「ガチャポン戦士2 カプセル戦記」はなぜファミコンにおけるガンダムゲーの最高傑作なのか:今日書きたいことはこれくらい
「SDガンダム」という題材と、「シミュレーションの皮をかぶったアクションゲーム」というゲームシステムの相性の良さ。
これは普遍的な真理なんですが、全人類は3つのカテゴリーに分類できます。ガンダムを見たことがある人類、ガンダムを見たことがない人類、ガンダムを見たことがないがガンダムゲーをやったことはある人類です。あなたはどの人類でしょう?
今さらいちいち言うまでもなく、「機動戦士ガンダム」はロボット系コンテンツの国民的な金字塔であって、世界には数知れない「ガンダム」ファンがいます。タイトル自体非常に歴史が深いため、シリーズのどれがガンダムであってどれはガンダムではないとか、これはガンダムとは認められないとか、ガンダムを見るならこの作品は押さえておかなくてはとか、タイトル間のさまざまな宗教戦争が存在することでも有名かと思います。宗教戦争こわいですよね。
ところで、どんな人気コンテンツでもそうであるように、アニメが売れると大体ゲームも出ます。ガンダムもご多分に漏れず、世の中には数知れない「ガンダムゲー」や「ガンダムも登場するゲーム」が存在しまして、中には「ガンダム自体は見たことがないがガンダムゲーは好き」などという、もともとのガンダムファンから見ると邪道に思えるであろうファンも存在します。
しんざき自身も、そういう「もともとのガンダムファンから見ると邪道なガンダムファン」の内に含まれまして、かなり長い間、「アニメは見たことがないがガンダムゲーは好き」という人間でした。
基本的にあんまりアニメを観ないしんざきは、社会人になってから「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」や「機動戦士ガンダムF91」「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」を見るまで、ガンダムアニメを見たことがありませんでした。にわかファンと考えていただいて何の問題もありません。けどセシリーは好きです。
ただ、ファミコンを中心に、ガンダムゲーについてはかなりの数をプレイしました。
例えば、30分プレイすると3日は「水の星へ愛をこめて」が頭の中で延々流れ続ける、ファミコンの「機動戦士Zガンダム ホットスクランブル」。
例えば、単に「ドラクエ」をガンダムキャラにしただけかと思いきやダメージ判定が独特で、ちょっと守備力を挙げるとほとんどダメージを受けなくなる、同じくファミコンの「SDガンダム外伝 ナイトガンダム物語」。
例えば、初見殺しと自機の当たり判定のデカさが相まって、数々のガンダム系STGの中でも恐らく最強レベルの覚えゲーとして仕上がっている、アーケードの「機動戦士SDガンダム サイコサラマンダーの脅威」。
例えば、普通の格ゲーであるかのように見せて、さまざまな新機軸と一部のモビルアーマーの大きさ再現の迫力がすさまじく、ビグザムなどはほぼ足しか見えないPSの「ガンダム・ザ・バトルマスター」。
そんな中でも、しんざきが特に偏愛しており、ガンダムゲーどころかウォー・シミュレーションゲーム全体の中でもかなり上位にランク付けしているのが、ファミコン・ディスクシステム版の「SDガンダムワールド ガチャポン戦士 スクランブルウォーズ」、そしてそれに連なる数々の後続作。
その中でも特に、ファミコンカートリッジの「SDガンダムワールド ガチャポン戦士2 カプセル戦記」については、あらゆるファミコンガンダムゲーの中でもぶっちぎりトップの完成度を誇る名作中の名作なのではないかと私は考えている、という話なのです。
まず、ディスク版の初代「スクランブルウォーズ」の話から始めましょう。
「戦闘だけアクションゲーム」という完璧なソリューション
「SDガンダムワールド ガチャポン戦士 スクランブルウォーズ」は1987年11月、ファミコンはディスクシステムで発売されました。
