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東大ラノベ作家の悲劇――ティッシュ配りの面接に行ったら全身入れ墨の人がきて、「前科ついても大丈夫だから」→結果:<後編>(2/2 ページ)

配っていたのはティッシュか、それとも。

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5 非常招集されたティッシャー


 二日間ほど欠勤していた、三井くんにそっくりな
 青年(以下、三井くん)は、軽度の熱射病のようでした。

 久しぶりの勤務で、体力的に厳しかったのでしょう。
 あなたは、三井くんを小陰で休ませることにしました。
 ちょうどその時でした。
 事務所から電話が鳴りました。
「三井くんいる?」
 どうやら、三井くんを本部に戻したいようです。
 理由は、教えてくれませんでした。
 隣では、落ち着きをとり戻した三井くんが、コクコクと水を飲んでいます。
 あなたは事情を説明しました。
「ああ……そっか。じゃあきみでいいや。ちょっときみさ、今日早上がりでいいよ」
「終わりということですか?」
「そう。給料は出すから。そのかわりいまから事務所に戻れる?」
「Yes」

 自分が「不幸のティッシュ配り」だと知り、
 すっかり戦意を喪失していたあなたは、
 救われた気になりました。

 少しだけ、
 考える時間が欲しかったのです。
 自分の部屋に、戻りたかったのです。
 熱いシャワーを、浴びたかったのです。

 しかし、それは叶いませんでした。

 大量にティッシュの残ったダンボールを抱えて、
 多少ビクつきながら事務所に戻ると、
(毎回一度事務所のあるK駅に戻らなければなりません。
 ちなみに、その間の電車賃は自腹でした)

 全身に入れ墨をしたAさんが、奇妙な笑顔を浮かべて
 立っていました。

「前はお金をもらってたんだけどね」
「は?」
 いきなり始まった会話に、あなたはついていけませんでした。
「何がですか?」
「タイニュー」
「タイニュー?」
 どうやらそれは体験入店の略語のようです。
 どうして体験入店でお金をとられるのでしょう?
 というか、いったい誰が体験入店するのでしょう?
 Aさんの言葉は、その全身の入れ墨のように、
 主語と述語の関係が、ゆるやかに崩壊しています。
「2000円もらってたんだよ。それでもおトクなんだけどさ」
 まったく話が見えずに、戸惑いました。
 なんだかよく分からないうちに、あなたは店内に入れられました。
 そこは、暗闇でした。
 暗闇の天井に、かすかに照明の光が灯っていました。
 爆音が地鳴りのように響いています。
 そこは、ダイニングバーなどではありませんでした。
 薄暗い店内に、小さなソファがいくつかあり、
 それが間仕切りで仕切られています。
 あなたはたずねました。

「ここで何をするんですか?」

 愚問でした。
 扉が閉められました。
 密室に監禁された状態になりました。

 しかしそれも一瞬でした。
 扉がひかえめにノックされ、
 泣いている女の子が入ってきました。
 暗がりのせいでしょうか。

 初恋の女の子に……とてもよく似ていました。


6 幻のピンチヒッター


 風俗店にだまされて連れてこられた女の子。
 そしてだまされたことを知って、
 ち○ぽを向けられ、泣いていた女の子……。

 あたまの悪い女です、
 自分なら絶対にやらない、
 そんな風に言い切れる人間が、
 果たしてどれだけいるのでしょう?

 この世界は、トラップに満ちています。
 あらゆる罠が、はりめぐらされています。
 一つ間違えば、底無しの闇に落ちていきます。

 右に行っても地獄、
 左に行っても地獄、
 新人賞をとっても地獄、
 東大に行っても地獄、
 心の居場所は新小岩。

 そんな風にあなたが思ってしまうのは、
 贅沢な悩みなのでしょうか。

 いえ、そもそも、
 そんな風に思ってしまうような人間に、
 誰にも、何の役にも立たない人間に、
 性風俗産業で必死に働いている人間を、
 軽蔑する権利などあるのでしょうか。

「きみは初めてのお客さんだ」
 扉を閉める前の、Kさんの言葉が思い浮かびました。
 いつも炭酸ソーダを差し入れてくれるKさんです。

 週に六日、朝から晩まで働いている、
 これまた正真正銘のブラック労働者であるKさんは、
 とてもいいい人でした。
 短気ですが、人当たりのよい、
 自分とあまり変わらない人間のように思えました。
 Kさんは、あなたに、丁寧に説明してくれました。
「ぼくは何をすればいいんですか?」
「きみは何もしなくていい。ただサービスを受けるだけでいいんだ」
「おっしゃる意味が分からないんですが」
「何もしらされてないの?」
 Kさんは、軽く驚いた様子で言いました。
 あなたは頷きました。
「きみは風俗のサクラをやるんだ」
「風俗のサクラ?」
「面接にきた女の子に、初めてのお客さんとして接するんだよ」

 つまりこういうことです。
 別枠で雇われたわれわれが、ティッシュを配る。
 ティッシュにだまされて連れてこられた女の子は、二択を迫られる。
 やるか。
 やらないか。
 しかし、周囲を強面の男たちにかこまれて、
 なおかつ金銭的には困っている。

