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映画「ブリグズビー・ベア」とマーク・ハミルが教えてくれるフィクションとの付き合い方

フィクションの力を示した傑作。

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 サンダンス映画祭2017で行われた「ブリグズビー・ベア」ワールドプレミア会見で、誘拐犯・テッド役を演じたマーク・ハミルは会場の笑いをさそった。

 「多くの場合、エージェントはこんな感じに電話をかけてくる――“脚本があるんだよ。スーパーマーケットを舞台にしたダイ・ハードみたいな作品だ。出てみないか?”。

 普通は何か対比となる作品がある。しかし本作は簡単にカテゴライズできない。非常に独創的な脚本で、そして――なにより、私にセリフがあった

 これはもちろん、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」のルーク・スカイウォーカー役でセリフを与えられなかったことを受けてのジョークだ。

 米国でのプレミア公開から1年半ほどをあけて公開された本作は、「ブルース・ブラザーズ」シリーズを輩出した人気番組・サタデーナイトライブの人気コメディアンであるカイル・ムーニーが原案・脚本・主演を手掛け、脚本家のデイヴ・マッカリーが監督したインディペンデント映画だ。そして彼らの初挑戦長編映画ながら、2017年のインディアナ映画ジャーナリスト協会賞では「ブレードランナー2049」「ダンケルク」「シェイプ・オブ・ウォーター」「レディバード」といった超大作とファイナルを争った。

映画「ブリグズビー・ベア」が教えてくれるフィクションとの付き合い方 「ブリグズビー・ベア」は絶賛上映中。/(C) 2017 Sony Pictures Classics. All Rights Reserved.

★以下、本作のネタバレを含みます


チープなテレビ番組「ブリグズビー・ベアの冒険」

 ハミルのいうように、本作は簡単にあらすじを示すのが難しい。

 幼少の頃に誘拐され、実に25年もの間知らぬままに偽の両親と暮らし続けてきたジェームズ。砂漠の真ん中に建てられたシェルターの中、「外の世界は毒ガスだらけ」「好奇心は奇妙な感情だ」――と言い聞かせられて育ってきた彼の生きがいは'80sを思わせるレトロなVHS・特撮子供番組「ブリグズビー・ベアの冒険」だ。

 しかし全700話を超えるそれは、偽の父親が作り続けていた偽物のプログラムだと明らかになる。フォーラム上に寄せられていた他のシェルターからの交流コメントも、全てが両親の自作自演。だから警察に救助された彼を迎える本当の家族も、刑事も、カウンセラーも「ブリグズビー・ベア」のことなんて知らない。それなのに、彼と世界との接点はブリグズビー・ベアだけだ。 


 偉大すぎるポップカルチャーはときに人を変えてしまう。熱心なファンは作品にとりつかれてしまい、それはもはや自分の人生そのものになってしまう。その最たるものがジョージ・ルーカスの手による「スター・ウォーズ」であり、その執着(ファンの語源はファナティック【狂気的】だ)はファンとルーカス・フィルムのある種の対立を描いた「ピープルVSジョージ・ルーカス」などの中に、いくらでも実例を見ることができる。

 カイル・ムーニーは米国のトーク番組「ザ・トゥナイト・ショー」でこう語っている

 「ジェームズは“スター・ウォーズ・ファン”みたいに、コレクションに囲まれて生きていた。そしてある日突然ショーが終わる。すると彼は、もう何をしていいのかわからなくなってしまった。彼の世界はぐちゃぐちゃになってしまったんだ」

 そしてジェームズは自らの手で「ブリグズビー・ベア」を製作し、終わらせることを思い付く。それはブリグズビーこそが彼と世界の接点であり、唯一の他者とのコミュニケーション方法だからだ。彼のその熱意はパーティーで出会ったスペンサー、役者を志していたヴォーゲルをはじめとして、周囲の人々を次々と巻き込んでいく。

映画「ブリグズビー・ベア」が教えてくれるフィクションとの付き合い方

マーク・ハミルの真骨頂を見る

 本作で何よりも驚いたのは、マーク・ハミルの存在だ。

 彼はほかの何をおいてもルーク・スカイウォーカーであり、20世紀を象徴するポップアイコンだ。その長きに渡るキャリアの中、ルーク役とともに賞賛されているのがアニメーションやゲームにおいての声の仕事であることはよく知られている。

映画「ブリグズビー・ベア」が教えてくれるフィクションとの付き合い方

 90年代から担当したバットマンを代表するヴィラン、ジョーカーの演技は近年さらに磨きがかかり、2016年の「キリングジョーク」では彼の狂気と悲哀を声の高低で巧みに使い分け、2017年の「ジャスティス・リーグ・アクション」Webショートシリーズのあるエピソードではジョーカー(声:マーク・ハミル)とトリックスター(声:マーク・ハミル)がマーク・ハミル(声:マーク・ハミル)を誘拐し、それをスワンプシング(声:マーク・ハミル)が救出するというとんでもないエピソードが製作されており、その演技力が物語のオチになっているほどだ。


 今回テッド役を演じるハミルが声をあてているのは正義のヒーローである「ブリグズビー・ベア」、そしてヴィランの「サン・スナッチャー」の二役である。ブリグズビーがテッドの内面の正義だとすれば、自らが演じるキャラクターであるサン・スナッチャーに、転じて"Son Snatcher"=「息子泥棒」と名付けたその内心はいかばかりかと思ってしまう。

 そもそも本作の脚本だが、息子をフィクションでとらえる父、その父との和解、サン・スナッチャーがあるシーンで告げるセリフが「エピソード4 新たなる希望」から引用されている点……などを見ると、どうもハミルのバックボーンありきの脚本であるように考えてしまいがちだが、事実はそうではない。だが見る者はそこにどうしても多重的な意味を見出さざるを得ない、実に見事かつ、唯一無二のキャスティングだろう。


フィクションとの向き合い方

 本作が訴えかけるのは創造力、フィクションが人生に与える役割、そしてその素晴らしさだ。それは現実に訪れる困難からの逃避先でもあり、同時に苦しみや痛みに対処する方法、困難に立ち向かう術を教えてくれる教材でもある。夢を追うことの大切さ、友情の力、仲間との協力、互いを思いあうことの意味。「ブリグズビー・ベア」はそれらのすべてが詰まっている極上のフィクションだ。

 もちろん、このような映画を作ってしまう製作者自身も彼らの愛するものに対して非常にファナティックだ。例えばジェームズの部屋に置かれた大量のVHSテープは、カイル自身のコレクション部屋をモデルにしているし、ブリグズビーの元ネタは彼が見ていたテディ・ルックスピンの人形アニメ「Welcome to Pooh Corner」そして「テレタビーズ」だ。

 フィクションを愛する製作陣がその魅力を全肯定し、前向きなメッセージと共に幕を閉じる本作。こういうものに出会えるから、映画を見る意味がある。必見の名作だ。

予告編

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