アニメ『シドニアの騎士』という作品の魅力は、没入であり、陶酔です。かしこには人類の存続を衛(まも)り継ごうとする理念があり、こなたにはラブコメがあり、一方には意思が燃え、一方には愛やれんびんの情緒にあふれています。
ポリゴン・ピクチュアズがアニメ化した弐瓶勉さんの同名漫画は、他のSF漫画と違い、過剰な説明がなく、それ故特異な世界観をかもし出す快作。“重力子放射線射出装置”のように名からして圧のある超兵器の存在感、弐瓶作品の神髄ともいえる巨大な構造物や空間の描き方、融合個体がヒロインという世界観、過酷な状況で運命にあらがおうとする人のドラマ。それらに加え、食べて、風呂に浸かって、寝て、そして恋愛するといった暮らしの営みがときにコメディーも交えて描かれ、ハードSFというジャンルながらぬくもりと生命力にあふれているのが特徴です。
ガウナと呼ばれる生命体により太陽系が破壊された1000年後の未来が舞台の同作。移民可能な惑星を求め宇宙を旅する播種船「シドニア」と、人型兵器・衛人のエースパイロットとして成長していく谷風長道を軸とした物語で、テレビシリーズ第2期では、シドニアがガウナとの戦闘の末に惑星ナインを制圧、ガウナの集合体である大シュガフ船との最終決戦に臨まんとするまでが描かれました。
劇場アニメ『シドニアの騎士 あいつむぐほし』は、それから10年後の物語で、原作とは異なる時間軸で描かれています。テレビシリーズ第1期では編集、第2期では副監督に名を連ね、本作では監督を務めたのが吉平“Tady”直弘(よしひら たでぃ ただひろ)さん。アニメ『シドニアの騎士』の物語を紡いできた人物に話を聞きました。
「みんなの応援次第よ」――あのせりふがシドニアを完結に導いた
―― アニメ『シドニアの騎士』はポリゴン・ピクチュアズの設立30周年記念作品として世に送り出されました。テレビシリーズ第2期の放送が2015年。放送終了直後から続編を期待する声がありましたが、劇場版が発表されたのは2020年でした。結構たちましたね。
吉平 テレビシリーズ第2期の後、劇場アニメ『BLAME!』の制作があり、かなり時間が空いてしまいましたが、僕らは「絶対に(シドニアの続きを)作りたい」とずっと思っていました。
『BLAME!』の舞台あいさつでもファンの皆さんが「シドニア続編を早く」「待ってます」といったメッセージを寄せてくださるのを見聞きする度に、続編制作への想いがますます強くなっていきましたね。
―― シドニアテレビシリーズ第2期第8話の劇中劇で『BLAME!』の映像が流れた際、「霧亥はこの後どうなってしまうんですか」「みんなの応援次第よ」というつむぎと纈(ユハタ)の短いやりとりがあります。あのわずかな時間の画に魅せられた人の声がアニメ『BLAME!」を生んだのと同じだと。
吉平 そうです。ファンの皆さんと一緒に作品への熱量を上げていけば絶対に作れると信じていて、今回も皆さんの声が大きな力添えになってくれました。
―― 2020年7月の制作決定記念特番では、既にプレスコ収録済みと明かされていました。発表時点でかなり制作が進んでいる印象でしたが、折しもコロナ禍に見舞われました。これにはどう向かい合いましたか。
吉平 2020年7月は、制作としてはまさに佳境を迎えていました。テレワークでの制作に悪戦苦闘していた時期で、オフィスと違う環境でどうパフォーマンスを出していけるか、隣に仲間がいない孤独な制作環境での苦しみや、将来に対する社会的な不安も感じている中、みなが一生懸命最大のパフォーマンスを出そうとしてくれたことが印象的です。「1人じゃない。みんなで作ってるんだよ」と励ましながらも、僕は容赦なくたくさんのリテイクを出していましたけど(笑)。
コロナ禍が長く続いた場合、妥協せずに作品が完成できるのか、そんな不安も大きかったです。監督として、どんな時期に何が来ようとも最高のシドニアを作り上げて、多くの人に見てもらえるベストなタイミングでローンチできるよう、絶対にスケジュールを無駄に伸ばさないぞと決意していましたし、そういう強い気持ちを内に秘めるのではなくスタッフへ打ち出していこうと務めていました。
―― 初号試写で吉平監督はあいさつに登壇され、情念や執着といった言葉で表現されていました。
吉平 気持ちを前面に強く出していく分だけ、誰よりも汗をかこうと取り組んできました。フィードバックも正確に言語化した文章を作り、イラストや指示書もたくさんつけて、少なくとも自分が作ろうとしているものと同じものをみんながイメージできるように、自分は一生懸命情熱を伝える努力をして、どうしたら最高のものが引き出せるのかと必死になっていました。
それにスタッフたちが応えてくれて、苦心しながらも受け取ったものを増幅させて返してくれて、強い熱意を感じても、ありがとうと直接言えないジレンマに僕自身が苦しみました。いつものように笑い合って一緒に喜んだり、握手をして感謝の気持ちを強く伝えられない状況で、心を痛めながらも作品への情熱を燃やして、リテイクを出し続けていましたね。
劇場版で描きたかったもの
―― 話を作品に移します。劇場版で吉平監督が表現したいと思ったチャレンジ、劇場版だからこその価値とはどういったものといえますか?
