだろう。主張することができるな。ところが、二十五、二十六にもなると、風化してきたぼろぼろ岩のように崩れてきてある日すっかり硬いダイヤモンドのようだったものが砂になってしまっていることに気づくんだ。後に残っているのは十ぱひとからげのどこの映画館に行っても上映している通俗の安ものの感傷しかないんだ」
「そう言うけどおれはウジムシだよ」

                   ――中上健次『灰色のコカコーラ』



作者プロフィール

鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。

『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。

『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。

― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―

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