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直江津駅「あとひくいなり寿し」(650円)~駅弁屋さんの厨房ですよ!(vol.22「ホテルハイマート」編(3))

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】(初出:2020年3月4日)


えちごトキめき鉄道ET127系電車・普通列車、妙高はねうまライン・上越妙高~南高田間

平成27(2015)年の北陸新幹線開業に伴って誕生した「えちごトキめき鉄道」。

旧信越本線・妙高高原~直江津間には「妙高はねうまライン」、旧北陸本線・市振~直江津間には、「日本海ひすいライン」という愛称が設けられました。

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妙高はねうまラインでは、JR東日本から譲渡された2両編成のET127系電車が活躍中。

とくに朝は、2両編成を3つつないだ最大6両で、通勤・通学輸送に当たる列車もあります。


直江津駅「新潟県鉄道発祥の地」

直江津駅のホームには、「新潟県鉄道発祥の地」のモニュメントがあります。

明治19(1886)年、旧信越本線の直江津~関山間・29.4kmが、新潟初の鉄道として開業。

この区間が最初に作られたのは、東京~京都間を中山道経由で結ぶ鉄道の建設が決まり、その建設資材を運ぶため、まず直江津~上田間が建設されたことによるものです。

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0キロポストは、直江津~新潟間が北越鉄道として開通した際に作られたと云われています。


ホテルハイマート

「鉄道のまち・直江津」の駅前で、明治時代から100年以上にわたって、宿を営みながら、直江津駅の駅弁を作り続けているのが、「ホテルハイマート」です。

駅弁膝栗毛の恒例企画「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第22弾は、昨秋、名物「さけめし」が駅弁大将軍に輝き、北陸新幹線・えちごトキめき鉄道が開業5周年を迎えた、直江津駅弁「ホテルハイマート」に注目しています。


ホテルハイマート・山崎知夫営業統括部長
  • 山崎知夫(やまざき・ともお)営業統括部長。
  • 昭和52(1977)年2月18日、新潟県上越市生まれ。
  • 高校卒業後、神戸で5年あまり修業されて帰郷し、ホテルハイマート入社。
  • お父様の山崎邦夫社長が4代目。
  • ご自身の世代で5代目、ホテルハイマートの駅弁部門を統括している。

 

「旅館山崎屋」が「ホテルハイマート」のルーツ!

「ホテルハイマート」…元々、山崎家の「旅館」だったんですよね?

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山崎家は元々、北前船で栄えた直江津の港で「旅館 山崎屋」をやっていました。

明治19(1886)年、新潟で初めての鉄道が直江津に通ったことで、まちのにぎわいの中心が、鉄道駅に移ったことから、旅館で作った弁当を、駅前に持って行って売るようになりました。

直江津駅自体も当時はもっと海寄りにあったので、それでもよかったんですが、盛況のため、早々に駅舎が狭くなって、明治32(1899)年に駅がいまの場所に移るんです。


3代目・直江津駅舎模型(直江津学びの交流館)

直江津駅前にお店を出したのは、いつごろですか?

直江津駅の移転から2年ほどして、山崎屋は分家する形で「旅館山崎屋支店」を直江津駅前に出すことになり、これが、現在の「ホテルハイマート」のルーツとなります。

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当時の記録が残っていないため、よくわかりませんが、これと前後して、駅構内での営業も行われるようになったのではないかと思われます。

ちなみに2000年代初頭までは、本家の「旅館山崎屋」も営業していました。

山崎家の“駅弁の血”を守りたい!

「旅館山崎屋支店」初代の方は、どんな方だったんですか?

初代は山崎多七(やまざき・たしち)と言いまして、山崎家の娘に婿養子に入った人物です。

多七に続く2代目が、私の祖父・重治(しげじ)、3代目が伯父の多三郎(たさぶろう)と続き、いまの4代目、私の父・邦夫(くにお)になります。

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「多七」の名は、いまも「ホテルハイマート」の2階に「お食事処 多七」として残しています。

じつは旅館山崎屋に弁当部を立ち上げたのが、この多七と結婚した山崎家の娘なんです。


お食事処多七

「旅館山崎屋支店」から「ホテルハイマート」へ、いつごろ変わったんですか?

昭和49(1974)年、先代の社長時代に「旅館山崎屋」から「ホテルハイマート」になりました。

ハイマートとは、ドイツ語で“ふるさと”の意味です。

じつは昭和50年代、駅弁を製造していた「弁当部」を廃止しようという動きもありました。

しかし当時、専務だった父が「少し待ってほしい」と頼んで、駅弁のリニューアルを行うなど、てこ入れに取り組んだことで、いまにつながりました。

草創期の直江津名物駅弁「いなり寿し」!

お父様は、なぜ「駅弁」を守ろうとしたのでしょうか?

私の祖母に当たる、母親の存在が大きかったのではないかと思います。

母親も旅館山崎屋の弁当部にいて、駅弁を作っていました。

(山崎家代々の血を引く、初代の奥さんが立ち上げた“弁当部”だからこそ)お母様の思いを、いまに伝えたかったのではないかと…。


あとひくいなり寿し

草創期の「旅館山崎屋支店」は、どんな駅弁を作っていましたか?

昔は「山崎屋といえばいなり」と云われたそうです。

そこで一時期、販売が途絶えていたいなり寿司を、平成23(2011)年の信越本線・関山~直江津間開業125周年に合わせて、「あとひくいなり寿し」(650円)として復刻させました。

ただ、当時の資料はほとんど残っていませんでしたので、社長が昔食べた「いなり寿し」の記憶を思い起こしながら作っていったんです。

(ホテルハイマート・山崎知夫営業統括部長インタビュー、つづく)


あとひくいなり寿し

あとひくいなり寿し

あとひくいなり寿し

地元の英雄・上杉謙信と親鸞聖人、五智(ごち)国分寺三重塔が描かれた掛け紙を外すと、甘い香りと共に、ウェットないなり寿しが5つとガリが現れました。

揚げに詰まった酢飯には、細かく刻まれた人参、竹の子、椎茸、かんぴょう、れんこん、山クラゲ、ひじき煮など、山海の幸がたっぷり混ぜ込まれているのが特徴。

昔、直江津を行き交った長距離列車の乗客のみなさんが、客車の窓から手をグッと伸ばして、この駅弁を買い求めたのでしょう。


えちごトキめき鉄道ET127系電車・普通列車、妙高はねうまライン・新井~二本木間

信越本線は、国鉄時代からJR初期まで、高崎~新潟間の路線でした。

元々、高崎~直江津間は官設鉄道、直江津~新潟間は私鉄の北越鉄道として開通。

のちに北越鉄道が国有化されて、1本の「信越本線」となりました。

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」ホテルハイマート編、山崎知夫営業統括部長のインタビュー、次回は、いまも直江津駅ホームで行われている立ち売りの話を伺います。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史

昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。

駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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