朝倉侵攻
そうこうしているうちに,1551年も暮れ。今年もいろいろあったなぁと家中が年越しムード一色のころ(?),朝倉軍が突如稲葉山城に攻め入ってきたとの報が飛び込む。
敵の数6500,対する我が軍は4600。開始からわずか1年でいきなり滅亡の危機か!?
せっかくの町並みを壊されてはたまらないので,野戦での迎撃を決意する。なお「天下創世」の部隊編成は,合戦が起こるたびに家臣に兵を割り振るシステムである。
軍馬や鉄砲を保有していれば,その手の部隊を編成することも可能だ。
合戦はリアルタイムで進行するが,時間を止めることもできるので,命令を出すときは落ち着いて考えることが可能だ。時間を止めて敵の布陣をよく見ると,敵右翼の拠点が薄いことに気がつく。
まずは道三,光秀の部隊をここにぶつけてみることとした。
■天が味方したか,義景の部隊の包囲に成功! どんどん追い詰めろ!
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■戦後,光秀はこの戦いの武勲で足軽大将に昇格。出世すると指揮できる兵士数が増えていくのだ。 |
すると,こちらの動きに呼応してか,朝倉家当主・義景の本隊が道三の部隊の前に現われる。一瞬驚きはしたが,それならばと待機させていた斉藤利三の騎馬隊を呼びよせる。
道三,光秀,利三の3部隊に包囲され,朝倉義景はあえなく討ち死に。朝倉軍は潮が引くように撤退していった。
朝倉侵攻
辛くも朝倉の侵攻をしのぐことはできたが,このまま戦いが長期化すれば上洛はかなり先の話となるだろう。
朝倉家との決着は先送りとし,外交で無害化する方針をとる。
そして1552年秋,斉藤家の軍勢はかねてから攻撃目標と定めていた琵琶湖の南岸,南近江の観音寺城に侵攻する。事前に朝倉,武田と同盟を結び,後方の憂いを断っておくことも忘れない。
観音寺城の六角軍3300に対して,自軍は5000と優勢だったためか,今回は野戦は発生せず,いきなり攻城戦がスタート。
相手がなかなか城内から動かないので,城下町を破壊してみる。すると六角定頼率いる本隊を先頭に,敵が城から出てきた。好機到来だ!
途中,足利家から六角家への援軍が到着して冷や汗をかくも,なんとか定頼本隊を包囲殲滅して勝利する。
■敵に城に立て篭られるとやっかい。どうおびき出すか?
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■単なる偶然か,またもや敵本隊を包囲しての勝利。 |
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