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構想4年! 幻のPS版も公開! ICOはこうして作られた
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2004年3月25日 |
独特の世界観によって世界中でファンを生んだPS2「ICO」。今回,プロデューサーの海道氏とディレクターの上田氏による講演が,今回のGDCで実現した(実は本当は去年行われる予定だったが,スケジュールの都合とイラク情勢によって中止になっていた)。
ICOの起源は'97年まで遡る。上田氏が普遍的なテーマに沿って新しいゲームを作ろうと考えたという。ここで上田氏は,企画書代わりのムービーを4カ月かけて制作。この時点で「少年が少女と手を取り,困難を排除しながら進む」という基本コンセプトは確立されていた。が,フィールドが城だけでなく森や砂漠といった屋外まで用意されていたり,NPCとの会話でゲームを進めていくという要素があった。
'97年9月に海道氏が入り,プロジェクトは始動。もちろん,この時期はPS2の話題はまだ影も形もなかったころで,プラットフォームは当然PS1。コンセプトをゲームデザインに置き換える作業が行われた。
ICOのプロダクトコンセプトである「ゲームの差別化」「芸術的なグラフィック」「『モニターの中の世界』を実現させるためのリアリティ」もこの時点で設定されている。
上田氏はこのコンセプトを突き詰めるために「ゲームは限りなくシンプルにする」「ゲームのボリュームを抑え,その労力をクオリティと密度の向上にあてる」ことにした。屋外のフィールドは排除され,キャラクターも少年と少女と敵兵士(これも「少年が棒切れ一本で敵兵士を倒していくのはリアルさに欠ける」という理由で現在の怪物に変わっていったそうだ)という必要最小限のデザインになった。
翌'98年8月にプロトタイプが完成。この後,プロジェクトは正式に始動し,'99年の10月にプロジェクトは大きな転機を迎える。公開されたプロトタイプではPS1とは思えない美しいグラフィックを実現していた。しかし,キャラクター自体は動くが,そこにはリアリティがなかった。PS1では荷が重いゲームとなってしまったのだ。プロジェクトの中止か,ゲームコンセプトを変更しつつ完成までの道のりを探るか……。
両氏の取った選択は「プラットフォームをPS2に変更する」ことだった。これにより,当初のコンセプトを曲げることなく,諸問題を解決することができた(プラットフォーム移行による新たな問題も発生したようだが,PS時代の問題と比較すれば些細なものだろう)。その後,多数のトライアル&エラーを経て,ゲームは2001年9月(北米)に発売された。
ICOのゲームデザインは「引き算型デザイン」と海道氏は言う。これはゲーム全体のクオリティを引き上げるために不要なものを排除していくというやり方だ。すべてのゲーム開発にあてはまる事例ではないが,ICOではこのやり方が成功した例と言えるだろう。
本セッションはやはり注目の講演ということで,開場前から多くの開発者が押しかけた。質疑応答もかなり突っ込んだ質問も多数。やはり開発者にも評価の高いタイトルなので,次回作にも期待がかかるのも無理はない。……となると,やっぱり「地獄めぐり」(海道氏のゲームデビュー作)の紹介記事を「Beep」の復刻対象にしなかったのは失敗だったか?
[岩井省吾, SOFTBANK GAMES]
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