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意味がわかると怖い話:「悪魔への願い」(2/2 ページ)

悪魔に願ったのは、憎い男の死。

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「悪魔への願い」解説

 車が横転し、炎上する大事故にもかかわらず、入院していないというアイザックは本当に「無事」だったのでしょうか? そして、トーマスが受けた「手術」とはなんだったのでしょう?

 ……そう、アイザックは事故で死んでいたのです。正確に言えば、病院で脳死と判定された。そして彼の心臓――黒い影に呪いをかけられた心臓が、同時に病院に運び込まれ、心臓に損傷が見られたトーマスに移植されたのです。遺伝的に同一な一卵性双生児間には、移植による拒絶反応は起こらないそうですから。

 アイザックの心臓は、いまやトーマスの心臓でもあります。トーマスはそれを知らず、「あのクソ野郎(アイザック)の心臓を止めてくれ」と悪魔に願ってしまったのです。

悪魔への願い事の回数の相場

 今回の悪魔は1つしか叶えてくれませんでしたが、「人ならざる者が願いを叶えてくれる」物語において、叶えてもらえる願い事の数は古今東西「3つ」と相場が決まっています。

 「3つの願い事」の起源を求めれば、『千夜一夜物語』の艶笑譚(「大きな逸物」を求める夫婦の物語。設定はのちに『アラジンと魔法のランプ』にも取り込まれる)に行き着くのでしょうが、『千夜一夜』がヨーロッパに紹介されるより前に成立したフランスの『ペロー童話集』にも、夫婦が三つの願いを叶えてもらう物語「愚かな願い」が採録されており、イスラム世界とキリスト教世界で、同時発生的に似た伝承が語られていた可能性もあります。

 注目すべきは『ペロー童話集』の出版は1695年、『千夜一夜物語』がアントワーヌ・ガランの翻訳によって初めてヨーロッパに紹介されたのが1704年と、非常に近い時期かつ、宗教戦争の終結後であったことです。ウェストファリア条約の締結を経てプロテスタントがカトリックと世俗的に対等であると見なされるようになるまで、両派は互いを「悪魔」とみなし、自派の正統性を主張してきました。その結果、キリスト教世界における「悪魔」の存在感が、特にプロテスタントにおいて誇張されることになったと言われています。つまり、「自身を正統と主張して教義を堕落させ、自派の信者を惑わそうとする狡猾な敵」のキャラクター化として、「神への反逆者」たる悪魔像が求められたのです。

 ミルトン『失楽園』におけるルシファーなどはこの時代の「悪魔観」のスタンダードになったそうですが、思考停止した盲信と服従を否定して神へ反旗を翻す姿は、キリスト教の文脈から外れた現代日本人には「ヒーロー」に見えてしまうほどです。のちにゲーテの『ファウスト』で知られるようになる「誘惑する悪魔」メフィストフェレスの伝承が広まったのも、16世紀からと言われています。

 こうした「人を惑わす狡猾な悪魔」のイメージが人口に膾炙(かいしゃ)した時代に紹介されたからこそ、「3つの願い」の話型は広く受け入れられ、のちの創作にも脈々と受け継がれることになったのかもしれません。

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