こんにちは、たろちんです。いい年して両親同伴ですみません。
皆さんは1985年公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(BTTF)を見たことはあるでしょうか。科学者のドクが乗用車を改造して作ったタイムマシン「デロリアン」でおなじみの名作SF映画です。なぜそんな話をするかというと、これは毎号付いてくるパーツを集めると8分の1スケールのデロリアンが完成するマガジンシリーズ、週刊「バック・トゥ・ザ・フューチャー デロリアン」のPR記事だからです。
「BTTF」第1作は高校生のマーティが1985年から30年前の時代にタイムスリップしてしまい、ひょんなことから両親の恋愛が成功するよう手助けするという話。劇中では30年間のジェネレーションギャップなどもコミカルに描かれており今見ても名作なんですが、映画が公開された年に生まれた筆者にとってはそもそも1985年自体が謎の多い過去になってしまっています。
そこで当時のことをよく知る自分の両親に、30年前の恋愛事情などについて聞いてみることにしました。僕の家はわりと家庭事情が複雑だとツッコまれることが多いのでいい機会だと思ったからです。さあ、心の中のデロリアンに乗って、30年前の思い出にタイムスリップだ!(30年前っぽいフレーズ)
プロフィール
母 61歳。約20年前の離婚以来、半ニートの筆者と妹を女手一つで育てた偉人。最近定年退職してカントリーダンスを始めたらしい。
父 65歳。調理師。東京生まれ東京育ちで「俺は江戸っ子だから」が口癖だったが最近埼玉に引っ越した。結婚後、母方の祖母との同居に耐えられず家を出るが、離婚後も家族で食事や旅行に行くなど仲良くやっている。
出会いのきっかけが俺の知ってるのと違う
―― そもそも2人は何がきっかけで知り合ったんだっけ? 確か昔聞いた時は母さんの友だちの紹介とか言ってた気がするけど。
母 違うわよ。お母さんがスナックで働いてたときにお父さんがお客さんとして来たのよ。
―― ファッ!?
母 お父さん、当時の奥さんとあんまり上手くいってなかった時期らしくてね。いろいろそんな話聞かされたわよ。忘れちゃったけど。
父 そうだったっけか。
―― ちょっと待って、いきなり知らない話ばっかり出てパニックなんだけど。まず母ちゃんスナックで働いてたの?
母 昼間は○○○(某有名化粧品会社)で働いてたんだけど、知り合いの人がスナック開くから手伝ってほしいって頼まれたのよ。それで夜だけ週に何回かならいいですよって。
―― 31歳にして普通の会社員だと思ってた母親が元夜の蝶だったことを知った時の顔してる。
母 そんな大げさなもんじゃないわよ。放課後にやるアルバイトと変わらないわよ。
―― そういえば「BTTF」でもめっちゃお固い母親が、実は若いころ酒やタバコでヤンチャしててマーティがビビるってシーンあったな……。
母 親だって人間だからねえ。
―― 親父はよくやってたの? スナックでホステスを口説くとかそういう……。
父 バカ野郎。ホステスって言っても母ちゃんは昼間ちゃんと仕事してて、人間としてしっかりしてたんだぞ。その人がどういう人間かってのは少し話せば分かるもんなんだよ。
―― と言ってますけど。
母 「お店のあと寿司食いに行こう」って誘われたのよね。最初はお客さんとそんなの「ええ〜?」って思ったけど。
―― と言ってますけど。
父 な、しっかりしてるだろ?
―― というかスナックって行ったことないから分かんないんだけど、どういう流れで「行こう!」ってなるの?
父 昔は今みたいにカラオケボックスなんかほとんどなかったから、歌いたくなったらスナックに行くしかなかったんだよ。
―― へー、カラオケのかわりだったんだ。
父 1曲100円でさ、客が歌った回数だけママが「正」の字で数えといて最後に請求されんの。
母 前の奥さんと一緒にお店きて私と肩組んで歌ったりしてあとで怒られたりしてたわよね。
父 そうだったっけか。
―― 何やってんだよ。
25歳すぎて独身の女性は「クリスマスケーキ」と呼ばれた
―― スナックのころって連絡取るときはどうしてたの?
母 最初はお父さんがお店にきて、それからご飯食べに行ったり。しばらくしてからは私がお父さんの家に電話してたかしらね。
父 俺が一人暮らしで母ちゃん実家だったからな。
―― ああ、携帯電話がないとそうなるのか。
母 女が家を出るのは結婚するときだ、っていう時代だったからねえ。
父 ケータイないから待ち合わせが不便だったよな。
―― それあるあるのやつだ。実際どうしてたの?
父 どうするもこうするも待つだけだろ。1回お互い待ち合わせ場所勘違いしてて3時間くらい待ったな。そのときは帰った。
―― 帰ったんだ。
母 そうそう、だから昔は喫茶店で待ち合わせすることが多かったのよ。そうすると何かあったら喫茶店に電話すれば「○○さんに電話でーす」って呼び出してもらえるから。
―― あー、電話がある場所で待ち合わせするって意味もあったんだ。デートで行く場所とかは?
