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重巡「摩耶」発見 その城郭のように巨大な艦橋に迫る(2/2 ページ)

その近くには「愛宕」も眠っている、はず。

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注目の艦橋は健在なりや?

 艦橋は中部(下から5層目)にある羅針艦橋左舷側面の様子が分かります。前方側面(画像の左寄り)には航法用1.5メートル測距儀の丸い基部と測距儀本体の残骸が、後方(画面右寄り)には離岸接岸操艦で用いる磁気羅針儀がそれぞれ確認できます。


羅針艦橋左舷側側面。艦橋内部も原形を留めているようだ

場所は不明ながら、恐らく艦橋にある見張り用双眼鏡の取り付け台座と思われる。その右にあるのは伝声管だろうか

 公開画像には、艦橋の頂部にあった主砲射撃指揮所も写っています。摩耶には主砲を管制する射撃装置として一四式方位盤照準装置を艦橋頂部に備えていました。公開画像では外側の覆いがなくなり、内部の一四式方位盤照準装置本体が原形をとどめているのが確認できます。


一四式方位盤照準装置。左右にある望遠鏡は片方が上下照準用の照準望遠鏡、もう一方が左右照準用の旋回望遠鏡だ。後方に4.5m測距儀の基部が見える

 さらに、一四式方位盤照準装置に付属していた計器もきれいな状態で残っていました。計器盤には「五十口径三年式二号二十糎砲」「方位盤照準装置用 常表(?)」「九一式通常弾」「九一式徹甲弾」といった記載や1000mごとの高度(?)で刻んだ目盛り、そして、示度針が確認できます。なお、五十口径三年式二号二十糎砲は摩耶が搭載していた主砲の正式名称、九一式徹甲弾は対艦戦闘用で敵の装甲を貫徹するために使用する主砲弾の正式名称です。また、「九一式通常弾」は「零式通常弾」の“仮称”とされてきた対空対地用の時限信管付き主砲弾の名称です。

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方位盤照準装置の計器。風車のような赤と黒の模様が印象的だ

「40口径八九式12.7cm連装高角砲」なども残っていた

 摩耶は1943年11月5日にラバウルで空襲を受けて左舷機関室が損傷する損害を受けました。その修理のため横須賀工廠で修理を受けます。このとき、先に述べた高角砲増設の他に九六式25ミリ機銃も大幅に増やし、日本海軍艦艇としては有力な防空巡洋艦として生まれ変わります。

 沈んでいた摩耶の画像から、その対空兵装強化の一端がうかがえます。高角砲は、増設以外にも新造当時の45口径十年式12cm単装高角砲から40口径八九式12.7cm連装高角砲に換装します(高雄と愛宕は太平洋戦争開戦前に換装済みだったが、摩耶と鳥海は改装する機会がないまま太平洋戦争に突入。鳥海は最後まで改装する機会がないままだった)。


修理で換装した40口径八九式12.7cm連装高角砲

こちらの保存状態も良好だ

 対空機銃も、新造時は40mm単装機銃2基と7.7mm単装機銃2基しか備えていませんでしたが、修理改装を期に九六式25ミリ3連装機銃を一気に13基、同単装機銃を9基、九三式13mm単装機銃を36基も備えました。摩耶は1944年6月のマリアナ沖海戦で損傷。その修理に合わせてさらに対空機銃を増設します。レイテ沖海戦で沈む直前の状況は不明でしたが、以後の調査によってその詳細が判明するかもしれません。


九六式25ミリ3連装機銃。新造時は40mm単装機銃2基と7.7mm単装機銃2基しか備えていなかったが、修理改装を期に対空能力は一気に向上した。船首から伸びている錨鎖がのしかかっている

九六式25ミリ単装機銃。使用実績は3連装より良かったという

 Petrelは2019年7月現在、フィリピンのスリガオを拠点に行動しています。近い将来、レイテ沖海戦で沈んだ、この他数多くの艦船を海底で発見することが期待されます。


レイテ沖海戦に出撃する日本海軍の艦隊を撮影した1枚。右から「長門」「武蔵(関連記事)」「大和」「摩耶」「鳥海」「高雄」「愛宕」と言われているこの中で再び帰ってきたのは大和と長門、そして高雄だけだった(画像:Naval History and Heritage Command
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