最上は「射撃」もすごかった
公開画像には、艦橋の頂部に設置してあった「九四式方位盤射撃装置一型」(以下、九四式方位盤)もありました。
画像では、最上に搭載された九四式方位盤の特徴である階段状の形状(利根型の九四式方位盤は丸みを帯びた形状)や、中央部のシャッターが開いて、中にあった方位盤本体の望遠鏡レンズが確認できます。
九四式方位盤は最上をはじめとする「最上型」巡洋艦で初めて採用した主砲の射撃を管制する装置です。それ以前の「一四式方位盤射撃装置」(摩耶にも搭載)は狙いを定めた敵艦の現在位置を割り出す“だけ”でした。しかし、九四式方位盤はそれに加えて「九二式射撃盤改一」を組み込んで、目標の未来位置、つまり、主砲を撃ってから敵に届くまでのタイムラグの間に敵が移動した先の未来位置も割り出すことができるようになりました。九四式方位盤を搭載した最上型で、ようやく日本海軍も近代的な射撃指揮ができるようになったのです。
最上は九〇式3連装魚雷発射管を右舷と左舷それぞれに2基ずつ搭載していました。スリガオ海峡夜戦の記録では、被弾と魚雷の誘爆で全ての発射管が破壊されたとあります。しかし、画像にある左舷魚雷発射管の1基は、少なくともその姿をとどめており、船体にも誘爆で発生するような破壊跡は確認できません。
九六式25ミリ3連装機銃の画像では、設置場所について「左舷側」と説明があるだけで、その場所については明らかにしていません。ただ、画像から舷側のすぐ近くであることが分かります。
最上が搭載した3連装機銃で舷側のすぐ近くに配置してあったのは最終状態における艦橋基部両舷しかありません。そのため、公開画像の機銃は艦橋基部左舷側のものと推測できます。ただ、多くの資料では機銃の台座にブルワーク(波よけの塀のようなもの)があるとしていますが、画像では確認できません。もともとなかったのか、経年変化で腐食してなくなってしまったのか、甲板の状態のさらなる調査が必要と思われます。
戦時中に航空巡洋艦に改装された最上は、明瞭な写真があまり残っておらず、特に最終状態では不明なことが少なくありません。
損傷が多い状況で沈んでいることと、保存状態があまりよくないことなどから、どこまで調べられるのかは不透明ではありますが、今回画像が公開されなかった船体後部の飛行作業甲板の航空艤装など、さらなる調査報告が待たれます。
長浜和也
IT記者は仮の姿で本業は船長(自称)。小型帆船を三浦半島の先っちょに係留する“一人旅”セイラー。伊豆諸島を旅するため、学連経験やクルー修行をすっとばして、いきなり1級船舶免許を取得してヨットに乗りはじめて早20年。かつて船で使うデジタルガジェットを紹介する不定期連載も。
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