父 喫茶店行って映画行ってメシ行ってとかそんなもんだな。あとは公園。お台場が今みたいな観光地になる前に水上バスで行って散歩してた。公園はタダでキスできるからいいんだよ。
―― 何言ってんだ。
母 それ別の人の話でしょ。
―― 母さんも何言ってるんですか。
母 お父さん、前の彼女と行ったデートコースを使いまわすのよ。妙にスラスラ案内するなと思ったら昔の女の人と来た事ある場所だったっていう。
父 なんだよ……。いいじゃねえか、いいとこなんだから。
母 「鎌倉に遊びに行く」って言うからハイヒールで行ったら山登りさせられたこともあったわよ。帰りは足が痛くて口もきけなくなっちゃって。そこもやっぱり前の女性と来てたとこなのよね。
父 うぅん、おう。
―― 親父がモゴモゴしてるからそのへんにしてあげて。母さんが30歳のときに結婚して俺が生まれたんだよね。
母 ちょっと結婚するの早すぎるかな〜と思ったんだけどね。
―― え、当時としては遅いほうだったんじゃないの?
母 周りの中では早かったのよ。お母さんの友だち、今も結婚してない人3人いるから。
―― インタビューする相手を間違えてる気がしてきた。
母 でもあのころは24歳までには結婚するものだ、みたいなのがあったのよ。「25過ぎの女はクリスマスケーキ(行き遅れ、売れ残り)」なんて言葉があったくらいだから。
―― 今そんなこと言ったらネットで袋叩きにされそうだな……。
ネットがない時代の情報源は「本」
―― 今って何するにしてもネットで簡単に調べられるけど、昔は遊びに行く場所の情報とかどこで仕入れてたの?
父 本だよ。
―― 雑誌ってこと?
父 いや、今みたいに「なんとかウォーカー」みたいな情報誌ねえから。俺は池波正太郎のグルメエッセイが好きだったから、そこに書いてある店に母ちゃん連れてって食べ歩きしてた。
―― ああ、そういう本の影響力も今より強かったのか。でもおいしいお店情報とかってテレビで死ぬほどやってたんじゃないの?
父 昔はテレビで「どこそこの店がうまい」なんて番組なかったぞ。「一億総中流」とか言い出してみんながうまい食い物に飛びつくようになってそれからだよな、やたらテレビで飯屋の番組やるようになったの。
―― 逆に今ネットが便利になってきて、そういうので情報仕入れたりはしないの? 母さんはパソコン使うよね。
母 本とか雑誌で見たお店をパソコンで調べて地図印刷したりはするわよ。
―― 印刷しなくてもケータイでも地図見られるよ。
母 ケータイはよく分かんないのよ。お母さんいまだにガラケーだし。
―― 親父はパソコンやらないけどスマホ使ってるよね。最近LINEとか使ってるし。地図アプリとかは使えるの?
父 東京の地図なんか全部頭に入ってるからどこへでも行けらあ。タクシーの運ちゃんより詳しいぞ俺は。
―― なるほど……(使えないんだな)。
母 あんまり普段からケータイ使わないから必要だと感じないのよね。
父 なんで? スマホはパソコンの前に座らなくても同じことできるんだから便利じゃん。俺、競馬の馬券はもうスマホで買ってるぞ。
―― 便利になったおかげで負け額が増えたと聞いたんですが。
父 そもそも俺らが子どものころは家の固定電話がようやく普及し始めたころだからな。うちも電話が入ったのが中学生くらいで、学校の連絡網に電話番号がないやつとかちらほらいたんだよ。
母 うちは高校まで電話なかったわよ。
―― それ緊急の連絡網とか回ってくるときどうするの?
母 そもそも電話で連絡網を回すのが今ほど当たり前じゃなかったんじゃないかしらねえ。運動会の日に天気が微妙なときは学校まで見に行って「旗が上がってたら決行!」とか。
―― 時代だなあ。最近はメールやHPで連絡する学校もあるらしいよ。
母 電話が当たり前になってもう半世紀くらい経つもんね。電話がないころはご近所さんに電話借りたりする文化もあったのよ。昔の家って居間じゃなくて廊下や玄関先に電話が置いてあったけど、あれも電話だけ借りに来る人のためにそうしてたのよ。
―― あー、確かに「サザエさん」とかに出てくる電話って妙に居間から遠いなと思ってた! これもあるあるだけど「女の子の家にかけたらお父さんが出て気まずい」とかってあったの?
