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刀剣も多数展示 徳川美術館「没後400年 徳川家康 −天下人の遺産−」展を見てきた

刀剣乱舞ファンにおなじみの「鯰尾藤四郎」、国宝の「津田遠江長光」など、「没後400年 徳川家康 −天下人の遺産−」展でさまざまな武具を見てきました。

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 名古屋の徳川美術館では江戸幕府を開いた徳川家康没後400年にあたる2015年、8月1日から9月13日の期間、尾張徳川家に伝わる家康公のさまざまな文物を「天下人の遺産」として展示しています。


「没後400年 徳川家康 −天下人の遺産−」

 尾張徳川家は、紀伊徳川家、水戸徳川家とともに徳川将軍家(宗家)を支える御三家の1つで、尾張徳川家はその中でも特に多くの文物を残しており、これらを徳川美術館に収蔵し、調査を行っています。武術歴25年の筆者が、武術マニアからの視点で展示を紹介します。

 今回の「天下人の遺産」展は、徳川幕府成立前の織田信長の時代から家康公が没するまでの文物が展示されており、国宝の「津田遠江長光(つだとおとうみながみつ)」をはじめ、歴史の転換点となった多くの刀剣類が展示されています。ポスターにも登場している「徳川家康三方ヶ原戦役画像」は、三方ヶ原の合戦で武田軍に敗れて憔悴する家康公を描いたもので、負け戦の戒めとして描かせたものとのこと。


「徳川家康三方ヶ原戦役画像」

 国宝「太刀 銘 長光 名物津田遠江長光」は、本能寺の変により織田信長から明智光秀の手に渡り、その後前田家を経て徳川綱吉に献上された、まさに歴史上の人物の手を経た太刀。


「太刀 銘 長光 名物津田遠江長光」

 展示室を案内していただいた学芸員の薄田大輔さんのお話では、ブラウザゲーム「刀剣乱舞」のファンが美術館を訪れるようになり、特に「脇差 銘 吉光 名物 鯰尾藤四郎」の公開時にはそれまで見かけることが少なかった若い女性が大勢来館したとのことでした。前回公開時は拵え(こしらえ)の展示がありませんでしたが、刀剣乱舞ファンの強い要望があり、今回は拵えもともに展示していました。


「脇差 銘 吉光 名物 鯰尾藤四郎」

 全国100万人の審神者(さにわ:刀剣乱舞プレイヤー)の方たちはすでにご存知のように、鯰尾は大阪城落城の際に焼かれたため家康公の命によって焼き直しおよび研ぎ直しが行われ、独特の光を放っています。基本的に徳川美術館の収蔵刀剣は研ぎ直しを行わず本来の姿で展示されており、鯰尾はその中でも異色と言えるでしょう。

 こちらは重要文化財「刀 銘 本作長義」。この刀の写しを堀川国広に写させた山姥切国広はみなさんも御存知の通り。

「刀 銘 本作長義」

 同じく重要文化財「太刀 銘 備前国長船住守家 名物 兵庫守家」。写真を見ると、刀身がすこし鈍く光を反射しているのが分かりますが、本来の武具として研ぎ直しをせずこのような姿のまま展示しているとのことです。


「太刀 銘 備前国長船住守家 名物 兵庫守家」

 備前は現在の岡山県にあたり、実はこの一帯は日本の武術の故郷とも言える地域なのです。日本最古の柔術と呼ばれている竹内流も備中が発祥の地であり、宮本武蔵も一節によればこの一帯の美作の生まれとされ、少林寺拳法の宗道臣開祖も美作の出身なのです。

 重要文化財「脇差 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗」は徳川家康の愛刀で、この脇差を帯びて出陣すると負け知らずという故事から「物吉(ものよし)」と名付けられました。


「脇差 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗」

 「短刀 銘 吉光 名物 包丁藤四郎」は石田三成の盟友・大谷吉継の短刀で、関ヶ原の合戦において敗走し自刃。後に家康から尾張徳川初代義直に伝わったもの。


「短刀 銘 吉光 名物 包丁藤四郎」

 「太刀 銘 国俊 名物 鳥養国俊」は石田三成が関ヶ原の合戦で紛失、東軍(家康方)の富田信高が見つけ出して家康に献上したもの。


「太刀 銘 国俊 名物 鳥養国俊」

 重要文化財「刀 無銘 一文字 名物 南泉一文字」は、それまで豊臣家より格下であった徳川家の地位が逆転した、京都二条城での家康と豊臣秀頼の会見において秀頼から家康公に贈られた刀です。


「刀 無銘 一文字 名物 南泉一文字」

 「花色日の丸威胴丸具足」は豊臣秀吉の具足と考えられていたが、その後の調査により家康のものと判明したもの。ちなみにこのような具足は兜も含めると約20〜40キロほどの重量になります。現在も柳生心眼流などに具足を装備した状態で戦う甲冑伝と呼ばれる体術が伝承されています。


「花色日の丸威胴丸具足」

 「紅・白・花色紺段威具足」も当初は秀吉の影武者の具足と考えられていたが、その後の調査で家康のそばに仕えていた武士のものと判明しました。兜に桐紋がみられますが、これは代々幕府の紋章として用いられており、現在も日本国政府の紋章となっています。


「紅・白・花色紺段威具足」

 「母衣(ほろ)」は、戦場で背後からの矢を防ぐために背中に背負った防具です。実は筆者も実物を見たのはこれが初めてでした。


「母衣」

 「蓮唐草文推朱碁笥(れんからくさもんついしゅごけ)」、通常碁石は貝と石でできていますが、これはガラスでできた「びいどろ」碁石で非常に珍しく、当時は非常に高価であったものです。


「蓮唐草文推朱碁笥」

 武具を中心に紹介してきましたが、辻が花染の見事な装束や藤原定家の書や続日本紀などなかなか見られないものが一堂に展示されていますので、審神者のみなさんもその奥深い世界をじっくり鑑賞することをおすすめします。

松岡洋

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