JAL機とそっくり!? 2008年に消えた航空会社「日本アジア航空」はなぜ生まれたの?(1/2 ページ)
かつて「日本航空は台湾への乗り入れ禁止」となった時代がありました。
日本から「台湾」へ行くときはどの航空会社を使いますか? 日本からほどよく近く、現地飯や歴史・名所巡り、年1回は台湾へ行っていたという旅行好きの人も少なくはありません。日本航空(JAL)や全日空(ANA)のほか、チャイナエアラインやエバー航空、その他LCC(格安航空会社)が挙がるでしょうか。
1975〜2008年まで、日本〜台湾間の航空輸送の主役は「日本アジア航空」という航空会社でした。
「ん? 日本航空とよく似た名前だけれど違うの?」と思った人、あるいは「あぁ、昔そんな航空会社あったな」と懐かしさを感じた人がいそうです。
日本アジア航空は、かつて政治的理由で日本航空が台湾への乗り入れが禁止されたので、代わりに設立された航空会社です。
JAL機そっくりだけれど「尾翼に鶴丸なし」 政治的理由で誕生し、2008年まで活躍した日本アジア航空
ときは日中国交正常化の1972年までさかのぼります。日本は中華人民共和国と国交を結び、中華民国(台湾)とは断交するに至りました。
同時に日中航空協定締結への条件として、日台間の航空路線が維持される代わりに、日本航空は台湾へは就航しないということになりました。中国のフラッグキャリアである中国民航は成田国際空港、中華民国のフラッグキャリアである中華航空(チャイナエアライン)は東京国際空港(羽田空港)を使うことになり、両機が並ばないように政治的な配慮がなされました。
このような背景で誕生したのが、日本〜台湾間に特化した日本アジア航空です。1975年、日本航空は別会社として同社を設立し、同年から翌年にかけて東京〜台北線、大阪〜台北線を設定しました。
設立当初の使用機体はダグラス DC-8。後に日本航空からダグラス DC-10、ボーイング 747、767が移籍しています。
塗装はJAL機にそっくり。しかし、JAL機ならば尾翼にある「鶴丸」ロゴはありません。
1990年代になると、香港、デンパサール(インドネシア)、グアム線も開設され、名実ともに「アジア」の航空会社になりました。
21世紀になると、国際情勢の変化に伴って日台間の航空事情も大きく変化しました。台湾のチャイナエアラインやエバー航空の成田空港乗り入れが認められ、以前のようなピリピリ感はなくなりました。
そして2008年、日本航空が日本アジア航空を吸収する形で、日本アジア航空は33年の歴史に幕を閉じました。日本航空がその後日台間の路線を開設し、現在に至ります。
国際線は国際政治とかなりの部分でリンクしており、意外な背景もあります。また昨今は、コロナ禍の大きな影響で破綻してしまうフラッグキャリアも出てきています。
以前のように再び楽しく海外旅行できるようになることを願いつつ、そのときは国際線事情も少し変わっているのかもしれませんね。
新田浩之(にったひろし)
1987年神戸市生まれ。関西大学文学部卒、神戸大学大学院国際文化学研究科修了。主に鉄道と中欧、東欧、ロシアの旅行に関する記事を執筆。2018年からチェコ政府観光局公認の「チェコ親善アンバサダー2018」を務める
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