本日6月1日は、日本で初めて天気予報が発表された日です。
その年は1884年、日本では明治時代。「あれ? 意外と最近だな」と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。その理由はズバリ、「情報の伝達が遅い時代には天気予報が成り立たなかったから」です。
“天気予報”以前の時代
「ツバメが高く飛ぶと晴れ」「猫が顔を洗うと雨」などの天気にまつわることわざを聞いたことはありませんか? これらのことわざは科学的に理にかなっているものも多いので、あながち迷信とはいえません。
しかし、このようなことわざは自分の住んでいる地域の、数時間先の天気しか分かりません。実際には、天気の動きは全国規模の大きさを持っているので、
- 全国の
- 気温、天気、気圧などの気象データ
を同時に把握しないと、気圧の配置などを知って天気を予報することはできないのです。
そのため情報の伝達が遅かった時代には天気予報は成り立たず、ことわざ、気圧計などの装置、勘などで、その場所の天気をなんとなく知ることしかできませんでした。
電報の技術で天気図の作成が可能になった!
ところが1800年代にイギリスで「電報」が開発されると、情報伝達がほぼリアルタイムになり、全国の気象情報を一気に集めることも可能になりました。
日本でも明治時代初期に電報が導入され、1880年ごろには本格的に実用化されるようになっていきました。そして気象庁の前身である東京気象台では、1883年2月16日に初めて天気図が作成され、同年3月1日には印刷配布が始まりました。
※天気図とは? 全国の天気・気圧などの気象情報を1枚の地図に描き込み、さらに等圧線などを描き込んだもの。これを分析することで全国規模の気象情報を把握・分析し、天気の予報も可能にすることができるスグレモノ。
さらに翌年1884年6月1日には、天気図を元にした天気予報の発表も始まったのです。
記念すべき最初の天気予報は?
日本初の天気予報の発表方法は、当時の「東京市内の交番での掲示」のみでした。気になる予報内容がこちら。
「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」(「全国的に風向きは特に決まらず、天気は変わりやすいですが雨になりがちでしょう」)
……ん? 「関東地方の天気」とか「四国地方の天気」とかは……?
そう、実はこの記念すべき最初の天気予報、日本全国の予想をたった一文で表し、しかもその内容もあいまいという、現在に比べるとかなりふわっとした内容のものだったのです。
当時の観測所はわずか22カ所。海上などのデータもない状態では得られるデータが少なかったため、仕方がなかったのかもしれませんね。それでも歴史的には大きな一歩であり、当時としては大仕事だったのです。
その後天気予報は交番での掲示だけでなく、ラジオ、電話サービス(177番)、テレビ、インターネット、と発表方法が多様化していき、私たちの生活でも身近なものとなっていきました。
現在の天気予報はどうなっているの?
現在では、全国約1300カ所にアメダスと呼ばれる地域気象観測システムが設置されており、天気だけでなく降水量や風速などの観測データが自動的に送られています。さらに気象衛星「ひまわり」による宇宙からの観測も行うことで、観測所がない場所の気象情報(雲や水蒸気量)を得ることも可能となり、得られる気象データも膨大なものとなりました。
これらのデータをスーパーコンピュータが分析・計算し、1〜3カ月先までの天気予測を行い、その結果を気象予報士が修正・分析して、実際の天気予報が作られています。
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