【戦国時代】あなたが一番好きな「織田信長」の戦いはなに?【人気投票実施中】
幼少時代は「うつけ者」と呼ばれながら、類まれなる才覚を武器に天下統一の一歩手前まで上り詰めた織田信長。一昔前までは、冷酷無比で残忍なイメージや、旧時代の風習や利権を破壊した革命児としての印象が強かった人物ですが、最近の研究では、保守的な考えのもとで堅実な組織運営を行っていたという姿も伝えられています。そんな、さまざまな側面を持つ複雑な人物像が、今日まで続くカリスマ的な戦国大名・織田信長の魅力をつくりだしていると言えるでしょう。
そこで今回は、「織田信長の戦いでどれが一番好き?」というアンケートを実施します。これまでに信長が行ってきた合戦や戦闘であなたが好きな戦いを教えてください。それではまず、数ある戦いの中から歴史の転換点ともいうべき3つの戦いをピックアップして紹介します。
各戦いの解説は、2021年11月現在までに定説とされているものをベースとしていますが、現在も歴史的な発見や研究によりさまざまな事実が解明されてきており、戦いが行われた日時をはじめ、参戦した兵力や援軍の有無など、実際の記録と記載内容に誤差が生じる可能性があることがございます。予めご了承ください。
桶狭間の戦い【1560年5月(永禄3年)】
三河と尾張の国境地帯をめぐり今川義元と争っていた信長は、2万5000の兵を率いて尾張に攻め入ってきた義元を迎撃。信長はわずか2000~4000程度の兵を率い(※諸説あり)、今川本陣急襲の策によって、当時の戦国大名の中でも屈指の勢力を誇る今川義元を見事に討ち取りました。これにより信長は一躍、全国にその名を轟かせることになります。また、この戦いののち、今川家家臣だった松平元康(徳川家康)が独立。以後、織田信長の生涯の盟友となりました。
長篠の戦い【1575年5月(天正3年)】
武田勝頼による三河侵攻に対して、徳川家康から援軍要請を受けた信長は、3万の兵を率いて出撃。防御陣地の有効活用や大量の鉄砲による攻撃などで武田軍を総崩れに追い込み、馬場信房や山県昌影といった武田家の重臣を討ち取って甚大な被害を与えました。なお、この戦いで信長は火縄銃を効率的に使用する戦術である「三段撃ち」を実践したと長年語り継がれてきましたが、現在では創作であるとの説が優勢です。ただ、信長がそれまでにないほど大量の鉄砲をこの戦場に持ち込んだことは確かなようです。
本能寺の変【1582年6月2日(天正10年)】
中国攻めを行う羽柴秀吉の援軍を命じられた明智光秀でしたが、その命令に背き、京の本能寺に滞在する信長を襲撃。信長はわずか300人で1万3000の明智軍に抵抗したものの、最終的には追い詰められ、本能寺に自ら火を放って自刃しました。一方、信長の嫡男で織田家当主となっていた織田信忠も二条城に立てこもって明智軍に抗戦するも最終的に自刃すること選び、これによって織田政権は瓦解することなりました。
まとめ
ここまで、織田信長の数ある戦いから3つを紹介しました。選択肢には、信長が織田家当主となって以降、記録上初めての戦いである「赤塚の戦い」から、最期の戦いとなった「本能寺の変」まで、信長が自ら指揮を執った、もしくは部下に指揮を命じるなどしてかかわった33の主な戦いを用意しています。
しかし、織田軍はこのほかにも数えきれないほどの戦闘を行っていますので、もし選択肢にない戦いに投票したい場合は、「その他」を選択のうえコメント欄に戦いの名称やどこで誰と戦ったのか、投票理由などをお書きください。また、各戦いの好きなところなどもコメント欄にお寄せください。みなさんのご投票お待ちしています!
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