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「ドラゴンボール 大魔王復活」はなぜ『ドラゴンボール』のゲーム化として最高だったのか今日書きたいことはこれくらい

なぜ「神龍の謎」のシステムをそのまま引き継がなかったのか?

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 皆さん、「キャラゲー」って好きですか?

 今さら言うまでもなく、キャラゲーというのは「漫画やアニメ、小説などを原作にしたゲーム」のことです。当然人気がある原作ほどキャラゲーにされる頻度は高いので、多くのキャラゲーは一定以上の人気が出ます。ファミコンにもスーファミにもメガドライブにもPCエンジンにもそれ以降のハードにも、たくさんのキャラゲーが存在します。「おそ松くん バック・トゥ・ザ・ミーの出っ歯の巻」とか。「ツヨシしっかりしなさい 対戦ぱずるだま」とか。懐かしいですよね。


ライター:しんざき

しんざき プロフィール

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ、三児の父。ダライアス外伝をこよなく愛する横シューターであり、今でも度々鯨ルートに挑んではシャコのばらまき弾にブチ切れている。好きなイーアルカンフーの敵キャラはタオ。

Twitter:@shinzaki



 8ビット時代、漫画やアニメ原作をゲームにする際には、いくつかのパターンがありました。

 一番多いのは、「取りあえずアクションゲームにしてしまう」というものでした。これは一つの王道のようなものでして、アクションキャラゲーには名作もあれば、やや首をひねってしまうようなタイトルもあります。無印の「ドラえもん」とか、「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」とか、「ビックリマンワールド」とか、「忍者ハットリくん」とか、「わんぱくダック夢冒険」とか、アクションキャラゲーって古今東西山ほどありますよね。


ドラゴンボール大魔王復活 忍者ハットリくん(1986年)

 このあたりは、基本的には「それまであったアクションゲームのキャラクターを、原作のキャラクターに置き換える」という発想で作られたものが多かったように思います。「ビックリマンワールド」なんかはほぼそのまま「ワンダーボーイ モンスターランド」の移植なんで逆にちょっと特殊ですが、やはり下敷きがあった方がゲームも作りやすい、というのは確かだったのでしょう。

 もう一つよくあるパターンとして、「アドベンチャーゲームに仕上げる」というソリューションもありました。これは、止め絵を自然に使えるアドベンチャーゲームの仕様上、原作の雰囲気を再現しやすいという強みがあった一方、「シナリオの出来がゲームの出来に直結する」というリスクもありました。皆さん良かったら今度、ファミコンの「めぞん一刻」と「美味しんぼ 究極のメニュー三本勝負」を遊び比べてみてください。「めぞん一刻」、今ゲーム化したらこの画像どう考えてもアウトだろ、みたいな画像もゲーム内に出てきて味わい深いです。

 他、例えば「ドラえもん ギガゾンビの逆襲」や「悪魔くん 魔界の罠」のような「RPGにする」という選択肢もあれば、「ガルフォース」や「超時空要塞マクロス」のようにシューティングにする選択肢、「SDガンダムワールド ガチャポン戦士」や「銀河英雄伝説」のようにシミュレーションにする選択肢あたりが代表的なところでしょうか。

 「キャラゲーにはクソゲーが多い」などという人がいますが、どちらかというと「原作人気がある分注目度が高く、あまり出来が良くないタイトルでもたくさん売れてしまったため、印象に残っている人が多い」という要因の方が強いように思います。原作と同時並行で作らなくてはならないキャラゲーの中には旬が短いものもあり、中には十分な期間をとって開発できなかったのかなーと思わせられるタイトルも確かに存在しましたが、それでも良作もあれば名作もありまして、私にはいくつも思い出のキャラゲーがあります。

 例えばバンダイの「SDガンダムワールド ガチャポン戦士2 カプセル戦記」。ハドソンの「ドラえもん」。テクモの「キャプテン翼」。カプコンの「天地を喰らう」。コナミの「火の鳥」。

 いろいろありましたよね。皆さんの思い出に残っているキャラゲーは何でしょうか?