「SDガンダム」はもちろんガンダムからのスピンオフ作品で、当初はガシャポンやカードダスで展開されつつ、「BB戦士」シリーズやコミックボンボンでの展開でさらに人気が広がったものだと認識しております。「スクランブルウォーズ」は、そのSDガンダムシリーズの、ファミコンにおける初のゲーム化作品でした。
いきなり話が逸れて申し訳ないんですが、私、BB戦士シリーズの中でも「武者ガンダム」系列のデザインが本当に神がかっていると思っておりまして、特に好きなのは武者斎胡です。あの、「ちゃんとガンダムなのに誰が見ても戦国時代モチーフであることが理解できる」デザイン本当に素晴らしい。アレ天才の仕事だと思います。
さて、「スクランブルウォーズ」の何よりもすごいところは、その本質が「シミュレーションの皮をかぶったアクションゲーム」であり、しかもそれが「SDガンダム」という題材に、これ以上ないほどにベストマッチしていたことでした。
皆さん、「現代大戦略」シリーズはご存じですか? 元は1985年にシステムソフトから発売されたPCゲーでして、ウォーシミュレーションの長寿シリーズとして30年以上続いている超名作シリーズなんですけど。
「スクランブルウォーズ」は、その基本的なシステムとしては、ほぼ「ガンダム版大戦略」といってしまって問題ないであろうゲームデザインになっています。
プレイヤーは赤チームか青チームのどちらかの勢力を操り、ザクやガンダムなどさまざまなユニットを生産しながら、ターン形式でユニットを進軍させていきます。マップには平原・森・砂漠や海から宇宙までさまざまな地形があり、都市を占領しながら敵の首都を攻略することを目指します。
都市やコロニーを占領すれば収入も増え、収入が増えればより強いユニットを生産することができ、中にはマップ上で間接攻撃ができるユニットもありました。マップの構成単位が六角形の「へクス」ではなく四角形のマス目であるという違いこそあれ、これらシステムはほぼ、モチーフとなったであろう「大戦略」と共通しています。ガンダム版大戦略なんです。
そして、「大戦略」との唯一にして絶対の違いが戦闘システムでした。
同じく大戦略を一つのモチーフにしたであろう「ファミコンウォーズ」がそのまま踏襲した、プレイヤーの手を介在しない数値戦というシステムを、「スクランブルウォーズ」は取りませんでした。そこにあったのは、まさかの完全アクションゲーム。モビルスーツとモビルスーツ(一部モビルアーマー)の1対1のタイマンバトルが、まさにスクランブルウォーズの中核だったのです。
私、この「戦闘をアクションゲーム形式にしよう」と思った人、端的にいうと天才だったんじゃねえかと思っておりまして。
まず第一に、恐らくこの「アクション形式」でない限り、1987年当時に「ガンダムゲー」としての持ち味を出すことって難しかったと思うんですよ。
当時、例えばガンプラやBB戦士人気を見れば分かる通り、ガンダムファンの少年たちの最大の欲求は、「ガンダムをいじくりまわして遊びたい」ということでした。実際に色んなモビルスーツを戦わせてみたい。実際に、アニメみたいな戦いを形にしたい。そこが、それこそが、ガンダム少年たちの最大のニーズだったのです。
それに対して、「戦闘だけアクションゲーム」というソリューションは、ニーズを満たす方法として完璧でした。
何より、「自分で、実際にガンダムやゲルググを操作できる」という楽しさ。モビルスーツを走り回らせて、ビームサーベルで、ビームライフルで相手を狙い撃つというのは、既にその時点で「ガンダムのゲーム」に対してファミっ子たちが望む要素そのものでした。時に、弱いモビルスーツで大物食いをする楽しさ、格上のモビルスーツを食いまくる爽快感は、「エースパイロットになった気分」すら再現してくれるものでした。
「使える武器が強いかどうか」「足が速いかどうか」「打たれ強いかどうか」。アクションモードがあると、それだけでモビルスーツの個性づけも何重にも深くすることができます。接近戦が強いモビルスーツ。拡散ビームが撃てるモビルアーマー。ミサイルが強い戦艦。これが純粋なシミュレーションゲームであれば、1987年というこの時代、モビルスーツの個性づけというものはこうはいかなかったでしょう。
