重巡「古鷹」海底で発見 「ここは俺に任せろ! 青葉、お前は逃げろ!」──あの現場で何があったのか(1/2 ページ)
故アレン氏の沈船捜索チームが発見した「古鷹」。壮絶な最期に迫る。
故ポール・アレン氏が設立した沈船捜索チーム(関連記事)が、沈んでいる日本海軍軍艦「古鷹」の映像を公開しました。これらは、2019年2月25日にソロモン諸島のサボ島北西沖水深1400メートルの海底で発見したときの状況を撮影したものです。
古鷹は、1926年3月31日に就役した日本海軍の重巡洋艦です。太平洋戦争では、ガダルカナル島を巡る戦いで起きた第一次ソロモン海戦(関連記事)において「鳥海」「加古」「青葉」「衣笠」とともに連合軍の重巡4隻を沈める戦果を挙げています。また、最後の戦いとなったサボ島沖海戦(関連記事)では、敵の奇襲を受けて沈没寸前となった旗艦「青葉」の前に立ちふさがり、青葉を救った代わりに集中砲火を浴びて沈んでしまいます(翌朝、古鷹生存者の救助に来た駆逐艦「夏雲」「叢雲」も沈没)。
サボ島沖に沈む古鷹は、船体主要部と船首部分、そして艦橋構造物の3つに分かれていました。船首部分は船体主要部のすぐそばにありましたが、艦橋構造物は600メートルも離れていました(ちなみに古鷹の全長は185.166メートル)。
公開された映像(2本合わせて約8分)では、まず、船首部分のフェアリーダー(もやいロープを通すくぼみ)とその先にある菊花紋章の映像が出てきます。古鷹と同型艦(同じ時期に作られる同じ形の軍艦)「加古」を区別する「フェアリーダーの形状違い」が明瞭に認識できます。フェアリーダーからそのまま横に菊花紋章の部分までつながっているのが古鷹。加古は途中にくぼみがあります。
続くシーンは撮影箇所が明らかになっていません。大きさが分からないので断言できませんが、まっすぐ伸びた半円筒のような形状から第二煙突(第一煙突と第二煙突を束ねた前部煙突の後ろ半分)の可能性があります。
一番主砲のシーンでは、砲塔上部に被せた「遮熱板」と砲塔と遮熱板の間に設けた「冷却穴」の状況が分かります。これは、南方の日射で砲塔内部が熱くならないように、日よけの板(といっても薄い鋼板)を被せ、砲塔と遮熱板の間に空気を流して冷却するようにした、いわばクーラーユニットです。
続く「二番主砲」とテロップが入っているシーンに、破壊された主砲の姿が映っています。ただ、日本側の記録(防衛庁史實調査部 昭和21年3月15日作成「1942年10月11日−12日「エスペランス」沖海戦」)にある「被弾ノ爲三番砲塔旋回不能」という記述内容と一致しません(三番主砲は後部にある)。なお、その三番主砲も映っています(テロップでは後部主砲となっている)が、こちらは砲塔形状が比較的そのまま残っているように見受けられます。
「測距儀」のシーンでは機器に取り付けた計器盤の文字がはっきりと読み取れます。そこには「動揺修正距離目盛」「苗頭」という射撃管制で使う単語がありますので、射撃指揮装置に取り付けたデータ受信器の可能性も考えられます(測距儀が付属する九四式高射装置か?)。
サボ島沖海戦で被弾した二番(左舷側)魚雷発射管の映像では、覆いがなくなり内部の発射管本体が見えているだけでなく、その前部にあった予備魚雷格納も内部が確認できます。サボ島沖海戦ではこの発射管が被弾し、装填していた61センチ九三式魚雷(俗にいう酸素魚雷)から漏れた酸素に引火して大火災が発生しています。
艦尾付近には艦名を記した1文字の一部が残っていました。日本の軍艦は船尾に艦名を平仮名で右書きしていますが、残っている形状と海上自衛隊が使っている艦名文字(海軍の字体を継承している)を比較すると、「かたるふ」の「る」と似ているようです。ちなみに「る」の場所はつづり順的に右舷側になりそうなのですが、捜索チームがいうには「左舷側にあった」とのことです。
なお、古鷹の近くには同じサボ島沖海戦で沈んだ駆逐艦「吹雪」もいるはずです。Facebookでその可能性を指摘された沈船捜索チームは「今回は時間がないので吹雪の探索はしない。しかし、いつかきっと実施したいと考えている」と答えています。
追記【2019年5月21日8時更新】
本稿で取り上げたサボ島夜戦(第二次ツラギ夜戦またはエスペランス沖海戦)に関する公式報告書および記録としては「第六戦隊戦闘詳報第九号」(第六戦隊司令部昭和17年11月9日作成)、「1942年10月11日−12日「エスペランス」沖海戦(史實調査部昭和21年3月15日作成、「戦史叢書第083巻 南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで」(防衛庁戦史部昭和50年8月5日発行)があります。
それらに記載されてる古鷹の行動は「当初事前計画通り取舵を発令したものの青葉が集中砲火を受けて大火災を発生するを確認して、その救援のため面舵に変更」とあります。艦幹部の生存者が多いことと戦後の調査結果も踏まえた作成資料でもあるので信頼性は高いと思われます。
コメントで指摘があった「取舵後、形勢不利により面舵にて退避」とした記録は、私が把握している公式記録や戦後の調査記録、関係者手記などでは確認できませんでした(当時測的長の手記は明らかに舵の方向と交戦舷を間違えている)。ただ、公式記録が全て正しいかというとそういうこともなく、現に今回発見された古鷹の映像記録では被弾したはずの三番主砲が原型を留めていた一方で、記録では被弾していない二番砲塔が破壊されていました。今後調査を続けて被弾が左右舷どちらで多いのかなど、破壊状況や被害状況の調査が進むと公式記録の定説が変わる可能性はあります。それこそが、沈没した軍艦を調査する意義といえると思います。
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最初は空母ではなく「巡洋戦艦」でした。