「ドラゴンボール 大魔王復活」で何が起こったのか

 「ドラゴンボール」の話をします。

 もちろん『ドラゴンボール』は国民的人気漫画でして、ファミコンにもそれ以降のハードにも、多くのタイトルを出しています。

 1作目の「神龍の謎」は1986年11月発売。トップビューのアクションゲームでして、作り自体はまあオーソドックスなんですが、正直想定プレイヤー層に対して難易度がやや高過ぎた感はあります。


ドラゴンボール大魔王復活 ドラゴンボール 神龍の謎(1986年)

 時間制限もキツければ初見殺しもあちこちにあり、当時のファミっ子の中には途中で挫折してしまった人も少なくありませんでした。一方、発売時期からもファミコンの性能からも無理からぬことではあるのですが、グラフィックがややチープであって、「ドラゴンボールのゲームが遊べる」と期待していたファミっ子の中には「これじゃない……」という感想を抱いてしまった人もいたかもしれません。

 一方。

 「神龍の謎」に続くファミコンドラゴンボールゲームの2作目、「大魔王復活」では何が起こったのか、ということが今回のお話のメインテーマなわけです。

 「ドラゴンボール 大魔王復活」。1988年8月、バンダイより発売。1988年というのはちょうど原作でもピッコロ大魔王編が連載されていたころであり、まさに8月15日がピッコロ大魔王との決着をつける巻の発売日でした。ほぼ連載と平行してゲームが開発されていたことが分かります。


ドラゴンボール大魔王復活 ドラゴンボール 大魔王復活(1988年)

 私が何よりすごいと思っているところは、この「大魔王復活」が「アクションゲームではなかった」ということです。

 皆さんお分かりの通り、『ドラゴンボール』は既にこの時期「格闘アクション漫画の金字塔」としての立ち位置を固めつつありました。桃白白以降、『ドラゴンボール』という漫画は基本的に「立ちふさがる強敵をどのように倒すか」という展開が連続するようになっており、漫画自体が熱い戦い山盛り展開でした。普通に考えれば、ばったばったと敵を倒すアクションゲーム、ないしRPGがジャンルとして選択されるのが自然なところです。

 さらには、この大魔王復活は「2作目」なわけです。1作目に、アクションゲームの「神龍の謎」がある。あのころよりはるかに充実したスペックで、「神龍の謎」でできなかったことをやりたい、アクションゲームを完成させたいというのも、開発者の欲求としてあってもおかしくなかったように思います。

 ところが。「大魔王復活」がジャンルとして選んだのは、なんと「すごろく形式のボードゲーム風RPG」でした。スタッフは、このゲームを「神龍の謎2」にするという道を選ばなかったのです。

 私、これがまず一つ、すごい「試み」だったと思っていまして。

 もちろん、下敷きには「神龍の謎」への反省点があったんだろうなー、と思うんです。

 そもそも、恐らく当時のファミコンのスペックは、「『ドラゴンボール』をアクションキャラゲーとして再現する」には無理があった。『ドラゴンボール』は、当時既に「超スピード」やら「光線技」やらを盛り込んだ超人バトルの世界になりつつあって、普通のアクションゲームで「悟空になったつもり」感をプレイヤーに提供することは困難だったんです。それを実現するためには、恐らくスーパーファミコンのスペックが必要だった(それを初めて実現したのが「ドラゴンボールZ 超武闘伝」だと思うのですが、いったんそれは置いておきます)。

 でも、そこで「じゃあボードゲームにしよう」というのは、なかなか出ない発想だと思うんですよ。だって、当時まだ「桃鉄」出てませんよ? 前年の1987年に「鉄道王」が出ているとはいえ、ボードゲームというフォーマットは、まだまだファミコンでは「実験ジャンル」の部類だったはずなんです。それを「ドラゴンボールの2作目」というビッグタイトルで採用することが、冒険でなかったはずはないんです。


「アクションゲームを離れる」ことで得たもの

 しかし、この「ボードゲーム」というフォーマットが、正に『ドラゴンボール』という原作とベストマッチする工夫が、そこにはありました。

 それは、一言でいうと「カードバトルとボードゲームでリソースが共通化されていること」

 これ、大魔王復活のボードゲームパートの画面です。


ドラゴンボール大魔王復活

 下の方にカードが並んでますよね。さらに、そのカードにいろんな漢字が書いてある。ボードゲームパートではこれが移動リソースになっていて、悟空が使ったカードの星の数だけ移動できるようになっています。

 ゲームの中で悟空はいろんな敵とバトルをすることになるんですが、


ドラゴンボール大魔王復活

 この時もこのカードを使うんです。カードに記されたドラゴンボールの星の数が相手より多いと攻撃が成功し、また書いてある漢字によってさまざまな種類の攻撃が発生します。

 つまりこれが、「ボードゲームパートで多く進めるカードを使うか、バトルパートのために強いカードを溜めておくか」というトレードオフ要素になっているんですね。「ボードゲームで遊びつつ、バトル用に派手な技が使えるカードを集める」という行為が、既にゲームとして成立しているんです。これがまた、強いカードをうまく集めれば、かなりの強敵にも勝てたりしまして、アクションゲーム不慣れなちびっ子でも「ドラゴンボールの逆転感」が味わえたんです。