吉平 まずスクリーンの大きさによる圧倒的な没入感。そして、テレビシリーズより高いクオリティーラインを映像として設定できること。これらは監督としての作る楽しさでもあり、皆さんに良いものを届けられる喜びでもあります。劇場版ならではのこだわりの音響も非常に大きな要素です。
―― テレビシリーズより高いクオリティーラインというのは映像を見るとよく分かります。音響も、これまで同様、岩浪美和音響監督の腕がさえ渡っていました。
吉平 テレビの視聴環境は個別に違いますから、重低音の効きがなかったり、小さな声が生活の環境音にかき消されたり、サラウンド感を強く出せなかったり、音響による空間演出を仕掛けにくい部分がありました。本作がDolby Atmosに対応する音響制作になると聞いたとき、ならば劇場版ならではの音響演出をと、絵コンテの段階からDolby Atmos仕様を意識して描き起こしてきました。
―― Dolby Atmos仕様の絵コンテ?
吉平 まず僕の方で「コンテ発注資料」をまとめていくのですが、そこでアクションやカメラワークの方向とスピーカーの位置も指定して、画面オフの場面でも、攻撃するビームの方向や爆発音など前後左右音響に囲まれるような、そういう立体音響を意識したコンテワークをしていきましょうねと指示を入れて。
―― 岩浪音響監督にとってもDolby Atmosで作ったのは『BLAME!』が最初でしたね。
吉平 はい。『BLAME!』のころから、もっとDolby Atmosをうまく使うためにどうしたらよいかを岩浪さんにお伺いしていて、そのアイデアも取り入れながら取り組んでいきました。「岩浪さんがこの映像を受け取ったらどんな顔するかな」など考えながら作るのは楽しかったですね。
―― ところで、「あいつむぐほし」という本作のサブタイトルは想像力をかき立てますね、とても。これがどう生まれてきたのかに興味があります。
吉平 テレビシリーズ第2期のサブタイトルは「第九惑星戦役」でしたが、今回はテレビシリーズのサブタイトルとは異なるアプローチで考えようと。シリーズの完結編を劇場でやるということは、視聴者の数が限られてしまうということもあり、初めて『シドニアの騎士』に気付いてくれた人たちでも観てみたいと思えるような、特に、若い世代の人たちにも伝わっていくメッセージ性のあるタイトルにしたいと考えたんです。
―― 「第九惑星戦役」も質実剛健さがあって好きでした。
吉平 漢字羅列の硬いSF感が大好物だと言ってくださる方もいますが、作品としてはどうしても難しい印象も出てしまうので、今回は「ぱっと心をつかむカジュアルなサブタイトル」にしたかったんです。それでもSF的なけれん味も残したいというか、ただカジュアルなだけでは『シドニアの騎士』の世界感を語れないわけです。
“惑星”というキーワードを分かりやすく言い換えつつ、ハードSFでの普遍的なラブストーリーだという点も意識し、さらに作品を見終わった後、秘めた想いに気付いていただけるようなサブタイトルを目指しました。タイトルに込めた想いは、タイトルの出方を注視していただくと何かが分かるかもしれません。
―― 本作は弐瓶さんが総監修にクレジットされています。『BLAME!』のときも毎回の脚本会議に顔を出されていたと聞いたことがありますが、今回も相当な熱量でかかわられたようですね。
吉平 実際の制作は2017年11月ぐらいから、物語を劇場版のボリュームにどう収めていこうかという話し合いを始めたのがそのころです。
今回、自分が監督をやらせていただくにあたり、しっかりと責任を持ってやり遂げたかったこともあり、瀬下(寛之)総監督と弐瓶さんの3人でブレストして議論された内容をどれだけ筋の通った物語として織り込めるか、ということを考慮して最初のプロット案を自分で書くことにしたのですが、そこで既に第三稿まで一人で書くことになってしまって(笑)。
―― 思い入れがえぐい。
吉平 そこから脚本の村井(さだゆき)さんたちにお渡ししたのですが、このプロット案はあくまで最初の指標で、脚本としてはここからさらに推敲(すいこう)しつつ新たに練り上げていこうと。脚本家のお二人も含め、プロデューサー陣も熱量が高く、弐瓶先生も新しいアイデアをどんどん出してくれて、非常に活発な脚本会議になりました。
―― たくさんの要素がきれいにまとめあげられていますね。
吉平 本作は原作とは異う形で、10年後からのスタートというストーリーで物語を再構築していきました。「人類vsガウナの戦争」「長道とつむぎとのラブストーリー」、そして「シドニアの歴史となってきた小林たちの700年の想い」など、いくつものドラマを入れ込みながら脚本を作り上げていきました。
また、本作単体だけ見てみても楽しんでいただけるように、テレビシリーズ第1期からの設定や世界観を伝える仕掛けも織り込んでいます。
―― シドニアのアニメはこれまでもよい意味で原作改変が図られてきました。結果、原作とアニメの両方に触れることでより楽しめるわけですが、「原作の通りやってほしい」ではなく、積極的に新しい要素を発案されるところが弐瓶さんの非凡さを感じさせます。
吉平 そうですね。アニメで新しく作り直すからには「もっと面白くしたい」と非常に高い熱量でさまざまなご提案をしていただきました。それこそ例えば背景の手すりのような建築材のレベルからキャラクターのデザインまであらゆる面で。
一番仰天したのが、ある日、「これが第九惑星戦役から10年後の長道です」と描き下ろされた長道の絵を持ってこられたことですね。原作者自ら作品作りの指標になっていただけるのは非常に珍しい事例だと思います。
舞台を10年後にした意図
―― 舞台を10年後にした弐瓶さんの意図はどこにあると感じましたか。
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