「子どもを持つことだけが、女性の幸せではない」を描いていく「HUGっと!プリキュア」のすごさ:サラリーマン、プリキュアを語る(2/3 ページ)
キュアマシェリとキュアアムール……今年のプリキュアは何もかもが……すごい……尊い……。
プリキュアの家族の描かれ方の多様性
プリキュアシリーズはもともと、多様性のある家族描写が多かったように記憶しています。
15年間のシリーズを通して「父親が働き、母親は家を守る」といった古い(?)形態の家庭は意外と少なく、両親がお店を経営していたり、共働きだったりする家庭の方が多いのです。
(参考記事:娘を、プリキュアにするために就くべき職業5選)
それはプリキュアというアニメが、「女児向けアニメーション」であり、単純に「女の子のあこがれるシチュエーション」を重視してきたためだと思います。
(プリキュアは決して「ポリティカルコレクトネスや男女間の問題を提起するためだけのアニメ」ではなく、あくまで子ども向け娯楽作品なのですよ)
お花屋さんだったり、ファッションデザイナーやお医者さん、女優さんなど「HUGっと!プリキュア」のエンディングテーマ「HUGっと!未来 ドリーマー」で歌われる職業に両親とも就いていることが多かったのです。
今作「HUGっと!プリキュア」では、野乃はな(キュアエール)の両親は、お父さんが「ホームセンターの店長」、お母さんが「雑誌記者」と両親は共働きです。
また野々家では、お母さんもお父さんも家庭で料理をする描写が多々見られます。
(第1話では、お母さんが「今日は歓迎会で遅くなるから、夕ご飯お願い」とお父さんに頼む場面があったり、お父さんが夕飯の残りものを朝ごはんにリニューアルしたりと、家事の描写も多く見られます)
また、野乃家ではアンドロイドである「ルールー」を「ゲスト」ではなく「家族」として受け入れています。
(当初はなのお母さんは洗脳されていたのですが、洗脳がとけても全てを受け入れる姿勢をみせました。これが後のルールーがキュアアムールへとなる「第一歩」となっているのですよね)
野乃はなちゃんも「ルールー」に対し「家族になろう」と言います。「家族」という言葉の重要さが垣間見えます。
さあやのお父さんは専業主夫
「共働きで家事は夫婦2人で行う」という野乃家に対し、2人目のプリキュア薬師寺さあや(キュアアンジュ)の両親は、お母さんが有名女優、お父さんは「専業主夫」という形態をとっています。
(※お父さんが専業主夫であることは、朝日新聞2018年5月5日朝刊のプリキュア特集の記事に記載があります)
忙しく働く大女優のお母さんは、薬師寺さあやの心のハードルでもあり目標でもあり「乗り越えなければならない存在」として描かれます。
逆にお父さんが「専業主夫」として家庭を守り、家でさあやのために大好物の激辛カレーを作るなど家庭的な描写が見られます。
「専業主夫」という概念を子ども向けアニメであるプリキュアで表現していることは、時代が一歩一歩前進しているように感じますよね。これを見て育った子どもたちは将来「専業主夫」という職業を今よりも肯定的に捉えていくようになっていくのでしょうね。
また同作の内藤圭祐プロデューサーは、朝日新聞2018年5月5日朝刊のプリキュア特集の記事で家族描写について、
「時代の流れの中で、多彩な家族像が物語の中に自然に溶け込めるようになりました。気をつけているのは、決まった家庭像が模範なのだとは描かないこと」
と言及しています。
プリキュアでは「決まった家庭像」を「模範」とは描かないようにする。さまざまな家族形態があっていいし、どれが「正解」というわけではないということを小さな子どもとその親に向けて発信していけるのは「プリキュアという子ども向けアニメ」の強みであると思います。それは未来を変えていくことにつながっていくのです。
ただ「どんな形態の家族をも否定しない」のに、第19話においては「お父さんは仕事、お母さんは家庭を守る」といった保守的なジェンダー観を否定している描写がありました。
それを体現していたのが、もう1人の新しいプリキュア、キュアマシェリになった「愛崎えみる」の家庭です。
愛崎家は両親は「音楽家」で自由奔放な設定ながら、「おじいちゃん」が保守的な思想を持っていて、長男を縛っている、という設定です(『アニメージュ』2018年7月号 インタビュー記事より)。
その「愛崎家の長男」、正人君はおじいちゃんに縛られているのか、かなり保守的な思想で、
「女性はこうあるべきだ」「女の子がギターなんて」「女はヒーローになれない」といった保守的なジェンダー観を妹である、えみるに強いていました。
しかし、第19話で怪物(オシマイダー)と化した正人君は、先進的なジェンダー観を持つ友人アンリ君に諭されて考えを改め、妹と和解しました。
(先般、ネットで話題になったプリキュアの「男の子だってお姫様になれる」はこのときの発言ですが、この言葉自体はこの回の主題ではないのですよね。ただ言葉が独り歩きしてしまい、少し話題になりました)
(参考記事:「女の子はプリキュア 男の子は仮面ライダー」の表現が物議 白樺リゾート池の平ホテルのCM取り下げに賛否両論)
このアンリ君の「もっと自由であるべき」という発言は逆に「古い保守的なジェンダー観の否定」になっているのでは、との声も上がりました。
「どんな家族観があっても良い」と言うプリキュアで、「保守的ジェンダー観を否定する」のは良いのでしょうか?
その答えは「野乃はなちゃん」が作中で言及しています。
妹えみるに詰め寄る兄、正人に対し、
「人の心をしばるな!」
と言い放ったのです。
今作では、古い制度のジェンダー観が「悪い」のではなく、その保守的なジェンダー観をもとに「人のこころを縛る」のが良くない、と結論づけました。
妹えみるは、家でギターをひくことを隠さない、つまりは「自己を否定しない」ことを決め、兄、正人は妹を理解し受け入れ、2人の関係は修復しました。
観てくれる小さい女の子に「将来子どもを持つことが女性の幸せだ」という価値観を刷り込んでしまうことは、私は絶対にやりたくないんです
これは、「子どもをもつことが女性の幸せ」という価値観で「女性を縛る」のは良くない。
ということなのではないかと思います。
「HUGっと!プリキュア」。
前半の20話をかけてずっと言い続けてきたのは、この「人の心は縛れない」ということではないでしょうか。
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