ちょっとブリジットについて語らせてくれ! 「男の娘」として生まれたキャラクターが現実の「トランスジェンダー」についても知見を投げかける理由(1/2 ページ)
20年目のかわいいは正義。
3D対戦アクションゲーム「GUILTY GEAR STRIVE(ギルティギアストライブ)」で人気キャラクター「ブリジット」の参戦が話題となっている。
ブリジットのシリーズ初登場は2002年。「どう見ても可憐(かれん)な女の子だけど、実は男の子」というキャラクターは各方面に衝撃を与え、現在に至るまで萌え文化における「男の娘」を大きくけん引してきた存在といえる。
しかも前作に当たる「GUILTY GEAR Xrd」でブリジットは未登場であり、長い長い月日を経ての「王の帰還」だった。Steamでプレイヤー人口が5倍になるというニュースもさもありなん、あらためてその人気ぶりを見せつける結果となった。
そして、今作のブリジットは、萌え文化と深い結び付きを持つ「男の娘」という概念に限らず、現実のトランスジェンダーへの理解をも促す、重要な知見を携えているとも思うのだ。その理由を記していこう。
以前とは変わった状況
今作のブリジットは、まず公式サイトの紹介文が興味深い。紹介文では「以前とは状況が異なる」ことと、「自分探し中」であることが書かれているのだ。
要点をまとめると、ブリジットは村の迷信のために女の子として育てられ、以前は「両親のため」「村の迷信を覆すため」という2つの目標のために、「男として」生きようと考えたこともある。だが、ブリジットは賞金稼ぎとして成功して村に莫大な金銭を仕送りでき、それらの目標がなくなったため、今は「自分のために」生きていてもいいという、人生の節目を迎えているのだ。
※以下、「GUILTY GEAR STRIVE」のブリジットに関するネタバレを含みます。
ブリジットの出した結論は
実際にゲームを遊んでみると、今回のブリジットは性自認に悩み、その末にはっきりと結論を出すセリフがある。
初めこそブリジットは「お嬢ちゃん」と呼ばれ「ウチは男です……いろいろあって女の子の格好しているだけで……」と答えるのだが、最後には「ここでごまかしちゃったら後悔するから」と決意を語った後、「(呼び方は)お嬢ちゃんでいいですよ。ウチは、女の子ですから!」と宣言するのだ。
つまりは、これまでは「両親のため」「村のため」に女の子として生きるのか、男の子として生きるのかと葛藤していたブリジットが、それらからも解き放たれ、100%自分の気持ちに従って「女の子である」自分を認めた、ということだ。
ブリジットが出した「そのままの自分でいい」という結論は、性自認の話に限らないものと解釈することもできるだろう。これまでと同じように、賞金稼ぎとしての才能を開花させた、かわいい格好の女の子の自分のままで、正直に生きればいいというブリジットの姿は、およそ20年前から存在を知っているブリジットのファンには感慨深いものがある。
さらに、テーマ曲「The Town Inside Me」の歌詞からも、ブリジットの複雑な心境と、その変化を読み解くことができる。例えば、「Only I'm not there. Just watching from afar(そこにウチはいなくて、見ていることしかできない)」はみんなとは違うという疎外感を、「I've had the gray haze for a long time though(ずっと灰色の靄がかかっていた)」は性自認にモヤモヤしていた気持ち、「No matter what changes, will no longer change me(何がどう変わろうとしても、私は変わらない)!」はやはり前述した「女の子である」「そのままの自分でいい」ブリジットの心境そのものだろう。
悪しきミームからの解放
今回のブリジットは新たにトランスジェンダーの女性として描かれており、海外ではこれまでの「TRAP(罠、騙す)」と称するトランスフォビア(嫌悪)的なミームから解き放たれたと解説する記事も見受けられる。「どう見ても可憐な女の子だけど実は男の子」というのはブリジットの魅力かつ人気の理由でもあるが、海外では侮辱的なニュアンスで揶揄(やゆ)されることもあったのだ。
今回の作り手に、トランスジェンダーへの知見のアップデートをする姿勢があることは間違いない。事実、以前のブリジットは衣装の頭部に 「男性」のマークがあったのだが、今回は「トランスジェンダー」のマークへと変更されている。
もちろん、創作物として萌えを主体として生まれた男の娘と、現実のトランスジェンダーは異なる概念であり、本来は分けて考えるべきではあるだろう。
だが、トランスジェンダーへの侮辱的な言葉と関連づけられてしまった悪しき風習をも覆すように、はっきりと「女の子と認める」または「そのままの自分でいい」という結論を導き出したブリジットは、現実にいるトランスジェンダーの当事者の方にとって、勇気をもらえる存在にもなったのではないか。
