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» 2016年06月25日 11時00分 UPDATE

男児置き去り事件が浮かび上がらせた「イメージ探偵」たち 印象だけで誰かを犯人扱いしてしまわないために

私たちは印象論から脱却できるのか。連載「ネットは1日25時間」。

[星井七億,ねとらぼ]

 ベタな青春マンガなどを読んでいると、普段から問題行動の多い不良生徒がやってもいない悪事の罪を教師から疑われてキレるというシーンがちらほらと見受けられます。これを「因果応報だ」と見るのか、「事件は事件で個別に考えるべきだ」と見るのかは人それぞれであり、この不良生徒は後に学園のマドンナかイケメンあたりといい仲になったりするのですが、それはともかく「相手側の勝手な印象だけで犯人扱い」というのは見舞われた当事者からすれば筆舌に尽くしがたいいら立ちを覚えるものです。

 平成以前の冤罪(えんざい)事件を掘り下げてみると何かしらの事件が発生した際に、生まれ育った地域や人種といった特定の出自や趣味嗜好、生活習慣だけを理由に容疑者扱いされ、そのまま有罪になっているケースが顕著に見受けられます。平成以降は偏見の払拭(ふっしょく)や人権配慮の観点、捜査技術の発達に伴い、公的な機関によるそういった乱雑な「犯人探し」はずいぶんと減りましたが、それでも印象論や根強い偏見の持つ身勝手な「有罪認定」は根強く残り続けています。

 特にインターネットの普及によって個人の主張を大勢に向けて広めやすくなった昨今では、自分の持つ印象だけで善悪の判断や物事の是非、他人に対する評価を下せる機会が多くなり、どんな賢人でも一度はそういった行動に及ぶものかもしれません。

星井七億コラム

男児置き去り事件が浮かび上がらせた「イメージ探偵」たち

 先頃、北海道で七歳の男児が父親による行き過ぎた「しつけ」の一環として林道に置き去りにされ、一週間近くにわたり消息不明となった事件は、男児が無事に発見されたことにより日本中が安堵(あんど)に包まれる結末を迎えたわけなのですが、この事件は外部に思わぬ形で波及し、ことネット上においてさらなる問題を浮かび上がらせました。

 とある著名な教育評論家の方が、この件に関しブログで刑事事件性を疑うような記述をしたことで炎上してしまった、というものです。

 この教育評論家が炎上してしまったという事実自体はともかく、さらに深刻かつ重要なのは、今回の件で教育評論家と同様に、事象の雰囲気や自分の中にあるイメージからあらぬ事件性をうたがって、それを声高に訴えたり、中には疑うどころか既に決めつけて大前提で話をする人たちが、男児発見までの間に非常に多く見受けられたことです。

 もちろんそれは悪いことではあるのですが、誰かの目に付くところで「実はこうなんじゃないの?」「実際はこうに違いない」と言い放つまではいかなくとも、「もしかして……」と心に思うまでは、誰が歩んでも不思議ではない道なので、それを実際に表に出すと出さないとでは大きな違いがあるとはいえど、我が身を振り返ると一概に他人を責めきれないという人もいるのではないでしょうか。

 こういった、データや事実に基づいた推理ではなく、自分の中にある単なる第一印象やイメージで刑事事件の存在をにおわせたり、罪なき人を犯罪者に仕立てあげ、裁こうとする「イメージ探偵」ともいえる人たちの存在は決して新しいものではなく、以前からあらゆる出来事において姿を見せてきました。

 偏った知識や思想信条の違いなどからくる偏見によって他人を裁き、ある場合は壮大な陰謀論となり、ときとして大量の命すら奪うという行為は、差別的感情とも非常に相性が良く、世界中で幾度と無く繰り返され、形や規模を変えてもいまだに残り続けています。

 日本のネットというミニマムな環境においても、ひどいケースでは「◯◯だから、あれをしたに違いない」にとどまらず、「あれをするようなやつは、絶対に◯◯しかいない」「××がああいうことをするわけがないので、きっと犯人は◯◯だろう」という偏った意見も見受けられ、これらはまとめブログや動画サイトなどで極端な思想の普及が昔よりも簡単になった今日では何かしらの目立つ事件が起きるたびに囁かれています。

 もしもエルキュール・ポアロが相手の出自だけを理由に殺人犯を決めつけたら、脳細胞どころか事件までもが灰色になってしまいます。

星井七億コラム

「イメージ探偵」にならない方法はあるのか

 「印象で決めつける」というのはあらゆる場面において知性やセンスからかけはなれた行動ではあるのですが、市井に生きる一般大衆のレベルになると得られる情報に限界があり、一定の規模になるとどうしても印象論に頼らざるを得ない部分があるというのも現状です。そうなると、自分の意見が表明しやすいネット上において「イメージ探偵」の存在が目立つようになるのも致し方ないことなのかもしれません。

 自分が向かい合うあらゆる事象に対し、十分なデータと考察で語るというのは個人の力ではほぼ不可能に近いので、そうなると「印象で物事を決めつける頻度を減らす」という点に目を向ける必要が出てきます。そこには論理的思考力がどうだとか、自制心がこうだといった要素が絡んでくるので、いよいよハードルが高くなります。もっとも手っ取り早い方法として、あらゆる話題に向い合っても「空きれい」とか無関係のことしか言わないか、貝になって黙っているという手もあるので、どちらを選ぶかは自分次第です。

 先述のように、われわれのような一般大衆では得られる情報に時間や深度といった制約があり、どうしても限界があります。限定された情報からは限定された考え方しか導き出されません。それらを一つとして、例えば本などから、質の高いジャーナリズムに極力触れるようにするという方法があります。

 高品質のジャーナリズムに触れることのメリットは、そこに書かれている深度のある情報を得られることよりも、わずかな情報というものからどのように考えを編み上げ掘り下げていき、新たな情報へとたどり着くかという「技術」を学ぶことができるという面です。情報の適切な継ぎ接ぎを繰り返す、という行為には印象で物を語る余地を与えさせない効果があるのです。

 当然、どのようなものが高品質と呼べるのか、という部分には大きな個人差があります。特に思想の違いというものは大きく、どれだけ知見と熟慮に満ちたジャーナリズムであっても、自分の思想と根本的に異なっていたら、それだけで「これは偏見と妄想に満ちたやつだ」と思いがちになってしまいます。人によっては、自分にとって面白いとさえ感じられれば、まとめブログですら高品質のジャーナリズムだと錯覚する場合もあります。

 「イメージ探偵」からの脱却はすこぶる難しいものですが、今回の男児置き去り事件から私たちは多くのことを学ぶ必要があります。それは恐らく、一介の教育評論家ではとても教えられないことなのでしょう。反面教師にはなったとしても……。

星井七億

 85年生まれのブロガー。2012年にブログ「ナナオクプリーズ」を開設。おとぎ話などをパロディー化した芸能系のネタや風刺色の強いネタがさまざまなメディアで紹介されて話題となる。

 2015年に初の著書「もしも矢沢永吉が『桃太郎』を朗読したら」を刊行。ライターとしても活動中。


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