 画面を見ていただけば分かる通り、このゲーム、「神龍の謎」よりもはるかに悟空のグラフィックがちゃんと再現されており、さらにバトルの表現自体が漫画のコマ割りのようになっています。あえてアクション性をガン捨てすることによって、プレイヤーは漫画に近い戦闘を体験することができる。同じ「必」や「連」でも使われる技にはバリエーションがあり、「今度はどんな技が出るのかな?」とわくわくする要素もありました。

 さらに、成長要素もあれば仲間カードでのパワーアップ要素なんかもあり、「ドラゴンボールなのにボードゲーム」というシステムの説得力がガン上がりしていました。

 これ、当時、多くのファミっ子が「あれ…これ結構面白いぞ……!?」となったはずです。

 キャラゲーの一つのキモは、「いかにプレイヤーを、漫画の中に入ったような気にさせるか」です。ボードゲームパートとバトルパートだけについて言えば、「大魔王復活」はこの要素を完全に、完璧に満たしていました。

 あえて「アクションゲームを離れる」ことによって、ファミコンというスペックで「漫画的な体験」をプレイヤーに提供することに、見事に成功した。これが、私が考える「大魔王復活」の素晴らしい試みであって、これには一面、サッカー漫画なのに既存のサッカーゲームのフォーマットを選択しなかった、テクモの超絶名作「キャプテン翼」と通じるものがあります。

 もちろんゲームとしての欠点がないわけじゃないんですけどね。ボードゲームの合間合間にアドベンチャーゲームパートがあるんですが、こっちの出来は正直かなり微妙です。即死選択肢はちょくちょくあるわ無意味な選択肢は多いわ、話しかけても「……」ってなるキャラは多いわ。しゃべって! 亀仙人なんかしゃべって!!!

 正直これはどうにかして欲しい、と思ってたら続編の「悟空伝」以降ではだいぶ改善されました。アドベンチャーパートですぐ死ぬ悟空じゃなくなって本当に良かった。

 この後、ファミコンで出た「ドラゴンボール」の続編が、ほぼ「大魔王復活」のフォーマットを拡張したシステムを利用し続けていることを考えると、「大魔王復活」の試みが「偉大な転換点」だったことは間違いないと言っていいでしょう。「大魔王復活」もまた、ファミコンゲーム史における、記憶されるべき挑戦作の一つだったのです。


「あえてボードゲームにした」もう1つのゲーム

 ところで一つ余談なんですが、「原作を再現するにはスペック不足だからアクションゲームを離れてボードゲームにした」という「試み」について、しんざきにはもう一つ思い当たる例があります。

 それは、ファミコン版の「源平討魔伝」です。あれも、原作は超美麗アクションゲームだったところ、ファミコン版がまさかの完全ボードゲームで、当時プレイヤーの度肝を抜いたんですよ。


ドラゴンボール大魔王復活 源平討魔伝(1988年/画像は駿河屋より)

 当時、ファミコンでは既にコナミの手による「月風魔伝」が出てしまっておりまして、これが恐らくアーケード版「源平」を意識していたと思われるんですが、また悔しいくらい出来が良かったんですよ。ファミコンというプラットフォームに完全に最適化されていて、めちゃ遊びやすいし面白かった。

 だから、恐らくファミコンのスペックで「源平」を再現しようとしたら「後だしの月風魔伝」にするしかなかった。それくらいならということで大方向転換をしたのがファミコン版源平だったのではないか、というのがしんざきの妄想であって、ここにも類似の「試み」があったのじゃないかと思っているんです。

 しんざきはレトロゲームを遊ぶのが好きでして、ファミコンのゲームなんて大好物で今でもちょくちょく遊んでいるんですが、ゲーム自体楽しいということもさることながら、何よりも「開発者さんの試み」を読み解くのが大好きです。このゲームを作った時、開発者さんはどんな困難にぶち当たって、どんな解決法を考えてこういうシステムになったのかな、なんてこと、よく妄想します。

 今の時代にファミコン? なんて思わず、当時の背景をいろいろと想像しながら遊んでみるのもなかなか楽しいですよ、と。

 そういう話だったわけです。

 今日書きたいことはこれくらいです。


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