ITmedia ガジェット 過去記事一覧
検索
ニュース

アレン氏の沈船捜索チーム、米空母「ホーネット」発見 水深5000メートルの深海で何が分かったのか(1/2 ページ)

今回も公開写真をじっくり眺めましょう。ロマン。

advertisement

 故ポール・アレン氏(関連記事)の沈船捜索チームが、太平洋戦争で沈んだ米海軍の航空母艦「ホーネット」を発見したと発表しました。

R/V Petrel ホーネット USS Hornet
ホーネットはヨークタウン級航空母艦の3番艦。B-25を搭載して東京空襲を実施したことでも知られる

 発見日は2019年1月20日。場所は鉄底海峡として知られるガダルカナル島とサボ島に挟まれた海域から東に約300海里(約555キロ)離れたサンタクルーズ諸島北北東沖の水深5000メートルの海底です。

 マイクロソフトの共同創業者であるアレン氏が設立したこの捜索チームは、2018年10月にアレン氏が亡くなった後も、探査船「RV Petrel」(関連記事)で活動を続けており、2019年2月4日には日本海軍の戦艦「比叡」もソロモン諸島のサボ島北西沖の海底で発見しています(関連記事)。

 ホーネットは1942年10月26日に起きた「南太平洋海戦」(関連記事)で日本軍の空母「瑞鶴」「翔鶴」「隼鷹」「瑞鳳」に搭載した艦上機による攻撃を受けて行動不能になったところを、追撃してきた日本海軍の駆逐艦「秋雲」(関連記事)、「巻雲」(関連記事)の雷撃を受けて10月27日に沈みました。


赤い丸は、先日「比叡」が発見された海域。そして緑の丸が「ホーネット」が発見された海域。ホーネットは俗にいう鉄底海峡に沈んでいたわけではないことに注意したい

 捜索チームは、高精度ソナーで探査したホーネットが沈んでいる海底や搭載機の格納庫、ホーネットの艦番号「CV-8」を記した舷側、12.7センチ単装高角砲、20ミリエリコン対空機銃、旗甲板(艦橋構造物の上部にあってマスト基部で信号旗などを掲揚する作業エリア)、そして、近くの海底に沈んていた米海軍艦上戦闘機「F4F ワイルドキャット」の残骸などを撮影した画像を公開しています。

ホーネットは「3つに分断」されて沈んでいた

 高精度ソナーで探査した海底画像では、ホーネットの主船体と船尾部分、旗甲板がそれぞれ離れて着底していたことが分かります。

R/V Petrel ホーネット USS Hornet
海底を高性能ソナーで探査した画像から、ホーネットは主船体と船尾部分、マスト構造物を含めた旗甲板の3つに分断されて沈んでいることが分かった(写真:RV Petrel/Facebookページ、以下同)

 主船体と船尾部分が1浬(約1852メートル)離れていること、そして船体は中央の205メートル分が残っていたものの、その先は高精細ソナーでも確認できないほどに破壊されていました。また、最初に着底したとみられる船首部分が海底をえぐったあとまで確認できます。

 船体の画像では、当時施されていた迷彩塗装をカラーで確認できることに注目です。これは当時撮られた写真や資料などでははっきりと確認しにくい部分。「曲線で塗り分けられた迷彩パターン」や「青を基本とした色の違い」「艦番号 CV-8の“8”」を確認できます。また、対空機銃や高角砲も保存状態が良好なようで、その構造の把握も可能です。

R/V Petrel ホーネット USS Hornet
左舷側船首付近の舷側。迷彩パターンと艦番号「CV-8」の8の文字が残っていた

 ホーネットは日本軍艦上機の攻撃によって航行不能になったのち、護衛していた重巡洋艦「ノーザンプトン」で曳航(えいこう)を試みました。最終的には失敗するのですが、その作業のために用意した曳航索代わりの錨鎖(びょうさ)を船尾部分で確認できます。

 曳航を断念した米軍はホーネットを処分するために味方の駆逐艦で12.7センチ砲弾430発、魚雷6本を命中させましたが沈まず、最後は秋雲と巻雲が命中させた魚雷3本によってようやく沈没しました。船体の画像に、この魚雷で貫通したとみられる穴が映し出されていました。


搭載機格納庫付近を舷外方向から撮影された写真には、雷撃、もしくは着底時の衝撃による破孔が確認できた

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

       | 次のページへ
ページトップに戻る