明石家さんまさん企画/プロデュースの劇場アニメ映画『漁港の肉子ちゃん』が6月11日に公開されました。
同作は、直木賞作家・西加奈子さんの同名小説が原作。ワケありの母娘・肉子ちゃんとキクコの秘密がつなぐ奇跡を描いた作品で、アニメーション制作は『鉄コン筋クリート』『海獣の子供』『映画 えんとつ町のプペル』などで知られるSTUDIO4℃。
監督は『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』『海獣の子供』などを手掛けた渡辺歩さん。キャラクターへの優しいまなざしと日常のきめ細やかな温かい描写に定評がありますが、そこにさんまさんがもたらした化学反応も気になるところです。
声優に大竹しのぶさんやCocomiさんらを起用したさんまさんの采配は分かりやすく目を引きますが、作品自体は、肉子ちゃんの存在感を除けば、劇的なドラマでも奇をてらった物語でもない同作。ただし、人とのつながりが希薄になっている現代だからこそ刺さる内容は一見の価値があります。
以下では、渡辺監督にたっぷり話を聞きました。
スタイルは無視――『漁港の肉子ちゃん』をアニメにするにあたっての挑戦
―― 最初に、今作のオファーがあった当時の話をお聞かせください。
渡辺 僕が最初に話を聞いたのは、前作の『海獣の子供』をまだ引っ張っていた2年半ぐらい前のことでした。話はSTUDIO4℃の田中(栄子)プロデューサーからあったのですが、作品は僕がどちらかという得意とする人情もので、おそらく田中さんも、それを踏まえて僕にお話を持ってきてくれたのでしょう。
―― さんまさんは5年ほど前から原作者の西加奈子さんに映像化のオファーを出されていたようですね。最初は実写ドラマ、あるいは今作がヒットしたら次は実写ドラマをやりたいという思いをテレビで口にされていましたが、アニメになったいきさつやアニメにする意義はどのようなものだったのですか?
渡辺 実写ドラマという話もあったと聞きます。その壁となったのはキャスティング。実写だと、肉子は特に難しいですし、特定の人を立ててしまうと、イメージというか色がついてしまう。そこで悩まれたというのを僕は後にさんまさんから直接聞きました。
そういうこともあり、取っかかりとしてアニメがよいだろうと。アニメにすることで得られるディテールや自由度がありますし。僕からすればアニメーションにチャンスをいただけたと感じていて、その思いに応えたい気持ちが大きかったです。
―― 原作は小説ですが、渡辺監督は作品の魅力をどう感じましたか?
渡辺 西さんの作品は、女性としての心理や自意識、あるいはそこに宿る「最終的に自分を肯定していく」姿勢が共通しているように僕は思います。その中でも『漁港の肉子ちゃん』はキャラクターがたっている。肉子やキクコはもちろん、漁港の人たちも、肉子やキクコを取り巻く人たちも。群像劇としても楽しめるところに、構造上の面白さもあって、それこそ連続テレビ小説みたいな形でも十分描ける懐の深さを特に強く感じました。
―― この取材にあたって、渡辺監督の過去のインタビュー記事を多数読みました。その中で「アニメーションを選んだ理由と物語のテーマは合致してしかるべき」という旨の発言がありました。今作でアニメーションを選んだ理由は、今のお話でおよそ分かりましたが、それは物語のテーマとも合致しているといえますか?
渡辺 そうですね。僕はなるべくそこを合致させたいと考えています。
活字だけで描かれた小説の世界をアニメーションで表現するのは、例えばマンガ原作をアニメにするのと比べて、自由度は圧倒的に高くなります。元になる絵や構図がないので、どこかにあるはっきりとした場所を描くというよりは、どこかにあるかもしれないような情景を複合的に描きました。取材はしましたが、モチーフにした場所というのは実は一箇所もないのです。最終的には美術監督の木村真二さんを中心にブラッシュアップしていただきましたが、木村さん自身の遊び心で絵であることの最大限の魅力というか、自由度を表現できたと感じます。
要するに、写真のような背景というかルックになるのは避けたかったのです。結果的に当初の想定よりはリアルなビジュアルになりましたが、肉子ちゃんだけはたたずまいがマンガっぽい。肉子ちゃんだけはファンタジーのようなイメージに持っていきたいと思っていました。
―― いわゆる“けれん味”と呼ばれるようなものですよね。
渡辺 そうです。アニメーションとはいえ、通常であれば同じようなトーンだったり統一性を持たせるものですが、今回、そのスタイルは無視しました。それが絵の魅力というか、これぐらいはやってもいいんじゃないかと。“挑戦”という言葉は強いので、提案といったところですが。
自然な流れの話芸を意識、明石家さんまのセンスがもたらしたもの
―― “挑戦”というテーマでもお聞きするつもりでしたが、『海獣の子供』と比較して、今作での挑戦はどういったものといえますか?