一方、多少のランダム要素があるとはいえ、最終的にはほぼ理詰めに帰着するのがシミュレーションゲームというものです。それに対して、アクション要素というのは不確定要素の塊です。
シミュレーションパートはあくまで理詰めのゲームとして、司令官気分を味わうこともできる。安いモビルスーツを量産して「戦いは数だよ」を実践してもいいし、ダブルゼータやメッサーラなどの高性能ユニットに一点集中しても良い。
一方で、戦闘自体は不確定要素山盛りであって、勝負の行方は最後の最後まで分からない。場合によっては、相手のたった一騎のエース機にこちらの侵攻部隊が全滅させられることだって、武者ガンダムの前に残骸の山を築くことだって十分ありえる訳です。これが、終盤までゲームをダレさせない盛り上がりを生みました。
いってみれば、「シミュレーションとアクションの共存」は、最高の「いいとこどり」でした。これ以上アクションに寄せても、これ以上シミュレーションに寄せても、このバランスは再現出来なかったはずなんです。
早い話、この「戦闘だけアクションにした」というこの一点の要素、このたった一つの武器だけで、スクランブルウォーズは「名作」になったのだ、と私は思っているのです。
ただ、惜しいことに、初代「スクランブルウォーズ」は、正直まだゲームとしては未完成だったと言わざるを得ませんでした。
1ターンに動かせるユニットはたった3ユニット。生産拠点も首都の一カ所のみ。敵の思考時間も戦闘前の読み込み時間も非常に長く、小さめのマップでもクリアするまではかなりの長時間を必要としました。とにかく遊びにくかったんですよ。
これは、後に同じくディスクシステムで、書き換え専用の「マップコレクション」が発売されても、根本的に改善されたとは言い難いです。「カンガエテマース!」もまあいい味出してはいたんですけどね。
それに対して、これら全てを飲み込んで、「SDガンダム」の一つの集大成として完成させたゲーム。
それが、それこそが「SDガンダムワールド ガチャポン戦士2 カプセル戦記」だったのです。
あらゆる不満点を解消した「カプセル戦記」
ディスクシステムからカートリッジに媒体を移した「カプセル戦記」は、上記の未完成な部分を片っ端から解決しており、「スクランブルウォーズ」を1ミリの隙もないシミュレーションバトルゲームの傑作に昇華させていました。
- 1ターンに動かせるユニットが12ユニットまで激増
- 使えるユニットは40種類以上、マップ数も30マップに激増
- ユニットに「Aボタン」「Bボタン」の武器だけでなく「A+Bボタン同時押し」の武器も加わり、ユニットの個性づけがさらに多彩に
- 戦艦が間接攻撃だけでなくユニット輸送の手段としても使えるように
- 生産拠点が首都の「ガチャポリス」だけでなく、複数の「ガチャベース」でも生産できるように
- 敵の思考時間が大幅に短縮、場面転換時の読み込み時間はほぼゼロに
- オープニングのBGMがめっちゃいい
最後のはあんまり関係ないですが、とにかくもう「これでもか」と言わんばかりの改良点の嵐であることは見てとっていただけるのではないかと思います。これぞ続編、これぞ正当進化。しかもこれ、全部が全部ゲームの中核要素なんですよ。
ゲームとして「スクランブルウォーズ」よりもはるかに遊びやすくなっているというのは言うに及ばず、ウォーシミュレーションとしてはまず「生産拠点が複数できた」というのがめちゃくちゃデカくて、なんとか敵陣営の中のガチャベースを確保して橋頭堡(きょうとうほ)にする戦略とか、一部の拠点で強力な秘密兵器を作っておいて他の拠点では量産機を作りまくるとか、とれる戦略の選択肢がとにかく激増しました。
もちろん動かせるユニットの純増もめちゃ大きく、更に戦艦がユニットを輸送できるようになったので、「戦力の移動・展開」というものも、きちんと作戦を考えて行えるようになりました。前線で敵の侵攻を支えつつ敵の背後に遊撃部隊を送り込むとか、ホワイトベースよろしく別動隊に強力なモビルスーツを隠して侵攻させるとか、当時めっちゃワクワクしたんですよ本当に。
