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レボリューションでの開発を表明――ポケットの中のフランチャイズ? 「おいでよ どうぶつの森」のケーススタディGame Developers Conference 2006(2/2 ページ)

現地時間の23日、米国サンノゼで開催されているGDC 2006において、任天堂の江口勝也氏によるセッションが行われ、据え置き機だったゲームをいかにしてワイヤレス対応の携帯ゲーム向けに再構築していったのかが語られ、今後のレボリューションへの展開を語った。

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相手が知らない経験と同じ出来事の共有によって支えられる

 こうしてニンテンドーDS用ソフト「おいでよ どうぶつの森」が誕生することになる。限られたフィールドの中で果実や草花を育て、昆虫や魚を捕り、買い物をする。現実の時間の流れの中で、どうぶつたちと語らい、季節を感じる。さしたる目的もなく、村での生活を自分のスタイルで楽しむことができる。本作のコンセプトは世の中に認められ、ニンテンドーDSにて開花する。

 コミュニケーションフィールドを作るということが最大の目標だった本作は、プレーヤー同士が村での出来事を話しあったり、家具なのを交換をしたり、お互いの村を訪問するなど、お互いが結びつくことの面白さが原点となっている。そこまでプレーヤーを引き込み、毎日遊びたいと思わせるためには何が必要なのかと江口氏は考えた。それは、「他の人に何かを報告したくなるのはどういった場合か」ということ。考えはすぐに定まった。「相手が知らない経験」をした際と、「同じ出来事を共有し感動を分かち合う」際に、顕著なのではないだろうかと。

 家具を例に取って「相手が知らない経験」とは何かを江口氏は推測する。個人の趣味やゲームの進行具合によって変化する家具を集めるだけでも個性は発揮されるだろうし、レアな家具を得た時はそれを飾って見せたいと思うに違いないというのだ。どうぶつの森ではフィールドが個別で変化するようになっている。お店や博物館などの施設の位置も変わるし、村に住むどうぶつ達もさまざまだ。樹木や花も植え替えられるため、同じ村はひとつとして存在しない。個性が反映できるようになると次に、それを他の人に見せたいと思う心が生まれるのではないかと。

 見せたい人が生まれるということは、他人がどうなっているのかを見てみたいと思う人も現れるはず。自分の発想とかけ離れた個性を目の当たりすると新鮮な刺激を受け、さらによく見せたいと思う競争心のようなものまで生まれる。「“やる気”と“満足”と“新しい刺激”というスパイラルが成立することが、プレーヤー同士のコミュニケーションを喚起していると思うし、それがどうぶつの森が持つ大きな自由度によって支えられている」と江口氏。

 もうひとつのコミュニケーションのきっかけである「同じ出来事の共有」は、現実の時間と連動していることで効果を上げていると解説する。本作では時間や曜日によって起こるイベントが設定されている。例え離れた別々の場所に居ても、次の日そのイベントの話題ができる。こうしてコミュニケーションが喚起されるというのだ。

 とはいえ、圧倒的にゲームは個人で遊ぶ時間の方が多い。一般的なゲームで見られるような、あるゴールを設定しプレイを続けさせるという動機を作らず、本作は個別の満足感に訴えかける方法で持続力を植え付けている。ということは、逆説的ではあるが、おいそれと満足できない仕掛けはあれば長い間、楽しむことができるのではないかと考えたという。本作には自分がしたい村と生活を、簡単には作らせないという工夫が随所になされていると明かす。

 言われて見ればそうなのだが、「どうぶつの森」では夜中には店が閉まってしまったり、販売されているものが限られていたり、他の果実を簡単には手に入れられなかったり、実がなるまで時間がかかったりと不便も多い。しかし不便なだけでなく、毎日得られる満足も用意されている。手紙が届いたり、雑草が生えたり、化石を掘り返せたり、カブ価が変動したり陳列品が変わったりと、その日の日課となりえる要素がたくさん用意されて飽きがこない。釣りや昆虫採集をはじめ、服のデザインやメロディを作曲することもできるため、長時間じっくりと遊べる要素もあると、さまざまな需要を備えていることを挙げる。しかも、これらはすべて必ずやらなくてもよいのがミソだ。

 「日々得られる小さな幸せと、長期的に満たされる大きな幸せの両方を揃えている。さらにゲームを終わらせないためにストーリーもエンディングも邪魔なものであるという判断をし、どうぶつの森は生まれた」と、改めて本作のコンセプトに触れる。

 江口氏は、これらを踏まえた携帯ゲーム機向けに作り直すために行う判断について話しだす。本作がニンテンドーDSという、データを豊富に使えない機種へと合わせてさまざまな取捨選択を行う経緯は、64DDからニンテンドー64に企画変更した時よりも慎重さを必要としたと語る。据え置き機から携帯機への作り直しを迫られた際、必ず直面するのは、このソフトには何が必要で、何を削るべきなのかを吟味することだと提言する。

 本作ではフィールドを狭くし、家を1つに、どうぶつ達も個性を発揮できるよう、一度に村に住める数を8人に減らすなど、多様性を損なうことなく検討し整理していった。ニンテンドーDSならではの機能を活かすことは、もちろん忘れていない。ニンテンドーDSであれば、ネットワーク機能への対応が必然だったと、どこに重点を置くべきかを説明した。

 コミュニケーションを重視した本作では、井戸端会議のようなイメージを重視した。ニンテンドーWi-Fiコネクションは“カンタン”“あんしん”“無料”というコンセプトの中で言うところの“あんしん”を代弁しているとのこと。「作ろうとしているソフトの狙いは何なのか? 面白さの原点はなんなのか? プラットフォームの持つ特徴の中から、ソフトのよい面を活かせる機能を選んで使うということが重要」と江口氏は結論づける。

 さらに続けて、「レボリューションのユニークなコントローラをどのように使うかを考えるのは、とても楽しい挑戦だと思う。次の挑戦はレボリューションの機能をいかに使って、次の『どうぶつの森』を作るのかということ。それに加えて、携帯機向けとして支持を得られたニンテンドーDS用『おいでよ どうぶつの森』と、据え置き機として作られるレボリューション用『どうぶつの森』を差別化しつつも、うまく相乗効果が得られるよう考えていくことも課題だ」と、次回作をレボリューションで開発することを示唆した。

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