ITmedia ガジェット 過去記事一覧
検索
ニュース

「カーマカマカマ♪」 構想から40年「蒲蒲線」が度々話題になるワケ月刊乗り鉄話題(2022年6月版)(2/3 ページ)

そもそもどこ? どう読むの? 誰が便利になるの? いる? いらない?──を解説。あ、「カーマカマカマ♪」がちょっと頭から離れなくなっちゃいました。

advertisement

「蒲田」という街の歴史的背景 「東西分断問題」と「羽田空港アクセス問題」

 蒲田は街として2つの交通問題を抱えていました。「東西分断」と「羽田空港アクセス」です。

 蒲田の「東西分断」は、主な交通が南北方向になっているためです。南北方向へは移動しやすいけれど、東西方向へは行きにくい。JRの蒲田駅と東急の京急蒲田駅は歩いて10分から15分ほど東西方向に離れています。乗り換えるにはちょっと不便です。

 京浜東北線も京急電鉄も「南北方向」の路線です。東西が結ばれていないため、蒲田の街は一体感に欠ける感じ。また、東急池上線と目蒲線(当時)は大田区の西側を網羅します。京急電鉄空港線は京急蒲田駅から東へ進みます。蒲田の分断は、そのまま「大田区分断」の象徴といえます。

 そもそも、どうして2つの蒲田駅は離れているのでしょうか。蒲田駅と京急蒲田駅は800メートルほど離れています。その理由は駅の成り立ちにあります。歴史をたどってみましょう。

 1872(明治5)年に官営鉄道(日本初の鉄道路線、現在の東海道線に相当)が新橋〜横浜間を最短で結んだとき、蒲田駅はありませんでした。

 京浜電鉄(のちの京急電鉄)は1901(明治34)年に、京浜国道(現・国道15号)の路面電車として大森駅と大師駅(川崎大師)を結びました。官営鉄道は蒲田ではなく大森に駅を設けていたので、京急電鉄は蒲田ではなく大森で接続したわけです。

 官営鉄道の蒲田駅はその3年後の1904(明治37)年に開業します。大正時代に東急池上線と目蒲線が官営鉄道の蒲田駅に連絡して、現在の路線図となります。

 戦後の一時期、実は2つの蒲田駅を結んだ線路がありました。「連合軍羽田空港専用線」です。羽田空港を接収した連合軍が羽田空港と東海道線を結ぶ線路を敷設しました。現在のJR蒲田駅の南側から北東へ分岐して京浜蒲田(現・京急蒲田)へ。途中に貨車を仕分けるヤードを設置しました。

 京浜蒲田から羽田空港へ向かう線路は軌間が異なります(関連記事)。そこで複線だった穴守線(現在の空港線)を単線化し、複線の片側を官営鉄道の軌間に改造して使いました。

1947年7月蒲田エリアの航空写真
(参考)1947年7月の航空写真 黄色いマーカーラインの上に蒲田駅と京浜蒲田駅を結んだ線路が見える(国土地理院の航空写真を加工

 この路線と周辺の土地は1952(昭和27)年に連合軍から返還され、線路は撤去されました。穴守線も複線に戻りました。

 今となっては「これを残しておけば……」と思います。その思いが新たな蒲蒲線構想「新空港線」の背景にあるといえそうです。

 ちなみに、新空港線の想定ルートのうち、蒲田駅前から京急蒲田駅前は区道(大田区道主要第89号線)の地下を通ります。この部分は、連合軍羽田空港専用線の跡地です。

 もう1つの「羽田空港アクセス問題」は、1982年に構想が立ち上がった当時の深刻な問題を解決するためでした。2022年現在はほぼ解決しています。

 1980年代、蒲田駅から羽田空港へ向かう道路「環状8号線」は大渋滞が問題でした。その原因は「京急電鉄の踏切」と「南蒲田交差点」です。京急電鉄本線も空港線も地上にあり、本線は環状8号線に踏切があり、空港線は国道15号に踏切がありました。

 京急電鉄本線は運行本数が多く「開かずの踏切」となり、環状8号線は慢性的な渋滞が発生していました。特に1990年代は列車の編成が長くなり、新設された京急ウィング号の回送列車もゆっくり走ります。空港線と国道15号の踏切は単線で、下り列車と上り列車が別々に線路をふさぎます。

 これは、「箱根駅伝で選手が通過待ちになる」とか、「駅伝のときだけは踏切を閉じないように臨時ダイヤを組む」などとしても話題になりましたね。ほのぼのとした話題は良いとして、どちらの踏切も渋滞する上に、緊急車両の通行に支障する大問題でした。

 さて、踏切が開いたとしても渋滞の列は進みません。次の「南蒲田交差点」も詰まっているからです。ここは環状8号線と国道15号線が交差します。どちらも交通量が多い道路です。そこを通る蒲田駅から羽田空港行きのバスは時刻がアテにならない困った路線でした。

 そうなると、蒲田駅から京急蒲田駅までの800メートルを歩くか、タクシーに乗るか、という選択になります。そこに蒲蒲線があったらよかったのにと思います。

1988年2月蒲田エリアの航空写真
(参考)1988年2月の航空写真。踏切と南蒲田交差点付近からの長い道路渋滞も写っていた(国土地理院の航空写真を加工

 2012年10月、京急本線と空港線の高架工事が完成して踏切渋滞は解消されました。同年12月に南蒲田交差点で国道15号線のアンダーパスが完成し、交差点渋滞も大幅に緩和されました。

 2022年現在、蒲田駅〜羽田空港間でシャトルバス(蒲95系統)が運行されています。蒲田駅〜羽田空港第3ターミナル間は約20分、蒲田駅〜羽田空港第2ターミナル間は約25分、蒲田駅〜羽田空港第1ターミナル間は約30分で結びます。

2017年5月蒲田エリアの航空写真
(参考)2017年5月の航空写真。高架の立体交差と南蒲田交差点改良で渋滞は解消された(国土地理院の航空写真を加工

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る