衣装の変更も重要だった
また、前述したトランスジェンダーのマークだけでなく、ブリジットの衣装デザインが変わった意義も大きいだろう。何しろ以前のブリジットの衣装はシスター服そのもので、しかも肌の露出が多くセクシーに見えて、そして(未成年と思われる)男の子であり、あまつさえ大きな手錠が腰についているという、聖職者のタブーに思いっきり触れるようなデザインでもあったのだ。
これにより近年ブリジットの登場が難しくなっていたという説もあったのだが、今回の衣装は「だぼだぼパーカー」へと変更。「十字」はあしらわれているものの、それは必ずしも信仰を示すものではなく、ブリジットが自分の育った環境をこれからも自分のアイデンティティーとして受け止めたものであるとも解釈できる。そして何より、「これまでのブリジットのイメージやかわいらしさをそのままパーカーに落としこんだ」デザインに絶賛に次ぐ絶賛が寄せられているのは当然だ。
しかも、今回のデザインは「男の子っぽい体つきをごまかす方法」としても秀逸であることが指摘されている。手の甲や喉仏を隠し、胸をリボンで結んで膨らみがあるように見せ、腰回りの広がりをスカートっぽく着こなすなど、現実的なセオリーを踏襲しつつ、新たにブリジットのキュートな印象を際立たせることに成功しているのだ。
そして、その新しいデザインのブリジットを実際にゲームで動かしてみると、ヨーヨーを駆使した戦い方がめちゃくちゃ楽しく、何より思わず「かわいい!」と思ってしまう瞬間が無尽蔵にある。
常に体を揺らしてウキウキしていたり、ひざを抱えてゆらゆらと体を揺らしたり、人差し指を振りつつ歌いながら歩いたり、勝利シーンでヨーヨーを上昇させつつ「ニカッ」と笑う様など、細やかなアニメーションのおかげもあってとにかくかわいい! ゲームをプレイすればするほど、ブリジットというキャラクターの魅力がこれでもかと表現されていることを、改めて思い知った。
境遇が似た『ヴィンランド・サガ』のキャラクター
最近のマンガ作品にも、ブリジットの境遇によく似たキャラクターがいる。それは、『ヴィンランド・サガ』(講談社/幸村誠著)24巻より登場する「コーデリア」だ。戦争好きの父親に、生まれたばかりの息子のコーデリアを連れて行かれることを危惧した母親は、とっさの嘘として「生まれてきたのは女の子」と主張し、その後も女の子として育てる。だが、コーデリアは成長すると、父そっくりの筋骨隆々とした体格になってしまうのだ。
ブリジットとコーデリアには、「親から境遇を哀れられ女の子として育てられた」「成長した後は自分らしく生きる方法を模索していく」という共通点がある。そのブリジットとは違い、コーデリアは体格がコンプレックスとなり、女の子として生きたいと願う心と一致しないという悩みもある。『ヴィンランド・サガ』の時代背景は11世紀初頭であり、トランスジェンダーへの理解や常識などない頃ならではの葛藤もあるように見える。
また、ブリジットとコーデリアは「女の子として育てられたので性自認も女の子になったのでは」という解釈もできるだろうが、筆者はそうではないと思う。女の子として育てられた環境によって「気付く」きっかけが生まれたというだけで、どちらも性自認はもともと女の子なのだろうと、その振る舞いから大いに思い知らされたのだから。そもそも、性自認が先天的か後天的かという議論よりも、「これからどう生きていくか」のほうが、その人にとって大切なことだろう。
また、こうした創作物に登場する男の娘やトランスジェンダーのキャラクターから、現実にいるトランスジェンダーの方々の気持ちを想像することは、やはり意義深いことだ。もちろん、それが全ての人に当てはまるとは限らないし、完全な同一視も危険ではあるが、理解の一助として参照できる点はあるだろう。
そして、かわいくなろうと頑張るキャラクター・人に「かわいい!」と素直に表明することで、世界はもっと平和になると思う。結論としては、ブリジットはいいぞ。あとコーデリアもめっちゃかわいいぞ。
(ヒナタカ)
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 「ONE PIECE FILM RED」が賛否両論を呼ぶ理由 ウタが実現した「新時代」とは? 深い物語をネタバレありで考察
「オマツリ男爵」にも近い、悲しく恐ろしい物語だった。 - 逆にサメが出ない 純文学的サメ映画「ノー・シャーク」レビュー
高尚な純文学的コメディドラマだった。 - 高級レストランの地獄のような裏側をワンカット90分で煮込んで沸騰させた映画「ボイリング・ポイント」レビュー
労働環境と人間関係の問題を正面から切り取った映画。 - 映画「ゆるキャン△」レビュー 愛に満ちた「社会人物語」の大傑作
環境は変わった、でも変っていない、みんながそこにいた。