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シンフォニック=レイン シンフォニック=レイン
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シンフォニック=レイン
 
プレリュード03 『Falsita』

 忙しい身分だったのは知っていたから,これ以上の話は無理だろうと判断する。深く一礼をして,彼が歩いていくのを見送った。
 しかし……ここでもまた,絶賛か。彼女はよほど,素晴らしい人物らしい。これならクリスの心配よりも,彼女の方を心配した方がいいかもしれない。彼女にとってプラスになればいいんだが。
 グラーヴェ先生を見送り,待たせているファルシータに会いにレッスン室へ向かう。

「待たせたな」

 ドアを開けると,予想していた通り,彼女はすでに来ていた。やることがなかったのか,ピアノの前で,発声練習でもしていたらしい。部屋に入るなり,美しい歌声が耳に届いた。

「あ,いえ。時間より少し早く来てしまっただけですから。それと,勝手にピアノに触ってしまってごめんなさい」
「気にしなくて良い。それより,なにか一曲歌ってみないか? きちんと聞いてみたいんだが」
「え? いいんですか?」
「こちらがお願いしてるんだが」

 苦笑しながら,備え付けのフォルテールの前に座る。ドアを開けた瞬間に,声をこぼれ聴いただけだが,それでもきちんと聴いてみたいと思った。音楽家としての血が,私の中にもまだ残っているのだろうか。

「発声は済んでいるな?」
「はい,朝のレッスンで済ませています。曲はなににしますか?」

 物怖じしない,良い態度だ。歌うと決まった瞬間に,講師としてではなく,音楽家として私を見るようになった。礼儀正しいだけの生徒ではなく,思ったより芯も強そうだ。

「曲はなににする? 楽譜を用意している時間はなさそうだから,そらで歌える曲から選んでくれるか?」
「なんでも良いですよ。フォルテールとのアンサンブルで有名な曲でしたら,だいたい歌えますから」
「クリスにも聞かせてやりたい言葉だな」

 彼女はにっこりと微笑んで,私の目を見た。意地悪をするつもりもなかったので,記憶の中から有名な曲を選び,初めの一小節を弾き始めた。

 フォルテールの余韻と,歌声の余韻が程良く混ざり合い,空気に溶けるようにゆっくりと消えていった。歌い終わった彼女が満足げな顔で,ありがとうございます,と言った。

「いや,たいしたものだな」
「いえ」

 自信にあふれた声だった。その否定の言葉はあきらかに謙遜だったが,とても自然で,嫌味がない。そしてその歌声は,今まで聞いた他人の評価と,寸分違わぬものだった。

「……念のために聞いておくが,他にも候補はいるんだろうな?」
「はい,もちろんです。他の人とも色々合わせている最中です。あ……でもだからといって,いい加減な気持ちで選んでいるわけでは……」
「いや,そんな懸念はしていない。その中から一番良いと思える人を選ぶといい。かえって君の方を心配したいくらいだ」
「クリスさんのことですか?」
「ああ。会ったことは? もうなにか話したりはしたのか?」
「いえ,まだです。最近ちょっと忙しくて……それで,お聞きしたいことがあったんです。パートナーはもう,決まってしまったんでしょうか?」
「いや,まだだ。午前のレッスン前に聞いたから,確かだ。ついでに会っておけばよかったんじゃないか?」
「いえ,私も色々と忙しいので。時間がとれたときにでもお会いして話してみます」
「そうか。で,今日の用事はそれだけだったか?」
「はい。それだけ聞ければ大丈夫です」
「済まなかったな。余計な時間を取らせて」
「いえ,楽しかったですから。上手い人とアンサンブルするのは,良い勉強にもなりますし」

 歯の浮くような言葉を笑顔で言い残し,本当に忙しいのか,彼女はすぐにもレッスン室を出ていった。私は苦笑しながら,これからのことを考える。
 あまり真剣に相手を捜そうとしないクリスのために,パートナーの候補をこちらからも用意するつもりだったが,彼女も良い候補になるかもしれない。

 久しぶりに有意義な時間を過ごせたと満足していたら,いつの間にか昼休みも終わっていたらしい。背後でドアを開けた音がする。

「では,失礼します」

 ドアの前で話していたのか,アーシノが誰かにそう話しかけたのが聞こえた。

「はい,失礼します」

 続いて聞こえた女性の声に,当たり前だが聞き覚えがあった。

「おはよう,アーシノ」
「おはようございます」
「今のは,ファルシータ君か?」
「あ,はい。そこで会ったので,少し話を」

 彼もまた,不肖の弟子とも言えた。同じくパートナーが決まっていないような状態なのに,なぜか今も笑顔で,不安な様子などみじんも感じられない。

「知り合いか?」
「一応,そうなりますかね。知らない生徒の方が珍しいんでしょうけど」
「それもそうか」

 生徒会の会長を務めるほどだ。私よりは生徒の方がよく知っているのも当然か。
 クリスとは違い,アーシノは社交性について,心配する必要が全くなかった。パートナーに関しては,彼に任せておいても大丈夫だろう。
 ただし,フォルテールの実力はまだまだだった。それに焦りを感じていないのが問題なのだが,どうも私のその心配は,伝わってはくれない。

 そのときちょうど,昼休みを終えるチャイムが鳴り響いた。

「さて。それではレッスンを始めようか」

 心配することは山ほどある。どうしてこう,手の掛かる生徒ほどかわいくなってしまうのだろうか。親の心子知らずとはよく言ったもので,アーシノもクリスも,私の気苦労には気づいてもいない。
 その事実に苦笑しながら,講師もなかなか大変なものだと実感した。

 

 

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