 断って、何かされたらどうしよう。
 それに、すぐにお金が必要だ――。

 騙されてつれてこられた風俗店勤務。
 グラスの水をぶっかけて、帰って行く子もいるそうですが、
 首を縦にふる子も、意外に多いようです。

 ただし、迷っている女の子がいる。
 迷っている女の子には、最初にサクラを雇います。

 比較的若い、こぎれいな、
 同世代の友だちのような男性を客としてあてがって――

「ほら、思ったよりつらくないでしょ?」

 と、思い込ませるのです。

 人間の慣れはおそろしい。
 16世紀の戦争で、
 中世ヨーロッパの傭兵に襲撃された村の女が、
 彼らの妻になるように、
 人間の環境適応能力は異常に高いものがあります。

 あなたも、女の子も、
 われわれはしょせん環境に適応する生きものなのです。

 女の子が、あなたを見て、泣き止みました。
 三井くんが最初に呼ばれ、
 つぎに、あなたが呼ばれた理由が分かりました。

 ティッシュ配りには若い男性が多いです。
 そのなかでも、なるべく不潔な印象を与えない人間が、
 順番に呼ばれていたのでした。

 あなたは、決して整った容姿をしているわけではありませんが、
 歯欠けくんや入れ墨マンなど、
 他の人間にくらべれば、いくらかマシに見えたのでしょう。

 あなたは覚悟を決めました。
 自分から性器をだしました。
 そこはピン○サロンと呼ばれるお店でした。
「こんなにおいしいバイトはない」と、
 いまではもう行方不明になった歯欠けくんは言っていました。
「ただで素人の女にくわえてもらえるんだからな」
 そう言っていました。
「ただでくわえてもらえるんだからな」
 その言葉がぐるぐるとあたまを回転しました。
 初恋の女の子の顔が近づいてきました。
 あなたは、思わず天井を見つめました。
 頭上には、カメラがありました。
 特に何も感じませんでした。
 時間の感覚が壊れました。
 心療内科に行ってくれ、と懇願してきた、
 過去の彼女との、喧嘩の一幕を思い出しました。
 あなたは潔癖症でした。
 女の子が汚いわけではありません。

 あなたが汚いのです。

 デビュー作のことを思い出しました。
 必死で、毎日、徹夜で原稿を仕上げたこと……。
 誰にも頼まれずに、小説で一人の世界をつくっていたこと……。
 奇跡的な受賞でした。
 ヒロインの女の子はスタンガンで中年男性に報復する、
 ちょっとやんちゃな美少女でした。
 黒髪ストレートの、
 どこにも存在しない、美少女でした。
 初恋の女の子にも、とくに似ていませんでした。
 しかし、ぜんぜん顔が似ていないにもかかわらず、
 なぜか、目の前の少女にかぶってみえます。

 あなたは泣いていました。

 舌打ちして、入れ墨のAさんが、
 個室に入ってきました。
「自分には無理です」
 あなたは告げました。

 そして、かわりに三井くんが呼ばれました。


7 ティッシュ配り最後の日


 すべてが終わった後、
 店の裏の階段の踊り場で、
 三井くんは煙草を吸っていました。
 あなたは彼の目をみることができませんでした。
 三井くんは、「その行為」を、何とも思っていない様子でした。
 涼しげな瞳をしています。
 熱射病からも、回復したようです。

 ペンを走らせる音だけが、
 路地裏の雑居ビルの一角に、響いてきます。

 あなたは、日払いの金額と電車賃を、
 大学ノート(出勤表)に記入しました。
 その、一日の最後の業務が済むと、
 きまずい沈黙が流れました。

「すみません」
 あなたは三井くんに謝りました。
「なにが」
 沈黙が流れました。
「ぜんぜんだいじょうぶだよ」
 三井くんが、あなたを気遣うようにつぶやきました。
「こういうのは慣れてる」
「サクラしたのは初めてじゃないんですか?」
「いいや、今日が初だね」
「そうですか。よかったですか?」
「うーん」
「かわいかったですか?」
 戸口を出て行くときに見た女の子の顔は、
 よく見ると全然初恋の子には似ていませんでした。
「うーん。微妙」
「微妙、ですか……」
「でもぜんぜんだいじょうぶだよ」
 三井くんは繰り返しました。
 そのくちびるはふるえていました。
 煙草の煙を吐き終えると、彼は唐突に宙を見ながら、
 言いました。
「おとといさ、じっちゃんが死んだんだ」
 欠勤の理由は、親族の不幸でした。長い間、彼の祖父は入院していたようでした。
「三日前に容態が悪化して。きのう死んだんだ。それでも泣けなかった。なんでかな。おれ、おじいちゃんっこだったから、すっげー悲しむと思ってたのに。でも、なぜか泣けなかった。ぜんぜんだいじょうぶだった。あんま実感なかった」

 そのあとに彼が言った言葉を、いまでもあなたは忘れられません。

「これから悲しくなるのかなあ」


作者プロフィール

鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。

『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。

『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。

― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―

最新作―― https://kakuyomu.jp/users/kagamisa/works

Twitter:@kagamisa_yousei



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