渡辺 『海獣の子供』は描写にこだわりましたが、今回はそこは少し抑えめにして、キャラクターそのものがしっかりと芝居を打つこと、特に話芸、相手がいて会話をしていく自然な流れを意識しました。
話芸に重きを置くと長回しになることも多く、カロリーが非常に高くなってしまうものですが、僕は人の一生で一番存在が発揮されるのは結局そういうところだと思うのです。今作で描かれているのは決して特殊なことではなく、食べて寝て、トイレ行ってみたいな本当に基本的なことで――
―― 暮らしの営み。
渡辺 そう。それを徹底的に描いて、それが韻を踏むことで展開も広がるといいなと。ささやかな挑戦ですが、そこに純化していきたいという思いでした。
―― 今作の企画/プロデュースであるさんまさんは、劇場アニメのプロデュースは初です。劇場アニメも数多く手掛けられてきた渡辺監督が、さんまさんと一緒にやることで新鮮に感じたのはどういった部分でしたか?
渡辺 「見る人を楽しませたい」というサービス視点に尽きます。
アニメだと、会話の流れがパツンと途切れることがあります。発言を受けて「それでね」と別の話になるような。さんまさんはそういう流れを気にされていて、すかさないというか、それをちゃんと受けて笑いに変えたりしながら転じていく。そういう部分は非常に新鮮でした。
あとはやはり“隙あらばのギャグ”。物語の流れを変えてしまう危険性もある笑いを果敢に入れていくのは、普通のアニメプロデューサーというかアニメに関わる人にはないセンスでした。そのことが物語に影響を及ぼさなかったわけではないですが、こちらが調整したものに対してはしっかりと寛容してくださって、概して発想を想起してもらったなと。
―― アフレコの様子をみても、さんまさんはその場でアイデアを出されていますね。話芸に対する自身の知見も生かされたのだなと感じます。一方で、アニメの絵そのものにはオーダーを出しにくい部分もありそうです。
渡辺 そうですね。絵に対するオーダーは出しづらかったと思うので、そこはある程度任される形でした。ただ、次がもしあるならばそうした部分にも踏み込みたい気持ちがあります。
―― それは絵に対するさんまさんからのオーダーはあったが十分に応えられなかったというお話ですか?
渡辺 いえ。そこの精度をもっと高められたんじゃなかろうかと僕自身が感じたということです。本当はもう少し間がほしかったシーンは僕もあるし、さんまさんにも絶対あって、そこを追究したい思いが生まれてきたのです。
―― なるほど。次につながる課題というところですね。では逆に、今作で想像以上のものができたと思う要素は?
渡辺 やはり会話です。先ほど言ったように間を埋めることと隙あらばのギャグで、会話の流れがとてもよくなりました。せりふの位置は変わってしまうんですが、会話の流れとしては掛け合いがちょっとかぶるような形で流れていく。せりふまわしは機械的にやろうとすると幾らでも機械的にやれちゃうものですが、一辺倒にならない流れが出来上がっていくのは新鮮で、僕は気付かされてばかりでした。
―― アフレコ現場では台本からダイナミックに変わった部分もあったと。
渡辺 そうですね。でも大半はささいな変化です。例えば語尾を「違う」じゃなくて「ちゃう」とするだけでも勢いが増してくる。演者にとってもブースでそういうオーダーが入るとよい意味での緊張感も走る。
吉岡里帆さんが演じる若かりし肉子ちゃんの親友であるみうとのやりとりの部分はそれが顕著です。台本とは少し違うやりとりになりましたが、よりリアルになりました。
―― 先ほどさんまさんについて、サービス視点で見る人を楽しませたいという話がありました。一方で「作り手が面白いと思うことが大切」という会話もあったそうですね。今作で作り手が面白いと感じることはできましたか?