父 あるよ。だからそうならないように事前に電話する時間決めとくんだよ。
―― なにそれ。
父 学校で女の子に「今日○時にかけるから電話の前にいてくれ」って言っとくんだよ。そうすれば他の家族と話さなくてもすむだろ。
―― なるほど。それはそれで趣があるな……。
映画をきっかけにブレイクした「デロリアン」
―― ところでこれ、デアゴスティーニの週刊「バック・トゥ・ザ・フューチャー デロリアン」のPR記事なんですよ。
父 そうか。
母 しっかり宣伝しなさい。
―― あ、はい。ていうか「デロリアン」って実際にあった車なんだよね? やっぱり人気あったの?
父 いや、ほとんどの人が知らなかっただろ。そもそもデロリアン社ってあの車1台しか作ってなくて、映画が公開される前に倒産してるんだよ。
デロリアン
デロリアン社は1975年に設立された実在の自動車会社。ジョン・デロリアン社長の「理想の車」というコンセプトで、1981年に初のモデルとなる「DMC-12」(通称「デロリアン」)を発売。当初の売り上げは好調だったものの、価格の高さやデロリアン社長のスキャンダルなどで業績が悪化し1982年に倒産(「BTTF」は1985年公開)。「DMC-12」の総生産台数は約9000台といわれている。
―― えっ、そうなんだ。てっきり当時の人気モデルなのかと思ってた。
父 昔人気あった車っていったら「グロリア」とか「スカイライン」とか「フェアレディZ」とかじゃないか? そのあと映画が人気になってから「あのBTTFに出てたタイムマシンの車だ」ってことでデロリアンが有名になったんだよ。
―― へー。ちなみに「BTTF」は見たの?
父 見たよ。テレビで。
母 テレビで見たね。
―― テレビかよ。
母 あなたが生まれたばっかりだったから映画館行けなかったのよ。
―― あ、そうか。
父 母ちゃんとの初デートで行った「E.T.」は映画館で見たよ。泣いた。
―― 泣くんだ。
父 あの子どもとE.T.の心が通じ合うシーンがいいんだよ。「BTTF」もSFだけど家族がテーマになってるところがいいんだよな。
―― 親父って結構「家族」とか「絆」みたいなのに弱いよね。2回も離婚してる割には。
父 うるせえよ。
「BTTF」の好きなシーン・エピソードについて家族に聞いてみました
父「マーティの親父がビフぶん殴るシーン」
母「ドクのキャラが好き。シリーズの最後でドクが家庭を持って幸せになったのがうれしかった」
妹「マーティが1955年のプロムで『ジョニー・B・グッド』を演奏するシーン。観客がポカンとした後にマーティが言う『君たちにはまだ早い。君たちの子どもには分かる』ってせりふが最高。チャック・ベリーがこの曲を聞いて後のヒット曲になるって演出もよかった。あとMLBで本当にカブスが優勝したり、ビフのモデルになったトランプが大統領になって世間を騒がせたり映画と現実が微妙にリンクしている『未来予知』的な側面も面白くて……」
ぼく「一番世代が違う妹が一番語ってるのがすごい」
―― うちは親父と母さんが離婚したあともこうやって家族で定期的に集まってるけど、どうしてそういう形になったの?
母 それはあなたたちがいるからよ。
―― 僕と妹ですか。
母 子どもがいるから今も会えるのよ。
―― そういうものなんだ。
母 いろいろあって離婚することになってお父さんが家を出る形になったけど、お父さんが子どもに会えなくなるのはかわいそうじゃない。お父さんだってあなたたちに会いたいんだから。
―― そうなの?
父 子どもに会いたくない親なんかいねえよ。でも親からあれこれ言ってめんどくさがられたら嫌じゃん。子どもだって1人の人間として生きてるんだからさ。
―― 僕は自分の家庭のこと不幸だとか嫌だとか思ったことないし、こうやって家族で集まるのは楽しいですよ。一緒に酒も飲めるようになったし。
父 おう。そう思ってるならよかったよ。
というわけで、自分の両親の恋愛事情をほじくり返すという親不孝なインタビューをやってきました。最後ちょっといい話みたいになりましたが、実際は会話の9割くらいが「墓はどうするんだ」「遺言はちゃんと書いておいて」とかいう生々しい話ばっかりで大分めちゃくちゃだったことをお伝えしておきます。ただ、こうやって普段聞かないようなことを聞くと子ども的には衝撃の事実がわりと当たり前みたいに飛び出してくるので、皆さんもぜひご両親に聞いてみてください。
そして、週刊「バック・トゥ・ザ・フューチャー デロリアン」は1月31日より販売開始です。毎号付いてくるパーツを集めると、世界で最も有名なタイムマシン「デロリアン」が迫力の8分の1スケールで再現できます。
ガルウィング・ドアや無数のライトなどディテールにもこだわったモデルで、マガジンでは映画制作の舞台裏などの秘話も公開予定。創刊号は特別価格で499円です。母ちゃん、俺ちゃんと宣伝できたよ!
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
提供:株式会社デアゴスティーニ・ジャパン
アイティメディア営業企画/制作:ねとらぼ編集部/掲載内容有効期限:2017年2月13日