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殺され続けながら笑っていた―― SEKIROをプレイして「ボコボコにされる楽しさ」を実感した話

ネタバレあり。

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 SEKIROをプレイして、「自分はボコボコにされるのが楽しいのだ」ということを実感した。


SEKIRO 「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」(画像は公式サイトより)

 SEKIROをプレイし始めて約1週間後、ようやくたどり着いたラスボスの強さに圧倒されていた筆者は、たまたま遊びにきていた友人に向かってこうボヤいた。「こいつマジで強すぎんだよ。このゲーム作ったやつは絶対に頭おかしいと思うわ。わざわざこんな難しくする必要はねぇだろうが。なぁ?」と。


SEKIRO (画像は公式サイトより)

 かなりの悪態をついたつもりだったが、友人から帰ってきた答えは「いや、そんな満面の笑みで言われても困る」だった。極悪難易度のゲームをプレイし、凶悪な強さを誇るラスボスに数えきれないほど挑み、返り討ちにされ続けていた筆者は、それでもなお笑っていたらしい。それも、満面の笑みで。

 そこで気が付いた。自分の分身であるはずの狼が地面に伏せる姿や、画面に映る「死」の文字を見るたびに自分のプレイヤースキルが上達していくのを実感し、楽しくて楽しくて仕方なかったということに。


SEKIRO (画像は公式サイトより)

 以下、普通にSEKIROのレビューを書いても「クッソ難しいけどめちゃくちゃ面白い」以外書くことが無いので、あえてチラシの裏にでも書くべき超個人的な話を盛り込みながら、この文章を書くことにする。

 なお、重要なことなので断りを入れておくが、筆者は断じてドMではない

以下、ネタバレあり。


対人戦恐怖症

 以前、「自分の拙いプレイが味方に迷惑を掛けていないだろうか?」とマイナス思考に陥ってしまう「マルチプレイ恐怖症」(関連記事)がSNSで話題になった。筆者もこの気持ちはよく分かるが、特に対人戦がメインになるゲームでは逆に「自分が強すぎるために、他の人が楽しめなくなっているのではないか」と考えてしまうことが多い。

 自画自賛になってしまうのであまり言いたくはないが、筆者はかなりゲームがうまい方だ。経験不足のジャンルで四苦八苦することはあるが、少し練習すればすんなり対応できるし、高難易度のステージや驚異的強さのボスで心が折られたことはほとんどない。自分で考えた攻略法のほうが信頼できたりするので攻略サイトもほとんど見ないし、学校などの身近なコミュニティーで「自分よりゲームがうまい人」に出会ったことは、今までの人生で多分一度もない。


SEKIRO 「自分よりゲームがうまい人」に出会ったことがないのは、交友関係が狭いだけだったのかもしれないけど

 ゲームは昔から好きだったが、友人とゲームをするときは”気を使う”必要があった。ガチガチに勝ちに行くつもりはなくても、普通にプレイするだけで自分の一人勝ちで終わってしまうことが多々あったからだ。勝利をひけらかしたり、相手をバカにしたりすることはなかったはずだが、友人たちはさぞ不快な思いをしていたのだろう、「お前とゲームやっても楽しくないから、もういいわ」と面と向かって言われたりもした。昔はそれなりに傷ついていた気がするが、最近は似たようなことを言われても「またか」と思うだけで、特に何も感じなくなった。

 いわゆる「接待プレイ」でお互い楽しめる道を模索したこともあるが、思いっきり手を抜いているのがバレたらより不快な思いをさせてしまう(実際、そういう経験がある)。それに何より、自分の中にある「全力でプレイする楽しさ」を封印することは、どうしてもできなかった。

 小学校低学年ごろは友人たちとわいわいゲームしていたはずなのに、いつのまにか自分にとってのゲームは「部屋で一人でプレイするもの」か「ゲームセンター(最近はネット)で見ず知らずの人と対戦するもの」になった。このスタンスは、残念ながら今も変わっていない。


SEKIRO 数えきれないほど見ることになるこの文字

 クリアタイムで言えば、筆者の場合は文字を読むのが遅いし、攻略情報は見ないくせにイベントは網羅しようとするので、むしろ普通の人よりもクリアが遅れたりする。しかし、先述の通り「倒すべき相手を倒せず前に進めない」という経験はあまりなく、だいたいどんなゲームでも進行はスムーズだった。――SEKIROを除いては。


隻狼は2度……いや、もっと死ぬ

 もはや説明の必要もないだろうが、SEKIROは極めて難しいゲームだ。とにかく同じ相手に何度も何度も殺され続ける。普通のゲームはどうしても倒せないような強敵が現れても雑魚を狩ってレベルを上げれば強引にクリアできてしまうものだが、SEKIROはそうもいかない。主人公の能力を上げることもできるがその回数には上限があり、効果も微々たるものなのだ。結局ボスを倒す最も効率的な手段は「プレイヤー自身がスキルアップすること」に尽きる。逆に言えば、SEKIROにおける死はそのほぼ全てがプレイヤー自身の未熟さに起因する。

 しかし、全力でプレイできないもどかしさに比べれば、自分の未熟さを突きつけられた方がまだ良い。低評価をつけているレビューを見ると、「調整不足だ」とか「難しさが度を過ぎている」とか辛辣な意見が非常に多いが、筆者はあまり共感できない。「絶対に勝てない相手に挑むのはただの苦行だが、絶対に負けない相手と戦うのも退屈なもの」――そう考えれば、敗北はゲームプレイにおけるアクセントの一つだ。試行錯誤すれば戦況を有利にする方法も見えてくるし、死んだ回数は糧になる。

 ラスボスである葦名一心と最初に戦ったときも、「絶対に勝てない」と思った。行動パターンは多岐にわたる上、ダメージを与えるほど行動パターンが増えていく。だが10回死んで20回死んで、死んだ回数が数えきれないくらいになった頃には、「倒し方」が少しずつ見えてくる気がした。


SEKIRO 葦名一心の「迷えば、敗れる」はSEKIROを象徴する名言だと思っている

 満面の笑みで友人に振り返ってから約1時間後、葦名一心をギリギリで撃破しエンディングを迎えた。友人曰く、葦名一心を倒したとき「かなり強めのガッツポーズをしていた」らしい。死んだ回数は少なく見積もっても50回はくだらないはずなので、ガッツポーズをしてしまうのも無理はない。


SEKIRO

 今はSEKIROのトロコンを目指して周回(現在は3週目ハードモードのラスト)しながら、平行してダークソウル2とダークソウル3を1人でプレイしている。いずれも容易にクリアできない“死にゲー”だが、画面に「死」や「YOU DIED」と表示されると、今でもたまに笑ってしまう。

 思い返せば、子どものころから絶対に勝ちたいと思って友人とゲームをやっていたわけではない。負けたってその場が楽しければいいと思っていた。だから、SEKIROのように楽しくゲームができるなら、死んでもいい。


SEKIRO 「さらばだ… 飢えた狼よ」

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