ひとたび気づくと、なにやら違う光景が見えてくる……「意味がわかると怖い話」を紹介する連載です。
「ゴミ屋敷」
「うわ、凄いですね」
うずたかく積まれたゴミ袋や朽ちたガラクタの山を前に、私は思わず感嘆の声を上げてしまった。甘酸っぱい腐臭が鼻を突いた。
いわゆる「ゴミ屋敷」の取材は初めてだった。地元紙のライターとして普段は文化欄を担当しているのだが、編集部で病欠者が出て『ご近所トラブルを追う』という連載を急遽(きゅうきょ)、手伝うことになった。
車を出してくれたW市の環境保全課の三重氏によれば、この家の住人がゴミを集め始めたのは一年ほど前からだそうだ。
「奥さんに出ていかれて、心を病んでしまったんですよ。近所の家で匿われていると思い込んで、証拠を探すのだとゴミを調べるようになったのがきっかけで……」
住人の長尾氏は地主の息子で、両親を相次いで亡くし、十分な財産を相続したために会社勤めを退き、5年前に夫婦で越して来たらしい。その当初からふたりの仲は険悪だったとの証言は、事前の聞き込みで得ていた。
三重氏がインターホンを鳴らすと、ややあって玄関が薄く開き、さらに強烈な臭気が漏れてきた。現れた長尾氏は、脂っぽい長髪に落ちくぼんだ眼、杖をついた貧相な中年男だった。
「ああ、三重さん……今度はその女性ですか?」
私を一瞥(いちべつ)して、長尾氏が下卑た笑みを浮かべる。車内で三重氏から、一緒に長尾家への勧告・折衝を担当していた若手職員が、すっかり根を上げてしまったので配置換えさせたと聞いていた。今はひとりで長尾氏の陰謀論につき合う羽目になっていると。どうやら後任の市役所員と思われたようだ。
三重氏は困り顔で私を紹介してくれた。「こちらはJ新聞の記者さんですよ。長尾さんのお話を伺いたいんだそうで」
長尾氏はゴミを溜め込む理由について、先ほど聞いたとおりのこと――妻を奪った犯人を捜さねばならない――を滔々(とうとう)と語り、最後にこう言った。
「新聞記者なら、私のところに来るんじゃなくて誘拐犯を見つけてくださいよ。ほら、最近も高校生がいなくなったんでしょう……ねえ、三重さん? 警察がちゃんと捜査してれば、あの子たちだって死なずに済んだんじゃないですか」
私は曖昧に頷いた。2カ月ほど前、市内の高校に通う女子生徒がふたり、相次いで失踪した事件のことだろう。確かに、ひとりが繁華街で他県ナンバーのレンタカーに乗り込むところを見たという複数の証言があったことから、当初は拉致事件の可能性も検討されたが、いずれも補導歴があり家庭環境に難があったこと、ふたりが仲の良いクラスメイトだったことから、警察は長尾氏が言うような「誘拐」でなく、「示し合わせての家出」とみなしており、メディアでも大きくは扱っていなかった。
……断言できるほどの知識はないが、彼は典型的な妄想性障害だろう。口調は平明で興奮した様子もなく、元は地頭の良い人間らしいと想像できた。
私が礼を言う前に、長尾氏は中に引っこんでしまった。
「すみません、あの通りの方で。……もう良いでしょうか?」
三重氏に促され、私は頷く。本人に話を聞くより、彼が正常だった頃の人間関係を追って「きっかけさえあれば誰でもゴミ屋敷の住人になり得る」という筋でまとめた方が面白そうだと、頭の中で記事を組み立て始めた。
ゴミ屋敷が火事になり、長尾氏が亡くなったと連絡を受けたのは、2日後の早朝だった。真夜中の出火で、放火が疑われているらしい。
焼け跡から見つかった遺体は、長尾氏のものだけではなかった。リビングから黒焦げの遺体が2体、そして崩れた寝室の壁の中から、塗りこめられ半ばミイラ化した遺体が発見されたのだ。
私が出社した時には、前者が失踪していた女子高生で、後者が長尾夫人であることは歯型などから既に突き止められており、通信社の初報が入っていた。
……すべて計算だったわけだ。
デスクに山積みにした長尾氏に関する資料から、その記述を探した。――彼は転居直後に脳梗塞を患い、左脚にマヒが残ったことから運転免許を返納していた。
おそらく彼は1年前、衝動的に夫人を殺してしまったのだろう。車を運転できない長尾氏に、遠くへ死体を捨てに行くのは不可能だ。だが家の敷地内に隠しても、腐臭でバレてしまうのではないか……彼は一計を案じた。「妻に逃げられて壊れた男」を演じ、大量のゴミを自宅に集めることで臭いをごまかし、同時に人を寄り付かせないようにしたのだ。そして他人の目をかいくぐる「聖域」を築いた長尾氏は、少女誘拐・監禁という新たな犯罪にまで手を染めた……。
私は三重氏の名刺を探した。長尾氏が凶行に及んでいた時期にほぼ唯一、交流を持っていた人物として彼のコメントは必須だ。
『あなたと長尾氏の関係について、改めてお話を伺いたいです』。私はメールを打ち始めた。
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