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「嫁は姑に仕えるもの」39度の熱があっても休ませてもらえない。義理の両親に召使いのように働かされてきた相談者 「テレフォン人生相談」先週のハイライト(2/2 ページ)

「幸せな人だけが不幸になれる、もともと不幸な人は不幸そのもの」。

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 「旦那様とは触れ合いとか、仲がいい面とか、私生活の仲でっていうのは今、あるの? ないの?」

 「あんまりないです」

 「じゃあ結婚に失敗したと思ってるんじゃない?」「88、90(歳)の人は、まあいずれあちらの世界に戻っていかれる方ですよね」「夫とふたりの生活がはじまるとしたら、まだおばあちゃん、おじいちゃんがいた時の方がいいくらいの話になってしまうよね」

 確かに88歳の姑との関係だけならば、あと10年も経たないうちに問題は解決するだろう。しかし夫との関係も悪いとなると、そもそもなんで結婚しているんだという話になってくる。

 相談者が家を出ていったら、両親の介護問題で夫も困りそうなものだが、夫も義理の両親もガッツリお金を持っているので心配していないだろうと相談者は語る。

 「私がいなければ『有料の高いところ(施設)でもなんでも、いつでも入れろ』って言うんですよ」

 「となると、旦那さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、アナタをこの40年間召使いとして思ってきたということだよ」

 介護施設に入る金はあるけど、相談者がいるから自宅介護でいいや、ということだ。

 「よく、ホームドラマで病気になってる人と家族って温かいよねってドラマを見ると、うちと反対だよね。病気になった時、なんでこんなに冷たいんだろうって、ずっと思ってました」

 「召使いだからだよね」「やっぱり決着付けた方がいいと思うよ、僕」

 愛ちゃんは直接的には言わないが、要は離婚することも含めてちゃんと夫と話し合いをした方がいいということだろう。

 「このまま召使いとして生きてきて、しかもアナタ自身でもこのままではマズイと思いつつも踏み出せないっていう形で生きていけば、アナタはどこかで自分自身を嫌いはじめるよ。人生を失敗したとどっこかで思うはずだよ」

 加藤諦三が引き取る。

 「普通の常識から考えるとね、結婚してひとつ屋根の下にいて、完全に夫と心が離れている。で、それを寂しいと感じないというのは理解するのにちょっと大変なんですけどね、僕は」

 愛ちゃんが、こんな状況でも結婚生活を継続している相談者の気持ちを解説する。

 「おじいちゃんおばあちゃん、今まで不愉快だったけれども、一応どこかで認めてもらえてたわけよ、働きは。人の役に立つとか、何か特別なことをやって自分が価値を持たないと自分という存在が手応えとして感じられないんじゃないかなと思うんですよ」「自分が“働き蜂としての商品価値”を持っている人間だということで生きてきたんだと思うよ」

 再び加藤諦三。

 「それだと全てが説明できるんですよね、矛盾なく。自分という存在の意味を、仕事をしている時には感じることができるんです。『役割アイデンティティ』といってね、人に認められているから、自分が自分である」「妻よりも召使いであることにアナタの存在価値があったんです」「結婚に失望してるんですよ、だけど人生に失望していない。それはなぜかというと“召使い”という役割があったからなんですよ」

 「確かに昔から親と、妻と、召使いっていうか……舅(しゅうと)・姑に対する関係だともう、圧倒的に優先すべきはそれ(舅・姑)でした」

 「『幸せな人だけが不幸になれる』もともと不幸な人は不幸そのものなんですよ、もう。だから自分が不幸とは感じない。本当に心の触れあった夫がいてはじめて、寂しさがあるんですよ」「正直に言うと、本当の現実に向き合って離婚して、本当の人生を出発するのがいいと僕は思いますけどね」

 「はい、分かりました。考えてみます」

 義理の両親からも、夫からも召使いとしか思われていない結婚生活。加藤諦三たちの言うとおり、離婚しちゃえばいいとは思うが、問題はそのタイミングだ。

 家や土地など、財産はしこたま持っていると思われる農家。ここまでこき使われてきたのだから、義理の両親が亡くなるのを待ち(あと数年の話だろうし)遺産も含め、ガッツリと財産分与してもらってから離婚するのがいいだろう。


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