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「インクレディブル・ファミリー」レビュー 14年ぶりの復活は“続編”かつ“リブート”

天才ブラッド・バード監督、最新作。

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 1億ドルをゆうに超える予算で世界を駆け回り、最高峰の映像技術とプロモーションが行われ、その何倍もの興行収入をもたらし大成功する――いわゆる「スーパーヒーロー映画」が毎月のようにシアターを騒がせるのにも慣れてきた。

 2008年の「アイアンマン」を始めとするマーベル・シネマティック・ユニバース、「マン・オブ・スティール」にはじまるDCエクステンデッド・ユニバース。2大巨頭が暴れまわる中、マーベルと同じくディズニー傘下のピクサーから14年ぶりの続編が登場した。監督は前作同様「アイアン・ジャイアント」のブラッド・バード。「インクレディブル・ファミリー」は、「Mr.インクレディブル」の続編である。


 前作「Mr.インクレディブル」はヒーロー映画であると同時に、ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)の物語だった。スーパーヒーローが規制され、世界に溶け込むために普通の人間として振る舞うことを余儀なくされた世界。元ヒーローであるMr.インクレディブル=ボブ・パー(「パー」は「標準的」の意)とイラスティガール=ヘレン・パーは結婚し二児のこどもを設けていた。ふつうの生活を求めるヘレンに対し、(若干たるんだとはいえ)強靭な肉体と怪力をもつボブは法律で禁止されたスーパーパワーによる人助けを夜な夜な行い続けていた。

 ボブの境遇には監督・ブラッドの経験が生かされている。学生時代から文通していたウォルト・ディズニー社に招かれアカデミーに通い、夢を抱いて入社した先ではCGをはじめとした新技術に全く興味を持たない凋落した経営陣しかおらず、結局解雇されてしまう。自分には明らかに才能があるもののその力を生かす場が与えられない悲しみの中、ワーナーブラザーズ傘下で必死に製作した「アイアン・ジャイアント」は今でこそカルト的人気のある大傑作として知られるが、広告費をかけてもらえず当時の興行収入は鳴かず飛ばずだった。

今でこそ傑作として知られる「アイアン・ジャイアント」

 その後ジョン・ラセターに声をかけられピクサーに入社したブラッド。仕事は次々代わり、引っ越しも多く、このままで家族を養えるのだろうか? そんな不安から生まれたのが、「元」スーパーヒーローが家族と手に手を取り、おのおのが持って生まれた才能をフル活用させて悪に打ち勝つこの作品だ。

 普通であれ、と呼びかける社会に対して、異端であることを恐れないことの大切さを問いかけた前作はアニメーションの技術的達成度、脚本の完成度もさることながらはっきりとした主張を行った素晴らしい作品だった――”持って生まれなかった者”に対しては少しの冷たさを感じさせはしたものの。


 今作「インクレディブル・ファミリー」は原題の「Incredibles 2」が示す通り、前作の直後から始まる。そう、アニメーションではこれが可能なのだ。14年の間を経ても、赤ん坊のジャック・ジャックは赤ん坊のままでいることができる。技術は進歩し続け、トニーがだいぶカッコよく修正されていることを除けば愛すべき俳優たちの見た目は変わることはない。ただ、ミラージュを演じたエリザベス・ペーニャ、リック・ディッカーを演じたアニメーターでもあるバド・ラッキーはこの14年の間に共に世を去っている。

 本作の主役は実質イラスティガールである、という言い方が正しいかどうかはわからない。だが「スーパーヒーロー禁止法」の撤廃をかけたミッションのスポークスマンとなったイラスティガールのアクションは、前作同様時代の最先端をいくものだ。1作目で見せたゴムボートへの変形も同様だが、ゴム人間というだけでこれだけの引き出しを作れるものかと感心させられる。

 アクションに次ぐアクションの合間に挟まれるボブの子育てシーンは笑えてしまう。バイオレットの初デート、ダッシュの算数の宿題、スーパーパワーが止まらないジャック・ジャック。たたき込まれるコメディーセンスとアニメーションは格段に進化し、物語はブラッシュアップされている。

「インクレディブル・ファミリー」レビュー 14年ぶりの復活は“続編”かつ“リブート” イラスティガールが大活躍(予告編より
「インクレディブル・ファミリー」レビュー 14年ぶりの復活は“続編”かつ“リブート” ボブの子育て奮闘記も楽しい(予告編より

 前作を思い切った「ファンタスティック・フォー」の描き直し(「ウォッチメン」に近いという意見もあるが、バードは読んでいないと主張している)と述べるなら、今作は「Mr.インクレディブル」を最新技術で描き直した作品、といってもいい。夫婦の役割を逆転させたこと以外のシナリオはほぼ前作をなぞるものだ。

 アンダーマイナーの処遇はボム・ヴォヤージュを思い起こさせるし、イラスティガールの電話のシーンはセリフもそのまま、前作のボブのそれと対になっている。つまり本作は、第1作の直接の続編でありながらほぼ「リブート」のような作りになっているのが面白いところだ。

 となれば、待たれるのは更なる続編だ。放置されているヴィランたちのみではなく、多数披露された新キャラクターの裏にも物語が隠れていそうだ。いかにピクサーの続編スパンが長い傾向にあるとはいえ(「ファインディング・ドリー」は前作から13年、「モンスターズ・ユニバーシティ」は前作から12年、「トイ・ストーリー3」は前作から11年かかった)シンドロームの言葉を借りれば、15年は遅すぎだ。せめて5年後には続編を見せてほしいと願う。

参考文献:『ピクサー 早すぎた天才たちの大逆転劇』早川書房/『ピクサー流 創造するちから』ダイヤモンド社

将来の終わり

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