渡辺 非常に漠然としたお答えになりますが、笑いや涙があることと同時に、今、少し見えづらくなっていることにあらためて気が付いてもらえるところに面白さがあるといいなと感じています。
例えば、もしかしたらちょっと幸せかもとか、帰る場所があるのでいいねとか。この人と一緒にいたいと思えることが幸せかもと感じられる気付き。大仰に何かをうたうというよりは、そうした細かな何かに気が付いてもらえる。劇中でも肉子ちゃんは「普通が一番ええのやで!」としばしば口にしますが、それをなぞらえている感じではあります。
―― 感覚的には分かりますが言語化が難しい部分ですね。
渡辺 難しいですよね。肉子ちゃんのたたずまいには、受け入れることの難しさと強さみたいなものがある。寛容であることが全ての肯定につながっていくのは、ひいていえば自分や相手の存在を許せることにもつながっていく。
肉子ちゃんには絶対的にそういうところがあって、「こんな人がいるわけない」から「もしかしたらいるかも」、さらに転じて「こんな人がいてほしい」みたいに、その存在が希望みたいなものに変換されるといいなと思います。
単純に演じていただく以上のものをもらった――
―― ところで、キャスティングはさんまさんの意向が強く働いたように感じます。個々のキャスティングの是非はさておき、監督が一番刺激的に感じたキャスティングは?
渡辺 大竹さん。Cocomiさんもものすごかったですが。
まず、Cocomiさんは持ってるものが結果的に素晴らしかった。しっかりとにじり寄ってキャラクターになってくださった。初めての挑戦という一度きりの行為、そしてその初々しいトーンを今作に落とし込めたのは僕にとって1つの自慢だとすら感じています。
一方で、大竹さんは全然別。僕はもともとファンで、お願いできるとなったときに非常に色めいたのですが、いろいろ驚きをくださいました。僕がオーダーしたのはテンションだけでしたが、自身のフィルターを通して肉子という存在に肉薄いただきました。
ネタバレになりますが、大竹さんの印象を大きく変える演出をさせてもらったんです。僕は最初から大竹さんのそうした部分を引き出したいと思っていて。肉子の心の底からの声を出す狙いをお伝えして、それを最初に聞かれた吉岡さんも驚かれていました。
“役ににじり寄る”という非常にベーシックで重要なものを、Cocomiさんと大竹さんという経験も時間的な立ち位置も異なる2人がそれぞれの立場で非常に努力され、役ににじり寄っていく覚悟が同時にみえてありがたく感じます。非常にぜいたくなキャスティングでした。お世辞でなく、ちゃんとはまっていますし、単純に演じていただく以上のものを僕はもらったと思っています。
さんまさんがすごいのは、ブースで演者が何をしたいのか、その空気を感じ取るのがすごく早いことだと思います。演者の一番良い部分を引き出そうという愛がそこにあり、単純に依頼した、演じた、だけではなく、演者の気持ちがいいようにお願いされたのだろうなと。だから演者も1つのせりふだけであっても最大のパフォーマンスで臨んでくれたのだと思います。
―― 今作は当初の予定通りの公開となりましたが、コロナ禍の影響で作品の公開時期が集中しています。実際、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』『シドニアの騎士 あいつむぐほし』『映画大好きポンポさん』など近い時期に公開されたアニメ作品も多いです。渡辺監督はコロナ禍の今をどのように受け止めておられますか?
渡辺 非常に難しいタイミングだと思っています。同時期に公開された作品をみても今作は異質で、こんな人をくったような作品でいいのだろうかと思ったりもします(笑)。ただ、こういう状況だからこそ、ちょっとほっこりというか柔らかい作品が合うのではなかろうかと思いますし、決してなくなってはいけない。
思うに、映画というのは、家を出て、そして映画館で作品をみて、家に帰るまでが1つの工程です。映画を見ようと思ったときから、その作品への期待値と、時間を頂戴することで成り立っているわけです。今公開しても(興収が)伸びないと思われるかもしれませんが、それを求めた人がそれぞれ人生の時間を割いてきてくださる。そうした時間の価値にこの映画が応えられたなら望外の喜びです。
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