一方、ユニット数がとんでもなく増え、かつ「第三の武器」が使えるようになったことから、「とにかくいろんなモビルスーツ・モビルアーマーを使いまくりたい」というプレイヤーの欲求も、とことん充足させてくれるようになりました。しかもこれが、結構どのユニットにもちゃんと使い道があるんですよ。
例えば、ヒートロッドで思わぬ大物を食えるグフとか。移動力6がさりげなく大きいマラサイ、クレーバズーカで地形戦に強いリック・ディアスやドライセン。
水中戦最強のカプール、戦闘でのハイスピードで相手を翻弄(ほんろう)するリ・ガズィや百式、足が遅いがミサイルがやたら強力なパラス・アテネ、変形と拡散ビームでチクチク攻めるメッサーラ。
最終的にはνガンダムがやや強力過ぎてνガンダム主軸の戦闘になりがちではありますが、それでもクイン・マンサやα・アジールなんかの大型機を前線に押し出すのはワクワクしましたし、ZZのハイメガ粒子砲を相手にブチ込めた時は脳汁が出ました。
で、「これら強力なユニットを生産するためにお金をためたい」「そのために都市をたくさん占領したい」っていうのも、きちんと戦略マップ侵攻を考える動機になるんですよ。
「司令官気分とエースパイロット気分、同時に味わうことができるゲーム」のファミコンにおける完成形だったといっていいでしょう。ちなみにしんざき自身は、量産機最強の「R・ジャジャ」を遊撃させて、相手の背後を荒らしまわる作戦が好きでした。この前久々にやってみたら武者Zに瞬殺されまくりましたけど。
ことほど左様に、ファミコンにおける「SDガンダム」を最初に完成させ、さまざまな面白さと中途半端なガンダム知識をファミっ子たちに教えてくれたカプセル戦記は、議論の余地なく名作中の名作だと。もうちょっといってしまうと、恐らくファミコンにおけるあらゆるガンダムゲーの最高傑作だと、そう考える次第なわけです。
「シミュレーション+アクション」の流れはいったん途切れるものの……
本当に残念ながら、ファミコンにおいて「シミュレーション+アクション」のSDガンダムはカプセル戦記で一度幕を下ろし、この後の「3」から「5」までは、「SDガンダム」は純粋なシミュレーションゲームになってしまいました。もちろんこれはこれで、成長要素やらなにやら面白くないわけではなかったんですが、それでも「シミュレーション+アクション」こそSDガンダムの華だと思っていた私が、当時残念感を感じなかったといえばウソになります。
しかし、これが一つの前振りだったかのように、SFC時代に発売された「SDガンダムX」は、最大7体の同時バトルが可能な多対多アクションというおまけまで付けて超絶名作としてよみがえってくれたわけなんですが、まあこれについてはまた別途書かせていただければと考える次第です。
長くなりましたが、最後に本記事の内容を簡単にまとめておきます。
- 「カプセル戦記」はファミコンにおけるSDガンダムの完成形
- 「大戦略の戦闘だけアクションにしよう」と思い付いて実際実行した人天才だとしか思えない
- ザクレロのコストパフォーマンスは異常
- 久々にプレイしたらCPUの武者Zが強すぎてνガンダムが10体くらい必要でした。こんなに強かったっけ?
- CPUキャラ、ティターンズのバスク、ネオ・ジオンのハマーン、新生ネオ・ジオンのシャアは分かるが、ジオンのマ・クベだけやや浮いているような気がしないでもない
- クリア画面で毎回コロニーを落とすダブルゼータを誰かなんとかしろ
- ちなみにゲームボーイの「SD戦国伝」も、説得があったり索敵要素があったり、いろいろ異色なSDガンダムとして面白かったですよね
という感じのよく分からない話になるわけです。よかったですね。>私
今日書きたいことはこれくらいです。
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