ITmedia ガジェット 過去記事一覧
検索
ニュース

「人間とAIは“共存”するのではなく“共依存”する」――押井守が語った人間とAIの関係性(3/4 ページ)

「犬の目を見ればね、そこに神様がいる」。

advertisement

人間と人形、そして自分であること

押井守

 「イノセンス」の劇中で人形(アンドロイド)が人間に問いかける。「生命という現象を解き明かそうとする科学、自然が計算可能だという信念は、人間もまた単純な機械部品に還元されるという結論を導きだす(中略)人間は生物としての機能の上限を押し広げるために、積極的に自らを機械化し続けてきた(中略)完全なハードウェアを装備した生命という幻想こそが、この悪夢の源泉なのだ」。


押井 何を言っているかというと、自分で人間だと思い込んでいるだけで、もしかしたらあなたも人形かもしれないっていうことです。

 これを作ったとき、「人間と人形、どう違うんだ?」ということを考え始めて、それをどう証明するのかという映画になった。映画を作った後に、医学博士の養老孟司先生とお会いする機会があって、人間は自分を人間だと思い込んでいるけれど、それってどういうことなのか? という話をしたんです。

 そこで聞いた話によるとね、自分を見てるもう一人の自分がここ(頭上)にいる、いわゆる自意識がある時間って、24時間のうちせいぜい3時間だって言うんですね。人間ってさ、起きてる間はずっと自意識があると思い込んでいるけれど、朝起きて、服を着て、家出て、電車に乗って、会社で働いて、帰って寝る、これほとんど無意識でやっていると。つまり人形になっているわけですよ。

 以前にね、僕はこういう講演を行っている最中に記憶がぶっ飛んだことがあるんです。気がついたら、知らないビルのテラスで雨を眺めてた。3時間ほどの記憶が全くない。その間に自分が何をやらかしたのか、とても怖かったので人に聞いたら、ちゃんと普通にしゃべってましたよって。領収書にもはんこを押して、お金いただいて帰りましたよって(笑)。気がついたらスキー場のゲレンデにいたことがあるっていう人の話も聞いたことがある。だから人間って自分が思っているほど人間じゃないんですよ。

 この映画も、誰が人間で、誰が人形なのか分からない世界の話ですけど、もうそれはどっちでもいいんじゃないかと思う。ただし、幸福感は欲しい。自分が自分である根拠も欲しいし、自分が生きていると思いたい。それで2つの可能性を考えたわけ。

 まず一つは犬と暮らすこと。犬が生き物であることは、抱けばすぐ分かる。いい匂いがするし、温かいし、心臓はトクトク動いてる。まさにこれが命だと分かる。

 もう一つの可能性は人形と暮らすこと。今の人たちはこれですよね。インターネットにぶら下がって生きたりとか、それは要するに人形と暮らすってことですよ。

―― 自分が人形でもいいかなって、一瞬思ったんですけど……。

押井 一瞬でもそう思ったなら、もう結構そうなってますよ(笑)。

―― でも、私ではいたいんです、人形でもいいけど。

押井 人形だって、自分は自分だと思ってるかもしれない。自分を自分だと思うことが命の条件だとしたら、別に人間も人形も同じでしょう。ピノキオだって、僕は僕だって言いますから。

 でも、結局それもこれも文化なんですね。そもそも人間って、疑問に思うとか、質問するとか、そういうこと自体、ある文化の枠内でしかできない。子どもが大人になるってことは、ある文化の枠に特化していくことですよね。

―― ある種の思考の枠にはまっていくと。

押井 結局、誰でも言葉で物を考えるわけで、言葉である限り、それは文化の問題になるわけです。文化って致命的にローカルだから、世界共通にはならない。そこで、本当に必要なのはそういう(人間とは何か? という)問いではないと思い始めたわけ。

 この作品を作って体の調子がすごく悪くなって、しみじみ思ったんです。人であることの根拠になるのは、やっぱり体なんだなって。自分が人間であるかどうかはどうでもよくて、自分が自分であることの根拠というのは、要するに他人に取って変わられないこと。そういう代替不能な存在になることが、生きる目的なんじゃないかと思う。

―― ある意味の存在価値ですね?

押井 別に偉くなるとか、そういうことではないですよ。

 例えば犬を飼っているとして、その犬にとってはご主人さまが大統領だろうと、泥棒だろうと、かけがえのないご主人さまなんですよ。つまり、そういう誰かにとっての代替不能性、関係性のことを言っているわけ。自分なんてないんです、誰かにとっての自分があるだけなんです。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
本記事は制作段階でChatGPT等の生成系AIサービスを利用していますが、文責は編集部に帰属します。

ページトップに戻る